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宝塚歌劇宙組特別公演「双頭の鷲」観劇 [┣宝塚観劇]

Musical
「双頭の鷲」
原作/“L’AIGLE A DEUX TETES”by Jean COCTEAU

提供/ジャン・コクトー委員会会長 ピエール・ベルジェ氏
著作権代理/(株)フランス著作権事務所

原作:ジャン・コクトー
脚本・演出:植田景子
作曲・編曲:斉藤恒芳
振付:大石裕香
装置:松井るみ
衣装:有村淳
照明:佐渡孝治
音響:大坪正仁
小道具:市川ふみ
歌唱指導:山口正義
演出助手:谷貴矢
衣装補:加藤真美
舞台進行:表原渉


「双頭の鷲」はジャン・コクトーの「戯曲」。
小説や映画をアレンジするのと違って、舞台用に作られたものをアレンジするのは、なかなか骨の折れる作業だと思う。本当に宝塚化するためのアレンジなのか、原作を冒とくしていないか、いろいろと考えてしまいそう。
しかし、植田景子先生は、やり遂げてしまった。
すごいな…[グッド(上向き矢印)]
ぶっちゃけ「双頭の鷲」でありながら、植田景子作品でありすぎる[爆弾]とは思った。
ただ、「双頭の鷲」のプロットが轟悠の究極の男役を表現するのに必要ならば、そして著作権等の問題(原作の改変について権利者の許諾が得られるかどうか)をクリアできるのであれば、こういうやり方もありなのかな…[たらーっ(汗)]と消極的に賛成しておく。
コクトーの「双頭の鷲」は、以前、美輪様で観たものの感想がこちらにあるので、もしよかったら、ご確認ください。
エリザベート皇后暗殺事件に着想を得て、架空の王国の王妃と暗殺犯の恋愛劇をいっぱい盛り(場面転換なし)のステージで上演する。登場人物はわずか6人。
とはいえ、設定にはかなり無理がある。しょうがない。コクトーはフランス共和国の人間だし。そして、宝塚ファンは、設定のひどさにすぐ気がつく。しょうがない。「エリザベート」の物語や王室制度については、隅々まで知り尽くしているから。
というわけで、景子先生は、「エリザベート」の世界観をもとに、設定を少し作り変えている。作り変えられた世界はお馴染みのものなので、観劇中はそこを疑問に思わない。なので、ドラマに集中できる、という効果はあったが、むしろ、冷静に考えると、さらにあり得ない設定になっていたような…[あせあせ(飛び散る汗)]
原作=国王は亡くなっているが皇太子がいるらしい。(国王は結婚式のパレードで暗殺されているので、国王夫妻の子ではない。親戚筋だろうか。)その後10年間、皇太子が即位していないのは、未成年なのかもしれないが、それについての言及はない。皇太子の摂政として、警察長官フェーンより、王妃の方が相応しいというクーデターが起きるかどうか、そういう背景なのだろう。
今回=皇太子はいなくて、皇太后がいる。あ、王太后と呼んでたな。その王太后派(フェーンも入る)と、王妃派の勢力争いが背景にある内容。でも、国王がいない国で、それってむなしい戦いだ…byトート閣下。
とはいえ、実際に国政を司る存在が居る方が、(しかも、“パパラッチ”が演じる、という形で舞台上に存在する!こともあって)舞台を観ている間のストレスは少ない。そもそもゾフィーVSエリザベートってヅカファンの脳内に完全に定着してるし。絵的な説得力があって、納得してしまった。
こういう枠組み的な部分にひっかかりがあると、物語に集中できない人って(私を含め)、けっこう多いと思う。まあ、要するに理屈っぽいタイプ。景子先生も理屈っぽいタイプとお見受けしたので、その辺の対処としては、お見事だったと思う。(そうじゃないタイプの人には、ものすごく不評な気はする。)

舞台は、「ストーリーテラー」(和希そら)の語りによって展開する。彼は、このドラマの枠の外側の人物。
ドラマの枠組みを舞台上にも作って、その外側の世界が「ある」ことを示す舞台装置(松井るみ)は、素晴らしかった。景子先生のやりたい世界がすごくわかりやすく表現されていた。
そして、帰納法で、ストーリーは語られ始める。心中のような二人の姿から。
絵的な美しさだけでなく、このシーンからスタートしたことには、大きな効果がある。
階段落ちはありませんよ、という宣言だ。
この「双頭の鷲」は、ジャン・コクトーが、恋人でもあった俳優のジャン・マレーに当て書きして書いた戯曲。そのマレーが演じた初演から、「階段落ち」のシーンは存在していた。「双頭の鷲」=階段落ちは、「蒲田行進曲」=階段落ちと同様(どんなたとえや[exclamation&question]マストアイテムになっている。実際、後ろ向きに階段を落ちるこのラストシーンでケガをした俳優はいない…らしい。
だからって、理事に、カラクリなしの階段落ちをやらせるのは、ありえないと思っていた。そんな蛮勇、宝塚にはいらない[exclamation]
ただ、どうなるんだろう[exclamation&question]と、ずっと不安には思っていたので、ラストシーンからスタートしてもらったおかげで、安心して物語に気持ちを移すことができた。クーデター当日、王妃が刺殺され、その暗殺者と王妃がしっかりと手を握り合って死んでいる。絵のように美しく謎多きこの事件を、パパラッチたちが大騒ぎするところから、物語は動き出す。
このパパラッチは、その時代にいた連中ではなく、枠の外側の人々らしい。ミニスカートがキュートな桜音れいがスマホを持っていたのが象徴的だったし、王家のスキャンダルネタを順に語っていく場面で、エリザベートはもとより、ダイアナの話が出たりしていたから。
で、このパパラッチたち、かなり贅沢なキャスティング。ツアーとの兼ね合いもあったと思うが、いささか役不足の感は否めなかった。もちろん、このメンバーが演じてくれたからこそ、素晴らしい舞台になったことは重々理解しているものの。

パパラッチが、いくつか、現場にいない役を具現化(ex.王太后)したほかは、原作通りの登場人物。この辺は、著作権管理者からの指示だったかもしれない。
登場人物は、某国の王妃(未亡人)(実咲凜音)、暗殺者の青年スタニスラス(轟悠)、王妃の読書係エディット・ド・ベルク男爵令嬢(美風舞良)、王妃の側近で亡き国王の友人フェリックス・ド・ヴァルレンスタイン公爵(桜木みなと)、警察長官フェーン伯爵(王太后の側近)(愛月ひかる)、王妃の身の回りの世話をしているトニー(台詞なし)(穂稀せり)の6人。
エディットと公爵の間には、過去の確執(二人は恋人だったが、結婚できなかった)がある。
という設定が、美風桜木では、とても座りが悪い。この設定さえなければ、二人とも好演なのになー[バッド(下向き矢印)]と思った。エディット役は、彩花まりが適任だったんじゃないだろうか。もっと使ってほしい娘役の筆頭なんだけど。今年は博多座でアムネリスとかやっちゃったから、連続でいい役は来ないってことかしらね[もうやだ~(悲しい顔)]
この二人が王妃に心酔する裏に、過去の経緯からの意地の張り合いがある、という原作設定を生かしてほしいと思うが、美風桜木では、それが10年前のことなのか、20年前のことなのか、皆目見当がつかない。昔であればあるほど、滑稽さが出ると思うのだが、桜木の場合、5年前でもおかしくない若さだ。若いカップルなら、より、リアルな痛みとなる。景子先生は、どちらを望んでいたのだろうか。
結婚式の運命のパレードからちょうど10年後の嵐の夜、王妃は、二人が新婚の夜を過ごす予定だったクランツ城に行き、窓を全開にして、亡き夫・国王の霊を呼び寄せ、ディナーを始める。
王妃のそんな趣味を理解できないエディットと公爵だが、公爵は人知れず文句を言い、エディットは盲従する。決して王妃の心を理解できないのに、それぞれに王妃に心酔しきっている二人の様子が面白い。二人の愛が終わったのは、本当のところ、王妃のせいかもしれない。
登場した王妃のドレスは、最新モードっぽい素敵なデザイン。喪に服すというイメージとは程遠いが、(ワンショルダーだし)実咲には似合っている。
ところが、この日、王妃の暗殺を狙う反政府主義の詩人、スタニスラスがこの宮殿に忍び込んでいた。警察に追われ、傷を負った彼は開いていた窓から王妃の部屋に侵入する。
この時、王妃を殺す機会はあったはずなのに、スタニスラスは王妃に匿われることとなる。彼は驚くほど亡くなった国王に似ていたのだった。
そして、さらに王妃は、スタニスラスをエディットに代え、読書係に任命する。
あっという間に、王妃はスタニスラスに、スタニスラスは王妃に影響を与えていく。喪に服して国政を顧みない王妃に、スタニスラスは、今の体制を打破し、王妃親政を行うべきだ、と助言する。
エディット・公爵・フェーン伯爵が代わる代わる登場し、重要な役割を果たしつつも、頑なだったスタニスラスの心が解けはじめてからは、ほぼ二人芝居の様相。みりおん、ほんとよく頑張ったわ[黒ハート]
日本での上演は、やはり美輪さまが一番多くやっていらっしゃって、美輪さまの舞台の場合、その育て上げた俳優さんがスタニスラス役を演じることが多い。そもそも年齢設定も、王妃が年上ということになっているし。そうなると、スタニスラスが王妃を説得できるのは、もう熱量しかなくて、それもまた十分な熱い芝居だったりするのだが、今回は、実際、芸歴30年超の大ベテランが演じるスタニスラスだからこそ、の説得力で、無気力な王妃に政界復帰を約束させる。
ちゃんと台詞の力で芝居が動いていくってすごいな~[ぴかぴか(新しい)]と、感動。
ほんとにこの芝居、台詞で人が動く。
言葉の力だけで、どこまでのことができるか…シェイクスピアの時代から、劇作家が挑戦し続けてきた命題。コクトーも詩人だから、もちろんそのことを意識していたと思うし、景子先生も詩人を主人公にしたミュージカルを書いているくらいだから、当然その辺は意識していそう…(あの詩人の弟は劇作家でしたね、そういえば)
もう、ホント、たまらない台詞の応酬でした[ぴかぴか(新しい)]
もちろん宝塚なので、「歌」という強力な応援はあるが、「歌」というのは、「詩」に節が付いたものなんだなー[ひらめき]と感じられるようなものだったので、その応援は、アリだと思った。
宝塚歌劇団ではあっても、中には、「歌」が入ることで、逆にそっちが気になって(ハラハラして)歌詞がおろそかになってしまう、あるいは、その後の台詞も飛んでしまうような、残念な歌唱力の人がいないこともないのだが、今回のメンバーは、そんなこともなく、本当に気持ち良く物語に集中することができた。
1幕のモノトーンな世界が、差し色としての赤が加わって、やがて様々な色を受け入れて行く…でも、警察長官の付近は黒一色、みたいな、色で世界観を動かしていくところも面白かった。音楽は斎藤恒芳先生で、これがまた、重い世界観に合う。「エリザベート」の物語であることは隠さず、でも、「双頭の鷲」という別の創作物である、ということを強調するために、あえて、コクトーの母国の音楽、シャンソンを使ったり、パパラッチたちのファッションもフランス的な感じだったり、ディテールも拘りを感じる。
パパラッチたちは、舞台上の椅子に座って芝居を見ていることが多いのだが、それなりに細部の衣装替えもあったりするので、出ハケが二重になっている。(普通、出番が終わるとサイドの椅子に戻る芝居では、衣装は着たきりすずめ、舞台上からはハケないお約束なのだが。)
その分、演出はさらに複雑になるはずだし、そのわりに、パパラッチたちの前には、ビニールをくしゃくしゃにして透明度を下げたようなカーテンがあって、その存在が見えにくい。それでも、こういう演出をした、というあたりに景子先生の究極の拘りがあるようだ。
(美しい枠組みだなーとは思ったが、拘りの意図まではわからなかった。無念[バッド(下向き矢印)]
愛月の出オチ感ハンパないかっこよさと、二枚目桜木の演技巧者としての側面、そしてストーリーテラー和希のエンターテイナー資質…見どころは多かった。
しかし、なんといってもの存在感と、そのに伍して引くことなく王妃を演じ切った実咲の集大成といっていい佇まいに圧倒された。よいものを観た[黒ハート]

パパラッチは、ミニスカの桜音と、デカダンな男装の愛白もあ、そして王太后に扮した瀬戸花まり、あとは、男役の風馬翔星月梨旺の存在感に圧倒された。

“今日は何の日”
【12月12日】
北原白秋・木下杢太郎ら詩人と石井柏亭・山本鼎ら画家が文学と美術の交流会「パンの会」を結成(1908=明治41年)。


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