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いたい… [┣身辺雑事]

がーん[もうやだ~(悲しい顔)]


3時半くらいに、すべての用事を終えて、楽しみにしていた「スキップ」を観に行く準備を始めた。


その時、


い…いたぁい~[爆弾][あせあせ(飛び散る汗)][たらーっ(汗)]


画鋲を踏んでいた…[がく~(落胆した顔)]


足の裏から大量出血…[爆弾]


普通なら、無理してでも観劇するところですが…GWの旅行予定を思い出し、断念した。
二年に一度位のレベルで、体調不良による観劇見送りが発生する。こういうのが、一番痛い。足より、心が痛い。


ごめんなさいm_m


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「言葉の奥ゆき」(3) [┣Studio Life]

(2)はこちらです。


(3)は、My2回目の、トークスペシャルから。


「言葉の奥ゆき」公演楽前日、最後の(4回目の)トークスペシャルが開催された。
前説、送り出しは、関戸博一が担当。曽世が前説の時は、トークスペシャルでは携帯電話など音の出る機器のOFFは「自己責任」と言っていたが、今回は、その曽世が出演するので、もし携帯が鳴ったら、「出ちゃうかもしれないので、OFFしてください、自衛のために[exclamation]」という案内。
グッズの紹介もしていたが、この日の13時公演で、牧島さん製作の「まきお」アクキーは完売したとのことだった。


おくゆき2.jpg


グッズはこんな感じ。右側が「まきお」600円。左がおいちゃんの描いた「イラストポストカード」2枚で400円。


トークスペシャルの出演は、曽世海司、松本慎也、仲原裕之、久保優二
この回も、オクユキストを目指して、4人がガチバトル。
曽世がハイテンションで司会兼参加者として頑張っていて、松本がそれを完璧にフォロー、仲原が忠実について行っているのに、完全にマイペースのテンションを貫く久保が面白すぎる。
新しい言葉(その場でカードを引いて出た文字を合わせて単語を創作)の意味を即興でさも知っているかの如く言ってのける、というゲームが面白かった。これ、初日もやっていたゲームなのだが、サイコロで文字数を決めていたので、「5文字」の単語ばっかりになったこと、「ぴゃ」とか「にゅ」とかの言葉がたくさん出てきたことで、分かりづらかった。その辺は「5」「6」が出てきても「4文字」とする、というルールを作ったりして改善、より面白くなったと思う。
松本が、どんな単語も「愛媛の方言」と言い張るのが、意味とは別に面白かった。
あと、仲原が真顔で嘘をつく、というか、本当のことを言っているっぽさがたまらない。ちなみに、その真顔で嘘をつくところが素晴らしいと褒めてくれて、「そこを伸ばしたらいい」と勧めてくれたのは、オノケンだったらしい。


結局、最後の一問で、それまでずっと一位を死守していた仲原に代わって松本が優勝[exclamation×2]
劇団における仲原のイメージ通りの結末と言ったらダメかしら…[あせあせ(飛び散る汗)]
なにげに、4人全員が出身地(曽世=宮城、松本=愛媛、仲原=沖縄、久保=福岡)をさりげなくアピールしていたところも面白かった。


そのまま、19時開始の朗読公演にも参加。
この回は、また倉田さんが案内役として参加。


で、朗読は、


関戸博一「皮膚と心」(太宰治)
曽世海司「きりぎりす」(太宰治)


関戸の「皮膚と心」は、二度目の鑑賞。初回よりも、役に寄っていたかなー。倉田さんとのトークの時に、一人称は、自分がどの辺に立っているのがいいか、とても難しいと語っていた。一人称の朗読は、一人芝居とは違う。どこまで地の分に感情移入するか、役者として、その配分は悩むところかもしれない。


曽世の「きりぎりす」は、今回、初めて聴いた。
倉田さんが、それぞれの役者に作品をアテていったと聞いたが、なるほど、この小説は曽世が語ると映える。
「皮膚と心」も女性の一人称小説だが、少し趣が違う。
「皮膚と心」は、書き手が女性で、自身の経験を書いたという体で進んでいく。「きりぎりす」は小説だが、一人の女性が夫に三下り半を突きつける、その話し言葉をそのまま写し取っている、という体で進んでいくのだ。
それゆえ、か、曽世の個性か、完全に「一人芝居」状態で、ヒロインの感情の起伏そのままに、曽世は語りを進めていく。とはいえ、とても物静かなヒロインなので、激昂したり…ということはない。静かに怒り、静かに沸点に達し、静かに別れを切り出す。
その女の情念が、じんわりとした恐怖になって、私を包んでいった。曽世、おそるべし[がく~(落胆した顔)]


若手メンバーによる詩は、仲原裕之、久保優二が担当。
グールモンという詩人の詩を翻訳したものが、とても印象的だった。


入口で、当日出演者からの栞の束をプレゼントしてくれたのだが、これ、かなり嬉しかった。


おくゆき.jpg


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「言葉の奥ゆき」(2) [┣Studio Life]

(1)はこちらです。


では、My初日の夜公演、トークスペシャルから。


「言葉の奥ゆき」公演2日目、最初のトークスペシャルが開催された。
前説、送り出しは、16時公演同様、曽世海司が担当。開始前に携帯電話など音の出る機器は必ずOFFしてください[exclamation×2]と、今回は“朗読”なので、かなり厳しく言っているのだが、今回はぐだぐだが予想されるトークということで、「各自の判断で。ただし、鳴ったら出演者の餌食になります」という案内だった。
出演は、笠原浩夫、及川健、岩崎大、関戸博一
この四人は、この日2回行われた「言葉の奥ゆき」本公演の方で、それぞれ朗読を行っている。
もとが小説なので、長さは一定ではない。笠原・及川は40分強、関戸が30分強、岩崎が10分強…だったかな。長さの差は、倉田さんとのトークで埋めるらしい(笑)
そして、トークスペシャルの方は、倉田さん抜きの完全に自由空間。
一応、この公演の感想とか、苦労した点とかを語ったりもしていたが、その後は、この四人の中で誰が一番「奥ゆき」があるか、オクユキスト決定戦というゲームとなった。それぞれのゲームの勝敗で、ランクが変わり、ゲーム「大富豪」のように、座る椅子を変えたり…けっこうバタバタだったが面白かった。
本の朗読に関するトークだったので、4人がおススメの本を紹介したコーナーも面白かった。真顔で「週刊ベースボール」を紹介した笠原さんが圧巻だったけど。特に、長嶋さんと王さんの“雑談”が載っている[ひらめき]という名言は忘れられない。(実は対談?)
さまざまなゲームの末、オクユキストの座は、おいちゃんが死守。やっぱり可愛い人には甘いな、みんな(笑)
辞書を引いてテーマに相応しい言葉を選ぶ、というゲームがひそかにツボでした。


次に行ったのは、朗読を2回行ったおいちゃんの2日目。
この回は、案内役が倉田さんではなく、曽世海司
そのため、前説、送り出しは、代表の藤原啓児が行っていた。必ず倉田さんか代表が登場するという設定は、それだけ、この企画が大切ってことね、と思った。


この日の朗読は、


岩崎大「律子と貞子」(太宰治)
及川健「日の出前」(太宰治)


岩崎の「律子と貞子」は、三浦という青年の“二人の女性のどちらと結婚すべきか”という、命題に筆者が辟易しつつ付き合うという内容。
三浦と、三浦の妹・節子は、血の繋がらない遠い親戚筋の姉妹、律子と貞子と家族ぐるみの付き合い。姉妹が、遠方の女学校に通っていた時、三浦の家に下宿して親しくなった。
三浦は、徴兵検査で、極度の近視が災いし“丙種”という評定になってしまった。それで、くさって、田舎の学校の先生になることにしたが、それに当たり、姉妹のどちらを選ぶべきか…と悩んでいるという。
話を聞いていると、姉妹は二人とも三浦のことが好きなんだろうと思われる。姉の律子は、その思いを押し隠し、妹の貞子は全身で好意を表現する。好き過ぎて、はしゃぎすぎて、少々うるさい感じはするが…。筆者は、聖書のルカ伝を三浦に読ませ、示唆を与えたつもりになるが、結局、三浦からは、姉の律子と結婚することにしたという手紙が来る。
筆者が義憤にかられ「読者は如何に思うや」と書いたところで、物語は終わる。
女優・岩崎の貞子トークが、なんともウザ可愛くて楽しい朗読だった。


及川の「日の出前」については、(1)に詳しく書いたので、そちらをご覧ください。
2回目とあって、前回よりさらにノリノリの朗読だった。
及川の朗読、各登場人物のセリフ部分ももちろん、演じ分けが素晴らしいのだが、淡々とした地の部分の朗読が、すごくよかった。情景がハッキリと浮かび、次はどうなるの[exclamation&question]と、一度聞いている話なのに、再びワクワクしてしまった。ファンということもあるが、やっぱり、及川健の表現が素晴らしいのだと思う。


若手メンバーによる詩は、松村泰一郎、田中俊裕、千葉健玖の三人が、谷川俊太郎の詩を4つ披露してくれた。
松村くんが、担当した「座る」という詩を、自身のお父様の好きな詩だと紹介していて、それを読めるって幸せだなぁ~なんて思った。素顔の松村くんがかなりイケメンだったので、(女子や子役として可愛いことは知っていたが)外部公演、観てみようかな…なんて思った。


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「ハムレット」観劇 [┣演劇]

「ハムレット」
ジョン・ケアード演出による「ハムレット」を観た。
舞台の上にもう一つ八百屋舞台を作り、芝居は基本、その上で行う。
舞台上手には椅子を置き、音楽(尺八)の藤原道三さんのほか、出演者たちが、出番の間に座っている。
舞台下手には客席を置き、横からではあるが、迫真のステージを観劇できる。
舞台上に余計な装置は置かず、場面ごとに必要なものは、都度役者たちが運び入れる形になっている。簡素なステージの上で、俳優の力量が試されるような、そんな「ハムレット」だった。
出演者は14名。
大きな劇場の「ハムレット」としては少ないが、世界中で愛されている「ハムレット」は、色々なサイズの劇場で上演されていて、私が過去に観た作品にも10名くらいの出演者のものは、いくつかある。出演者が少ない場合は、一人が何役かを演じるわけだが、この舞台の特徴は、主役のハムレットでさえも二役をしていることだろう。
つまり、意識的な二役。ここに、今回のケアード版の意味があるのだろうと思う。
実際、ハムレット役の内野聖陽が、ノルウェーの王子、フォーティンブラスになって登場すると、なんとなく釈然としなかったラストシーンが、納得できてしまう。国王・王妃・そして後継者すべてなくなってしまった国を、突然他国の王子が奪い去ることの理不尽さが、同じヒトが演じることで薄らぐのだ。
これは日本における「ハムレット」上演の画期的打開策かもしれない。
というか、ヨーロッパでは、あのラストシーンはそれほど、唐突ではないんじゃないかと思っている。なにしろ、狭い土地をやったり取ったりの歴史を繰り返してきたから。

で、「ハムレット」はお馴染みの物語なので、記事は、演出と、出演者の感想にとどめる。
まず、第三独白(to be or not to be)の位置が少し早い、という改変がある。そもそも第三独白は、ハムレットとオフィーリアのやり取り(尼寺へ行け)の直前にあるのだが、今回は、この二つが分断されている。その効果は…よくわからない。第三独白自体とても難解で深い意味は分からないので、どこにあっても違和感はないというべきか。
男性出演者は、日本の古代(それこそ邪馬台国とか?)みたいな衣装、ガートルードとオフィーリアは同じ白いドレスで、ガートルードは上衣をつけて帯をしている。で、二人とも白いスニーカー。男性出演者も足元はスニーカーっぽかった。白じゃないから目立たなかったけど。
ま、衣装なんかは二の次で、台詞劇を楽しめ、という意図とは思うが、このジャパネスク感は、どう理解したらいいのか。日本人なんだからキモノ着ておけってことなんだろうか。それとも海外公演を視野にいれているのか。
普段着での上演より、こういうジャパネスクの方が気になる。だって、なんか変だし。
で、「あなた太ってるんだから…」というガートルードの台詞があって、「ハムレットは太っていた!」という本も出ているくらいなのだが、実際、太っていた(笑)もちろん、演者の実年齢相応の素敵な体格なのだが、くすっと笑った。
そして、ハムレットとオフィーリアは、本当に恋しあっていたんだなーと思える演出。そして、レアティーズ(加藤和樹)もポローニアス(壌晴彦)も、オフィーリアが可愛かったんだなーと思った。だからこその悲劇。
貫地谷しほりのオフィーリアはとても素朴で、誰からも愛される女性だった。
オフィーリアが、父親の命令でハムレットを試すようなシーン、あの場面、彼女は何を考えているんだろう?といつも思う。そういえば、シェイクスピアに登場する恋する女子は、父親の言うことを聞かない子が多いのよね。そのせいか、余計、この従順さはなんなのだろう?と思ってしまう。
恋人同士の会話を父親に聴かせるのだ。いやじゃないのだろうか、と。
オフィーリア自身が、ハムレットの突然の変心に合点がいかず、彼の気持ちを確かめようとする父親の策に乗ってしまう、という解釈もできるのだが、今回は、わりと素直に父の言うことを聴く娘だった気がする。
墓のシーンから、最後の場面まで、ハムレットの愛、レアティーズの愛、レアティーズの苦悩が伝わって、すごくよかった。そして、ハムレットは若い俳優だけのものじゃないなーと思った。演技が熟してから演じるハムレットの良さを堪能した時間だった。


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「リメンバーミー」観劇 [┣演劇]

崩壊シリーズ
「リメンバー・ミー」


作・演出:オークラ


美術:小林奈月
照明:松田かおる
音響:長野朋美
衣裳:四方修平
ヘアメイク:平野仁美
振付:Cha
アクション指導:富田昌則
演出助手:宮森かわら、道場禎一
舞台監督:兼安凌平


この舞台、「崩壊」シリーズの第2弾で、前回は、イギリス演劇の翻案だった。前回の感想はこちら
なのに、同じ設定でオリジナル第2弾が普通に作れる…って、二次創作なのか[exclamation&question](笑)それとも、前回作品がそもそも原作からだいぶ逸脱していたってことなのかな。あるいは、原作の上演権がかなり緩いとか…。
「THE PLAY THAT GOES WRONG」(原題)というイギリス演劇は、けっこう世界中で上演されているようなので、自由に上演させるスタイルなのかもしれない。舞台写真を見る限りでは、設定は、一応前作「九条丸家の殺人事件」に似ているようだったけど…。

荻窪遊々演劇社という、なんとなくどこかで聞いたような名前の劇団。前回公演で結婚を決めた座長の栗須(山崎樹範)と、舞台監督の杏里(上地春奈)。しかし、杏里の父は演劇やっている栗須になんか娘はやれないと言う。でももし次の芝居で自分を泣かせたら、考え直してもいいらしい。
その、重要な“次の芝居”である「リメンバーミー」の初日。客席には、杏里の父(が居る体)。しかし、舞台上には、相変わらずのメンバー。栗須と杏里の結婚を祝って開演前の舞台上でサプライズのフラッシュモブをやったりしている。(緊張感ゼロ[exclamation×2])音響・照明担当の鳥場(伊藤裕一)は、風邪で絶不調。そんな中、女優の愛(彩吹真央)がいまだに栗須を好きなのではないか、という疑惑が浮上して、嫉妬深い杏里はブチ切れる。杏里がキレると、大変なことが起るというのに…はたして舞台は無事に終幕するのか、そして、杏里の父は栗須を認めてくれるのか。


2回目ともなると、様々なことが既に「お約束」になっている。
杏里の嫉妬によって舞台が崩壊するとか。その対象はいつだって、元キャバ嬢の愛(彩吹)とか。

よくよく考えるとダメな話だと思うのね。
舞台人が舞台を破壊させちゃダメ。
なんだけど、逆にすごいと思ってしまう。
毎日これだけ崩壊させて、復旧して、を繰り返せるセットの素晴らしさ、そして、出ハケのタイミングの絶妙さ[ぴかぴか(新しい)]
だって、歩いてきたとこにドアが開いて脳震盪とか、タイミングを外したら、大惨事。でも、すべてカンペキ[ぴかぴか(新しい)]
完璧に崩壊するからこそスッキリするし、スッキリするからこそ、プログラムで上地春奈さんが言っているように、きっと杏里ちゃんは、プロの舞台監督じゃなくて、普段は別のお仕事をしていて、でも栗須さんのことが好きだから、彼のためにセットまで作ってあげちゃうんだろうなぁ~だから、プロ意識がなくてもしょうがないんだよなぁ~と思えるのだ。(観る側が勝手に補完してしまう)

ただ…今回は、残念ながら、ゆみこさん(彩吹)の素晴らしい脚が見られなかった。これも、お約束にしていただけるとありがたいのだが。あと、ヤマシゲさん、ちょっと太ったかなぁ[爆弾]


出演:山崎樹範、松下洸平、味方良介、上地春奈、大水洋介(ラバーガール)、伊藤裕一、彩吹真央、梶原善


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「言葉の奥ゆき」(1) [┣Studio Life]

Studio Life ≪Jun企画≫
言葉の奥ゆき―KOTOBA NO OKUYUKI-


演出:倉田淳
美術・舞台監督:倉本徹
照明:倉本徹
演出助手・音響:宮本紗也加
音楽協力:竹下亮


スタジオライフが、初めての企画、“朗読”ステージをやり、及川健も出演する…ということで、もちろん[黒ハート]行って来ました。


My初日は、4月22日。16時公演と、19時からのトークライブを見てきました[るんるん]


まず、16時公演。
≪Jun企画≫の企画者、倉田淳氏から、企画意図や作品紹介があった後、朗読者が呼ばれ、椅子に座って朗読を行う。
この企画のために、倉本徹氏が張り切って作ったセット。それだけでドラマが生まれそうなセット。客席も板張りの上にパイプ椅子…と、いつもとは様子が違う。この板張りの板は、「ファントム」の時の舞台上に敷かれていたものだそうだ。
たしかにバミリがしてある…[わーい(嬉しい顔)]
そして、この日は、かつてファントムの母・マドレーヌを演じた二人の女優が、朗読者として登場することになっていた。


関戸博一「皮膚と心」(太宰治)
及川健「日の出前」(太宰治)


関戸の「皮膚と心」は、女性の一人称で描かれた小説。
彼女は、あまり容姿に恵まれていなかったらしく、そのせいで行き遅れになりそうなところを、バツイチの男性と縁があって見合い結婚をした。夫は優しく、某化粧品会社のトレードマークのデザインをしたくらい有名な、今で言うところのグラフィックデザイナー。
ある日、肌に小さな吹き出物が出来、そこをこすったりしたために、全身に広がって大変なことになってしまった主人公が、医者にかかるまでの心の動きを書いている。
どこまでも限りなく広がる妄想を丁寧に描いているのが面白かった。
関戸は、やわらない語り口で、この夫婦の日々の生活を余すところなく表現していた。語り手の女性の、夫の前に裸身をさらして吹き出物を見てもらうことに恥じらいより安心感を感じているところや、再婚である夫が自分以外の女性を知っていることへのやり場のない嫉妬など、なんだかもう、聴いていて「御馳走様」的甘ったるさを感じさせる小説だが、そんな純情な新妻の雰囲気がよく出ていたと思う。


及川の「日の出前」は、戦時中に起きた、とある殺人事件に至るまでの、とある一家の物語を丹念に描いた小説。こちらは三人称で、どこかルポルタージュ風でもある。
及川は、父親・母親・兄・妹の一家だけでなく、女中・兄の友人たちなど10人ほどの人物を演じ分け、一家の崩壊していくさまを、悲惨な形でなく、エンターテイメントとして聞かせた。最後の、妹・節子の一言は、女優・及川らしい圧巻のセリフ回しだった。
兄・勝治も実に生き生きと造形していたが、こういう役(長身で乱暴者)は、朗読だからこそ及川に回るんだよなぁ~と、この企画に感謝した。


関戸が40分弱、及川が40分超という、長い朗読だったが、飽きさせず、楽しく見せてくれたのは、さすがだと思った。


その後、若手メンバーによる詩が披露された。この日は、澤井俊輝鈴木翔音の二人が登場した。
若手たちは、マイクの前に立って、短い詩を読む。その短さがまた鮮烈でよかった。


トークライブの模様は、また別記事で。


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花組新人公演主な配役発表! [┣宝塚情報]

次回の花組大劇場公演、新人公演の主な配役が発表された。


タケヒコ(邪馬台国の戦士/明日海 りお)… 飛龍 つかさ
ヒミコ(マナ・邪馬台国の女王/仙名 彩世)… 華 優希
クコチヒコ(狗奴国の将/芹香 斗亜)… 聖乃 あすか


飛龍くん、華ちゃん、初主演おめでとうございます[黒ハート]
飛龍くんは98期、華ちゃん、聖乃くんは、100期なのね…ゆうひさんのさよなら公演で初舞台を踏んだのが98期…と思うと、時の流れるのは早いなぁ~と思います。


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新宿御苑の桜2017(4) [┣行ってきました!(旅・花・名所・展覧会)]

いよいよ桜の季節もおしまい。最後の新宿御苑です。


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こちらは、妹背。美しい八重桜です。


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風に揺れる一葉。数年前は一葉の満開ってすごかった記憶があるが、どうも去年辺りから、あまりすごさを感じない。木が老いたのだろうか[exclamation&question][あせあせ(飛び散る汗)]


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晩春の桜、梅護持数珠掛桜。愛らしい花です。


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こちらが、兼六園菊桜。新宿御苑では、菊桜系の桜はこのふたつのようです。


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そして一番最後に咲く、薔薇のようなこの花が福禄寿。
今、新宿御苑で一番勢いのある花かもしれない。


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「ノートルダムの鐘」 [┣ミュージカル]

近年の音楽に力を入れたディズニー映画は、後にミュージカル化して舞台作品となり、その後、もしかすると実写ミュージカル映画になる…らしい。なーんて、「美女と野獣」の公開に際して思ってみたり…。
ディズニーが舞台化する作品は、さまざまな経緯があるようだが、日本での上演は、劇団四季がすべて行っている。
「ライオンキング」はいまだにロングランを続けているし、現在は、「アラジン」「リトルマーメイド」…と、「キャッツ」以外のロングラン上演はすべてディズニー作品となっている。
そんな劇団四季のディズニー作品最新作がこの「ノートルダムの鐘」
なんとなくディズニー映画は、空くのを待っているうちにチャンスを逃してしまうことが多いのだが、この映画は珍しく観ている。
知っている感満載で、ウキウキと出掛けたところ、なにやら全然違う作品を見せられ、その重さにぐったりしてしまった…というのが今回の「ノートルダムの鐘」舞台版だった。アニメ版とストーリーを大きく変えているという点で、過去のディズニー・ミュージカルとは大きな違いがあると思った。
おそらく原作の設定を生かしたミュージカルということだと思うが、私、原作は読んでいないのだ。
あ、原作は、ヴィクトル・ユゴー。5月から再演される「レ・ミゼラブル」も彼の作品なので、ちょっとしたユゴー・ブームかもしれない。

アニメ版では、とにかく悪くてキモくて歌が上手い(笑)フロローだが、ミュージカルでは彼のこれまでの半生を描くところからスタートする。どうやら、カジモドは、フロローの弟とジプシーの間に生まれた子ども、という設定になるらしい。
親がなく、ノートルダム寺院で育った兄弟。清く正しく美しく生きようとしていた兄の人生を堕落させようとしているかのような美しい弟の存在が、兄・フロローの心をいつしか苛むようになっていた。ジプシー女と出奔した弟は、死の間際にフロローを呼び、生まれたばかりの息子を託した。何の因果か、一目で醜いとわかる赤ん坊だった。
弟の死後、フロローは赤子を連れ帰り、カジモド(出来損ないの意)と名付け、養育する。そして、大きくなったカジモドは、ノートルダムの鐘突き男となっていた。フロロー以外の誰とも接することなく、建物の石像が友達…というような日々を送っていた。
(そういえば、ここで三体のガーゴイルがカジモドの仲間…というアニメ設定が、そんなに親しそうじゃない石像達(人間がマントを被って表現)のコロスになっている時点で、結末を予想すべきだったかも?)
アニメ版のカジモドは、背が低く、背中が湾曲していて、顔つきも恐ろしい(できるだけユーモラスに描こうとしているので、恐怖をおぼえるような顔ではない)。その辺については、カジモド役の俳優が、背中に砂袋を背負って、身をかがめ、顔に墨を塗ることで、彼の外見を表現している。

その後の展開はほぼアニメ通りだが、アニメに登場するノートルダムの普通の司祭は出てこない(そもそもアニメでは、フロローは司祭ではない)ので、フロロー=神的図式があり、より絶望感が感じられる作り。フロローは、まともに見えるからこその恐ろしさを象徴していて、芝清道さんのキャラ作りもあって、圧巻。
で、最後に、あっと驚く悲劇的展開(たぶん原作通り)!
(すべて、私が、アニメしか知らないのがいけない。偉大なるヴィクトル・ユゴー様、ごめんなさい[もうやだ~(悲しい顔)]
エスメラルダ(岡村美南)は、なんとなくディズニーアニメの女性っぽい顔立ちで、すぐに馴染んだ。フィーバス(佐久間仁)は、背が高くハンサムで、こちらもディズニーっぽい雰囲気。クロパン(吉賀陶馬ワイス)やエスメラルダが操る、ぱーんと花火のようなものを出して、逃げるという技も、わくわくする。

ラスト、登場人物がすべて顔を墨で汚し、カジモド(田中彰孝)一人が素顔で肩の荷を下ろし、清々しい姿となる場面が印象的だった。
あと、鐘つき堂の内部のセットがすごくすてきだった。
別の場面では鐘が上がっていて、その場面だけ下りてくるんだけど、全身を使って鐘を突くカジモドも素敵だし、彼がこの仕事のために耳が聞こえにくくなっている、ということも含めて、ジーンとくる。
石像のコロスだけは、アニメ版がよすぎて、中途半端な存在がちょっと残念。メインキャラを三人くらいに絞って、キャラクター化してくれるともっと伝わるかな、と思った。
満喫でした[るんるん]


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「キャロル」ときめきアクティブ上映会レポ [┣大空ゆうひ]

ゆうひさんが、映画「キャロル」の“ときめきアクティブ上映会”というイベントに参加、短い時間だったが、いろいろお話ししてくれた。
今回の“ときめきアクティブ上映会”は、キャパシティ100名程度の空間で、あくまでも映画や原作本についてのトークで、大空ゆうひさん的に、なぜこの仕事を受けたんだろう…と、実は不思議だった。
もちろん、主催者側の北條さんは、大空さんの尊敬するアーティストであり、ライブMojiCAを作ってくれた同志でもあるので、「頼まれたから…」というのもひとつの立派な動機ではある。でも、それだけで…?そんなに義理堅いタイプなのかなぁ~[exclamation&question](失礼[あせあせ(飛び散る汗)])と思いながら会場へ。


ゆうひさんは、白のシンプルなチュニックに黒っぽい長めのネックレス、髪は下ろしていて、若干明るい色だった。足元は、ちょっと柄の入ったレギンスにサンダル。


ゆうひさん、いつも通り、控え目に、質問に対して的確に(盛ることもなく、引くこともなく)回答をしていた。映画「キャロル」についても、原作についてもよく知っていて、翻訳の先生が登場人物の名前をど忘れした時も、助け船を出していたり…あぁ、ちゃんと観てるんだな、読んでるんだな…しかも、今回のトークの前にもう一度、予習とかしてるよな…[ひらめき]とわかった。どんな仕事に対しても誠実なんだな、と。
すごくふんわりと存在していて、元トップスター!的重圧を感じさせないのも見事[ぴかぴか(新しい)]
ちなみに、ゆうひさんが「キャロル」を見た理由は、「ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが好きだから」ということなんだけど、ケイトに関しては、それだけでなく、彼女がエグゼクティブ・プロデューサーとしてこの映画に関わっていることに言及し、進行役の北條さんと共に、ハリウッドにおける女優の地位みたいな話を少しされていたのが印象に残った。
ハリウッドでは、俳優が映画製作に関わるケースが多い。映画監督としてもヒットを飛ばし続けるクリント・イーストウッドは有名だが、プロデューサーとして、自分が主演する映画にコミットする人も多い。トム・クルーズは、その代表格だろう。やりたい映画に出るためには、自分が製作するしかない…というハリウッド事情が透けて見える。
女優だって、同じ思いを抱えているだろう。特に年齢が上がるにつれ、主演映画に呼ばれる可能性は、ガクンと下がる。
ケイト・ブランシェットは、自身が主演する映画を自分で作りたいと願い、そして、「キャロル」の製作にコミットした。でも、構想から15年かかったという。ケイトほどの大女優でもそうなのか…というところにハリウッドの闇が見える。
(構想から15年かかったと思うと、今なおお美しいとはいえ、とても4歳児の母親に見えないケイト様がこの役を演じた執念を感じる。)
日本の演劇界で頑張っているゆうひさんが、ケイトのそんな部分に惹かれたというのは、すごくわかる気がした。
女優が主演の舞台は、待っていては、向こうからやってこない。自分がやりたい芝居は自分で探すしかない。その茨の道を行くケイト様の凛々しい姿をお手本にしようとしているのなら、こんなに素敵なことはないと思った。

一方、この映画は、1950年代の超保守的なアメリカで、同性愛はなんかの病気という価値観の中で揺れ動くキャロルという女性を中心にストーリーが展開していく。
(彼女の回りの女性といえば、「うちの嫁が変な病気になって可哀想」と信じて疑わない義母、吹っ切れて同性愛者としての人生を極める気満々の元恋人、そして、一途に自分を愛し、疑いなどみじんも持ちえない現恋人。そんな中、キャロル一人が揺れている。恋愛を貫けば、一人娘の親権を失う。女性としての愛と母親としての愛が両立できない。そんな心弱き女性でもあるキャロルを、心の中まで体幹が通っていそうなケイト様が演じているところが、すごーくミソだと思います。)
そんな作品を、かつて日本中の女性を本気で落としにかかっていただろう、大空祐飛さん⇒現在は大空ゆうひさんが、どう肯定するのか、あるいは特殊化するのか…というところにも、私は注目していた。
これについては、特殊な設定ではなく「普遍的な愛の物語」とそれに付随する障害というような視点で、この映画を考えている、というような、常識的な回答。ま、そうですよね。ゆうひさんのジェンダー論、すごく興味あるけど、こんな短い時間で語りつくせるとも思えないし、これがベスト回答でしょう。


ケイトの体幹とか筋肉とか背中とかハイヒールを履いた時の身のこなしとか、タバコの持ち方がエレガントとか…女優ならではの視点がとても面白かった
で、ケイトが、手を使わずに立ち上がるシーンの美しさについて、北條さんが言及された時、前にこの映画を見ている全員が肯いたと思うが、ゆうひさん、「どのシーンか、すぐにわかるなんて、みなさんすごいですね[ひらめき]とコメントしていて、あー、この人はそれができるんだな[exclamation×2]と逆に思った。
出来ない人は、というか、出来ないだろうなと自分を見ている人は、絶対、一度目で「ケイト立ったよ、すげー[目]」と、記憶に残っているから。


あと、若さゆえの一途さを見せるテレーズの魅力も熱く語っていて、二人の主人公のそれぞれに感情移入しながら見ていたんだな…と思うと、ゆうひさん、ほんとに女優さんなんだなーと、あらためて感慨深く感じたりして[わーい(嬉しい顔)]
5年前までは、映画を見ても男性役の方ばかり見てるって言ってましたもんね[るんるん]


で、映画の一番の見どころについて、「最後のキャロルの表情[黒ハート]」と、私の感想と同じだったことが、めっちゃ嬉しかったです。あ、私の感想はこちらです。


北條さんから、ぜひ、キャロル役をやってほしい…みたいな言葉があって、私もゆうひさんなら、キャロル、似合うんじゃないかな…[ひらめき]と、全面的に賛成[グッド(上向き矢印)]
ま、ゆうひさんがキャロルだと、私の中でテレーズは、すみかちゃん一択になっちゃうけど[るんるん]


 と、いつまでもゆひすみForeverな、私なのでした[わーい(嬉しい顔)](すみかちゃんも、ブログで、以前「キャロル」の素晴らしさを語っていましたよね[るんるん]


もう一人のゲストの柿沼先生(小説版「キャロル」の翻訳者)のノリの良さが素晴らしくて、先生のトークもツボがいっぱいでした[黒ハート]


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