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朗読劇「季節が僕たちを連れ去ったあとに」観劇 [┣演劇]

ひとりぼっちのふたり
朗読劇「季節が僕たちを連れ去ったあとに」
―『寺山修司からの手紙』山田太一編(岩波文庫刊)より―

構成+演出:広田淳一(CRG/アマヤドリ)
照明松本大介
音響:角張正雄
衣裳:山崎朝子
ヘアメイク:小林雄美
舞台監督:白石英輔(クロスオーバー
舞台監督助手:鈴木政憲(クロスオーバー)
小道具:高津装飾美術

エグゼクティブ・プロデューサー:山本又一朗

なんとなく素敵な気がするけど、よく意味が分からないタイトル。まさに、この公演を象徴している。
このタイトルを知った時点で、この結果に気づくべきだった…[爆弾]
演劇界の鬼才、故・寺山修司と、人気シナリオライターの山田太一が、早稲田大学の同級生だった[exclamation]そして、二人の間には、若き日に思いの丈を書き連ねた往復書簡が存在した[exclamation]
という前宣伝を知った時、“その青春の時期に書かれた書簡を朗読するのかな…”と、漠然と考えていたのだが…。

実際のところ、寺山修司は、大学生の時にネフローゼに罹って治癒までに3年を要し、そのため、大学を中退している。
だから、寺山と山田が同級生として過ごした日々はとても短い。
しかし、共に映画や演劇に魅せられた二人は、ウマが合ったのだろう、寺山が中退して以降も、ずっと親交が続いていた。
とはいえ、松竹に入社した山田が助監督時代、寺山が外部の脚本家の先生として、女優に囲まれてブイブイいわせていたことがあったらしく、その辺から互いに気を遣った結果、少し関係は間遠になる。
が、山田が脚本家として独立してから寺山が亡くなるまでの間は、親交が復活していた。大学時代に寺山が好きだった女性と、(そうとは知らず)山田が結婚したこともあり、山田夫妻と、寺山がその死の直前に旧交を温め合う機会があったという。
私が朗読の対象だと考えていた往復書簡については、山田氏が数年前に一冊の本を上梓している。
その本によると、手紙のオリジナルは長い間山田氏が保管し、失念していたが、その存在に気づいた時、寺山のパートナーで、寺山作品のアーカイブ化に尽力している田中未知氏に渡し、その後返却された原本は、転居の際に紛失してしまったという。現在残っているのは、田中氏の手元のコピーだけなのだそうだ。
その分量が、おそらく一本の朗読劇を作るには少し足りないこと、いくら天才寺山修司の筆とはいえ、内容が闘病中の若者の個人的な書簡である…つまり、エンターテイメント作品としては、ちょっと難しい部分があること、まあ、あとは、いろんな大人の事情があったのかもしれないが、二人の男の往復書簡朗読作品ではなかった。
周辺に、六人も女がいた…[爆弾]開演前、置いてあるイスの数にビビったのは言うまでもない[あせあせ(飛び散る汗)]

最近、「朗読劇」「リーディング」を称する舞台が急増しているが、朗読劇の定義が広がり過ぎているんじゃないか、と危惧する。基本は、「ラヴ・レターズ」のような作品を朗読劇と呼ぶんだよね、と私は思っている。
そして、上演スタイルの問題もあるが、私は、朗読劇にすることで生まれる“効果”にも注目している。
普通、演劇というものは、演出家の指示のもと、出演者が稽古を重ねて上演するものだ。これが朗読劇になると、演出家も稽古も(基本的に)不要にできる、と私は考えている。
音楽で考えてみるとわかりやすい。独奏・二人セッションくらいなら、即興でもやれる。そして、即興の面白さ、というものは、たしかに存在する[ひらめき]そんな、その時だけの、特別な、なにかに惹かれる。
ただ、そんなセッション的な演劇って、逆に毎日やるもんじゃない、という気もしていて。
だから、とても特別なものだと思う。朗読劇というのは。
そのために、ある程度上演期間があるものは、キャストを入れ替えているんじゃないだろうか。
新鮮で、セッションで、演出と稽古が最低限の舞台…私は、そういうものを朗読劇だと認定したい。

そういう意味では、私がここ一年くらい観てきた中では、「しっぽのなかまたち」や「冷蔵庫のうえの人生」は、厳密な意味での「朗読劇」ではないと思う。あれは、演劇の形態として「リーディング」の体を採っているだけで、枠としては、朗読劇の中にない。
そして、今回の舞台も。
出演者が8人の時点で、それはもう「朗読劇」にならない。
演出しなければ、交通整理ができないからだ。

そして、6人の女性達は、たしかに演出に呼応しているようだ。
そんな中、主役の二人の俳優だけが、突然ぶっこまれている感があった。
どんだけ、演出指示受けて来たんだろう[exclamation&question]もしかして、ぶっつけ[exclamation&question]みたいな…[爆弾]
主役二人は、本当に日替わりで、それぞれ2公演×3人のトリプルキャストになっている。彼らだけの物語にするのなら、朗読劇的セッションも期待できたのに、周囲の6人の女子が演劇的な空間を作っているから、ものすごく違和感があった。
どんなふうに稽古が行われたのかはわからないが、作品世界から主役が浮く、ということを強く感じた。
トリプルキャストだから、個性を大事にしようとしたのかもしれない。
でも、ちゃんと稽古で心通わせてない状態で、「互いに爆笑して、笑いが止まらない」シーンなんて痛々しすぎる[ちっ(怒った顔)]
そういうのが、伝わって来てしまった。個性より、そっちの方が重要。すごく残念…[もうやだ~(悲しい顔)]

また、私のように、生前の寺山修司像を知っている世代からすると、今回の寺山修司にはおおいに違和感があった[exclamation×2]
寺山の津軽弁の印象と、彼の書き言葉が繋がらない。
これが寺山です、と言われても、「そんなひとだっけ[exclamation&question]」と思ってしまう。
若き日の、しかも、病気で死んでしまうかもしれない…という不安な日々に書いた私的な手紙だから、後年の寺山と繋がらないのは当然かもしれない。しかし、この作品では、朗読は後に、芝居に転じ、寺山が端正な標準語で山田夫妻と会話している。
それって、寺山修司じゃないから[むかっ(怒り)]

ほかにも、女優に「修司」という役を振って、寺山役の俳優が読む手紙の日付を言わせたりしているのも意味不明だし、田中未知役の女優の演技も固くて不安定な気がした。
その他の役は、要らないんじゃないか、としか思えない。

まあ、大人の事情が色々あるのだろうが…主催は、トライストーン・エンタテイメント。所属事務所に背中から撃たれたようなもんだな、これは。(久々、超辛口だな、オレ)

“今日は何の日”
【11月18日】
官営八幡製鉄所が操業を開始(1901=明治34年)。


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