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「24番地の桜の園」観劇 [┣演劇]

「24番地の桜の園」


作:アントン・チェーホフ
翻訳・脚色:木内宏昌
演出・脚色・美術:串田和美


照明:齋藤茂男
音楽:太田恵資
音響:市来邦比古
衣裳デザイン:太田雅公
ヘアメイク:佐藤裕子
振付:黒田育世
映像:栗山聡之
衣裳進行:中野かおる
美術助手:原田愛
演出助手:片岡正二郎
技術監督:櫻綴
舞台監督:横沢紅太郎、二瓶剛雄


24番地とは、東急Bunkamuraの住所らしい。
おそらく「24番地」を付けることで、この公演のための、この出演者のための新しい「桜の園」だよ、と言いたかったのかな…と思った。


「桜の園」自体は、我が家にチェーホフの全集があったので、読んでいたのだが、今回の演出(串田和美)は、かなり異質。
なんとも説明しがたい不思議な作品に仕上がっていた。
主演は、高橋克典らしい。高橋は、“桜の園”の農奴の息子だが、成功し、没落したラネーフスカヤ夫人が競売にかけた“桜の園”を競り落とすロパーヒン役。演劇公演の“主演”は、様々な力関係で決定し、作品の主役が“主演”になるとは限らないとはいえ、ロパーヒンが主演なのか[exclamation×2]とは、思った、さすがに。
大地主がたくさんの農奴を抱えて広大な領地を運営するという『時代』の終焉を、滅びゆく貴族側から描いた芝居を、新興勢力のロパーヒン主演でねぇ~[あせあせ(飛び散る汗)]
ちなみに、ラネーフスカヤ夫人役は、小林聡美。滅びゆく貴族を象徴するような居方をしていないのは、演出指示かな。でも、存在感はさすがだった。
その兄、ガーエフを風間杜夫。途中、三輪車に乘るシーンがあったりして、度胆を抜かれたが、「桜の園」の世界観を一身に背負っている感があった。
久世星佳は、ラネーフスカヤ夫人の娘、アーニャ(松井玲奈(可愛い[揺れるハート]))の家庭教師、シャルロッタ役。めっちゃ、変わり者の不思議なキャラクターで、客席を煙に巻いていた。最近のパンツ姿の似合うボーイッシュな久世は、かつての男役を彷彿とさせて、大好物。
しかし、何といっても一番驚いたのは、11月9日にスタートしたこの公演、10月14日に大千秋楽を迎えた「円生と志ん生」に出ていた大森博史池谷のぶえが出演していたことだろう。
ゆうひさんが、思っていた以上にお仕事熱心で慌てているファン一同だが、一般演劇界では、公演終わったらすぐに次の稽古みたいなサイクルが普通なのだろうか[ダッシュ(走り出すさま)]
池谷の声とセリフの間にすっかり惚れてしまって、セリフとセリフの間に、吸い込まれそうになった[るんるん]


脚本は、チェーホフ戯曲を大胆に変更していたが、私はチェーホフの、あのよく分からない言い回しが好きなので、それに関しては残念だった。


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リーディングドラマ「わが愛の譜」 [┣演劇]

リーディングドラマ
「わが愛の譜(うた)~滝廉太郎物語~」


原作:郷原宏
上演台本・演出:菅原道則
照明:阿部典夫(A Projekt)
衣裳:村上まさあき(東京衣裳)
制作:佐野仁志
プロデューサー:岡本多鶴
主催・製作:アーティストジャパン


かの有名な滝廉太郎の短い人生をその音楽で綴ったリーディングドラマ。大阪・東京各1回しか上演しない…という、もったいないステージに行ってきました。


最近流行りのリーディングドラマ。
出演者は4人。登場人物は19人。主演の松村湧太は、滝廉太郎を演じるのみなので、3人で18人…一人6役計算…[爆弾]役ごとに衣裳を変えるわけではないので、ナレーションも付けて、今、誰を演じているのか分かるように演じられている。
また、ステージ上にいくつも椅子が置いてあって、場面ごとに出演者がその椅子に座り、台本を読んで、ハケる…みたいな形で進行していく。廉太郎役の松村だけは、センターのピアノ椅子に座って芝居することも多かった。舞台のセンターにピアノが置いてあるだけのシンプルなセットなので、椅子の配置が難しかったのかな。
(ピアノをたとえば下手に設置して、椅子を上手に設置してしまうと、下手側には常に松村がいて、他の三人が上手側固定になってしまう。観客サービスという意味で、ピアノをセンターに配置し、椅子を上下に置いて、出演者が上手にも下手にも登場できるようにした…ということかと理解しました[ひらめき]
ドラマは、滝廉太郎が16歳で東京音楽学校(現・東京藝術大学)に入学したところから始まり、23歳で夭折するまでの短い人生が描かれる。それがただ朗読されるだけでなく、松村自身のピアノと尺八の演奏、そした帆風成海・亜聖樹・田中由也の歌も含めて紹介される。
23歳で亡くなった作曲家なので、「花」「箱根八里」「荒城の月」の三曲くらいしか残っていないのか…と漠然と思っていたが、肺結核で亡くなったため、感染を怖れた周囲によりかなりの楽譜が焼却されてしまったものの、残された作品は決してそれだけではなかった。(現在、存在が確認されている楽曲は34曲とのこと。)
特に、ピアノ曲「憾(うらみ)」の旋律の美しさ、切なさには、言葉に出来ないほどの感動を覚えた。
また、幼稚園唱歌として童謡を作曲したり、四季の歌を連作で作ったり…とバラエティーに富んだ作品を生んでいたことも知った。
名作「荒城の月」は、作詞の土井晩翠とは一度も会うことなく作曲されたのだとか。だから、荒城の月のモデルが仙台城(土井晩翠の故郷の近く)とも、大分県の岡城(滝廉太郎の父の郷里であり、廉太郎が晩年を過ごした地の近く)とも言われているのね…。作詞者・作曲者、それぞれの“荒城の月”があって、そのイメージの合作だったとは[ひらめき]


出演者は、みな和服姿がよく似合い、帆風亜聖はとりわけ美しかった。
出ハケが慌ただしいのと、三人が演じるには役が多すぎて混乱するところは残念だったが、滝廉太郎という不世出の天才を紹介するドラマとして、素晴らしい取り組みだったと思う。
特に廉太郎の楽曲をたくさん(13曲かな)聴くことができたのは、本当に幸せな経験だった。そして、そんな廉太郎を生み出した明治という時代、もしかして、かなり新しい時代だったのかもしれない…と感じた。


ホタテ見たさに行ったけど、本当に行けてよかったです[黒ハート]


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カムカムミニキーナ「ダイナリィ」観劇 [┣演劇]

「ダイナリィ」


作・演出:松村武
美術:中根聡子
音楽:土屋玲子
照明:林之弘(六工房)
照明操作:小野寺純子、高橋翔太郎
音響:山下菜美子(mintAvenue inc.)、中島有城
衣裳:勅使河原恵美
振付:山口加菜
舞台監督:原田譲二、小川信濃(カフンタ)
舞台監督助手:有賀史春
演出助手:芹井祐文
演出補:藤條学
大道具製作:C-COM、後藤皓久
小道具協力:高津装飾美術、天野雄大
油揚げ提供:高橋商店
運搬:加藤運輸、流石享江


カムカムミニキーナの公演は、たぶんこれが初めて。
山崎樹範主演ということで、久しぶりの座・高円寺にやってきた。


さて、このマーク、ご存じですか[exclamation&question]


「>」


たとえば、「A>B」を日本語で、どう読むか。
大昔、算数の授業でやった気がしませんか[exclamation&question]


「AだいなりB」と読むんですよね。


ということで、今回の芝居のタイトルは、「ダイナリィ」。しかも、「>」←このマーク、キツネの顔にも見える、ということで、狐憑きや稲荷神社が登場する。
そして、登場人物の名前が…
葛葉、安倍保名、安倍晴明(安倍晴明とその両親)
安倍マリア(アベマリア)
蘆屋道満(安倍晴明のライバル)
前島密(1円切手の人。郵便・切手・葉書の命名者)
など、著名人も登場する。なんで前島だけ明治の人[exclamation&question]と思うが、前島以外は劇中劇の登場人物で、前島(亀岡孝洋)は、蘆屋道満を演じる。そして、安倍晴明や蘆屋道満は、我々の知っている「あの人たち」ではなく、あくまでも「ダイナリィ」の中の登場人物の名前ということになっている。


記憶喪失で発見された少女、安倍マリア(豊原江理佳)の記憶を取り戻すために、劇団芸能革命の代表、憩健太(山崎樹範)は力を尽くしている。彼女の身を心配する警察官、原龍彦(成清正紀)は、演劇を利用する手法には懐疑的だが、劇団の看板女優は実姉の原潮来(藤田記子)なので、しょっちゅう劇団には顔を出している。
その劇団には、内閣表現規制調査会の岩清水策士(清水宏)や、前島密がいて、この人たちの存在がかなり不気味。
劇団芸能革命の存亡をかけて、彼らが演じる即興演劇「アベマリアの真実」は、安倍マリアに本人役を演じさせ、彼女の出生の秘密を浮き彫りにしていく。
名前がアベマリアであっても、安倍晴明が出てきても、舞台は、架空の宗教法人《だいなり明神》。狐憑きの力を利用して、日本を戦争に駆り立てるのが、死後もこの法人を操る安倍晴明。


何が何だか分かったような、分からないような物語が、一風変わったステージで繰り広げられる。
ステージは、三方を客席に囲まれた「島」のような存在。周囲の舞台になっていない部分がそれを「島」のように見せる。出演者は、舞台下の奈落(客席から見える)と本舞台を行ったり来たり駆けまわる。
そのパワーに圧倒された公演だった。
お目当ての山崎さんは、長ぜりふが多く、しかもすごい早口で言わねばならない、大変な役。そして、彼の肩には、「表現の自由」という大きなものの存亡がかかっている。ものすごい重圧をものともせず、力技で乗り切り、感動した。
その他の出演者も、みんなすごいパワーだった[ぴかぴか(新しい)]


演劇の表現の自由を制限し、日本を戦争に導こうとする不滅の魂、安倍に対抗するには、このパワーしかないんだな、と思うような舞台だった。
(あくまでも、お芝居の話ですヨ[わーい(嬉しい顔)]


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「ペコロスの母に会いに行く」観劇 [┣演劇]

「ペコロスの母に会いに行く」


原作:岡野雄一(西日本新聞社刊)
脚本:道又力
演出:喰始


美術:倉本政典
照明:須賀智己
音楽:吉田さとる
音響・効果:秦大介
舞台監督:赤塚幸信
振付:菅原鷹志
方言指導:省吾
衣裳協力:ワハハ本舗
小道具:藤浪小道具
床山:山田かつら
衣裳:東京衣裳

以前、長崎を舞台にした心温まるマンガだよ、と友人に教えてもらい、ちょうど母の認知症に直面していた時期だったので、すぐに購入、とても勇気づけられた記憶がある。
岡野雄一さんという、長崎在住の漫画家の描く「母の認知症」との格闘劇は、とてもやさしくてユーモラスで、“認知症”を肯定しつつ描いているところに著者の人柄が見える感じがして、読んで本当によかったと思っている。
舞台化されていたことは知らなくて、今回、ケロさんこと汐美真帆さんが出演されると聞いて、初めて観劇した。

岡野ユウイチ(田村亮)は、母・ミツエ(藤田弓子)から呼び出され、実家に戻る。すると、近所の三浦悦子(西川鯉娘)とその娘の春子(鈴木千琴)から、再婚のお祝いを言われて面食らう。友人の小林健司(酒井敏也)と新妻・紀子(汐美真帆)は、父・サトルの13回忌と聞いてきたらしく喪服姿。もう一人の友人、清水芳夫(佐藤正宏)は、ユウイチが警察から表彰されたと言い出す。健司の父・甚衛門(外山高士)は、ミツエが引っ越すと聞いて一升瓶を持ってやってくる。そこに、孫(ユウイチの息子)のマサキ(室龍規)まで、ユウイチが昇進したと聞いて東京から祝いに帰ってくる。
すべて、ミツエが知らせたのだった。おおぜいの人に囲まれて幸せそうなミツエだったが、それは策略というよりは、老いの影響ではないか…ユウイチは、母と同居することを決意する。


マサキも仕事を辞めてUターンしてきた。が、少しずつ、ミツエの認知症は進行していく。
ある日、老人を狙った詐欺師の沼田鉄郎(省吾)と有栖川国男(前田倫良)が、ミツエの家でバッティングする。二人は、ボケたミツエから金を取ろうとするが、その優しさに心を打たれ、詐欺師を辞めて真っ当に働くことを決意するのだった。
認知症が進行したミツエは、そのかわり、仏壇の中に住む夫のサトル(田村・二役)や、子供の頃の親友・ちえちゃんこと立花ちえ子(竹井京子)の姿を見るようになっていた。
ある日、脳梗塞で倒れたミツエは、有料老人ホームあじさいで暮らすことになった。そこには、老いを自覚した甚衛門も先に入所していた。ほかに、元大衆演劇の役者だった南原恒男(西川鯉之亟)、セクハラ気味のトークが多い松本耕助(稲吉靖司)、身寄りのいない安井とき(冨田恵子)、歌が大好きな津島うめ(眞乃ゆりあ)がいて、職員の工藤仁美(木村理恵)や、本間夏夫(瀬田よしひと)、辺見和花子(荒川朋恵)、新人の和田高志(木部耕輔)と一緒にことわざ大喜利などをやって日々を過ごしていた。
(ことわざ大喜利とは、ことわざを思い出して認知症の進行を抑えようという主旨だったのが、だんだんネタとしてのボケをやってみせる老人たちによって方向性が変化したゲームとのこと。)


ある日、ホームに、素人芸人コンビがやって来る。それは、あの日の詐欺師二人だった。ミツエに会って改心した二人は、ボランティアで老人ホームを回って、オレオレ詐欺などの啓蒙コントをやっているのだった。
ミツエは、歩行器に乘って脳梗塞のリハビリを懸命に行い、身体の方はすっかりもとに戻してしまった。そして、亡き夫に会いたいから、と仏壇をほしがったりするものの、本間の描いた仏壇の絵で納得したり、ボケているんだか、現実と折り合っているんだか、あじさいでの生活にもすっかり慣れたようだった。


そして今年も敬老会が近づいてきたのだが、ユウイチは、ミツエにもう一度、“ランタン祭り”を見せてやりたいと言い出す。本物のランタン祭りはイベント化してしまっているし、とても混んでいるから、ミツエを連れて行くのは無理なので、フェイクでいいから、見せてやりたいというのだ。そのためには、盛大な敬老会にしないと、大量のランタンの灯りを見せられない。
そして、スタッフも入所者も知り合いを呼びまくり、当日を迎える。ランタンは、休憩時間に客席に配られている。客席がランタンを揺らし、ミツエさんにあの日の(ユウイチが幼い日、夫婦で眼鏡橋から見たランタンがミツエは忘れられなかったのだ!)ランタン祭りを見せてやれる…というのがクライマックス。
ここに持って行くために、ちょっとした伏線がある。
ユウイチの幼馴染メンバーは、髪にも女にも縁がない。ユウイチは離婚してしまったし、芳夫はずっと独身で今はホームの主任・仁美に岡惚れしているが相手にされていない。健司は60にしてようやく結婚できた。で、ユウイチはペコロス(つるんとした玉ねぎ頭)だし、芳夫はかなり薄いし、そして健司はカツラなのを新妻に隠していた。(それがバレたのがひと騒動だったのだが、実は紀子はハゲのことは気にしていなかった。)
ミツエさんの認知症は、まだらっぽい感じで、時々急に色々わからなくなったりする。
この時も、ランタン祭りのことを思い出さなくなって危機一髪。そこでユウイチが健司のカツラをスポッとかぶって、それを見たミツエがサトルを思い出して一件落着。(サトルは晩年まで髪がふさふさしていて、顔はミツエさんの脳内ではユウイチに似ていたらしい。だから、ユウイチがカツラをかぶると、ミツエさんは夫のサトルだと思う。)二人で、お手製の眼鏡橋に登って客席のランタンを眺める。そこで、「ユウイチがいない!」と言い出すミツエ。その時、孫のマサキが反対側からミツエの手を握る。幸せそうな一家の姿に安堵して幕。

藤田弓子演じるお母さんが、もう、ちっちゃくて丸くて、原作マンガ通り。かわいくてしょうがない。
脳梗塞からのリハビリで歩く練習をする場面など、片足の感覚がなくなっている人の歩き方がリアルで、膨大な台詞も完璧。役柄は認知症のおばあちゃんだが、演じる藤田のタフさに感服した。
ランタン祭りの場面を客席参加にしたり、その際、客席への仕込みもバッチリな感じもよい。
また、ホームの特技披露の中で、宝塚風のデュエットソングが入ったり(曲は「三年目の浮気」だけど、出演者は元ジェンヌの眞乃汐美)、途中で腰痛を起こした南原の代わりに、どういうわけかユウイチが殺陣をやることになり、そこで「よっ、ばんつまっ[exclamation]」という掛け声がかかったり…という、くすぐりもあったりする。(田村は往年の時代劇スター、坂東妻三郎の三男)
あと、バリバリのキャリアウーマンだったが身寄りがなくて入所したという安井さん(冨田恵子)の姿に、身につまされる気がしたが、冨田さんの謎の粋なダンス力(全員がちょっと振りで踊る時、特に説明もなく、冨田さんだけが、華麗なステップを踏んでいる)に、色々頑張ろうと思う私だった[わーい(嬉しい顔)]


ケロさんを観たくて行った公演だったが、思った以上にほろっとさせられて、行ってよかったと思った。
詐欺師役で、スタジオライフの前田さん(Jr.4)が出演していたのも嬉しかった[黒ハート]


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「危険な関係」観劇 [┣演劇]

シアターコクーン・オンレパートリー2017
DISCOVER WORLD THEATRE vol.2
「危険な関係」


原作:コデルロス・ド・ラクロ「LES LIAISONS DANGEREUSES」


作:クリストファー・ハンプトン
翻訳:広田敦郎


演出:リチャード・トワイマン
美術・衣裳:ジョン・ボウサー


照明:日下靖順
音楽:かみむら周平
音響:長野朋美
ヘアメイク:佐藤裕子
ファイティングコーディネーター:渥美博


通訳:時田曜子
アソシエイト・デザイナー:ジーン・チャン
演出助手:桐山知也
舞台監督:北條孝、上田光成


玉木宏・鈴木京香・野々すみ花で「危険な関係」をやる!と聞いた時から、これは観なくては!と思っていた。まあ、絶対ラブシーンとかあるから、耐えられるかな…という不安はありつつも。(けっこうピュアなすみ花ファンである。)


さて、今回の舞台、外国(fromロンドン)の演出家と舞台美術・衣裳担当とのことだったが、背景の庭園やパティオが日本庭園風だったり、登場人物が華道をやったり、衣装に帯のようなものが使用されていたり…と、かなりジャパネスクを意識したスタイル。
日本人の観客に向けての芝居として、あまり効果的とは思えない
が、西洋人の演出家は、日本人が洋装で西洋の芝居をすることは醜いと思っているのかしら[exclamation&question]ちょっと気になる。
ただ、とはいえ、女性出演者の衣装は、本人によく似合っていて素晴らしかった。セシルは道化だからちょっとアレだけど[爆弾]

原作の「危険な関係」自体は知らなくて、私はもっぱら宝塚の「仮面のロマネスク」で、この作品を知るのみなわけですが[あせあせ(飛び散る汗)]思っていた以上にそのまんまの話だった。なので、ストーリーの説明は不要かな。
メルトゥイユ夫人(鈴木京香)の社交界でのポジションは、そもそもこの舞台に“社交界”の場面がないのでわからない。が、宝塚版に出てくる“世間知らず”的な仮面は登場しない。若き未亡人として、他の貴婦人たちの相談相手になっている頼りがいのある女性、みたいな感じ。
宝塚版では、彼女が秘密の恋人を持っていることが、どうしてバレないのか、なかなか不思議ではあったが、そこはトップ娘役の力量でねじ伏せられてしまっていた。鈴木のメルトゥイユは、その理由を台詞で説明してくれる。
男を怒らせないこと。そのためには、自分の方が飽き飽きしている関係でも、追いかけて、捨てないでと懇願して、男に捨てさせる芝居を打たなければならない。そうすれば男のプライドは満たされ、可哀想な女を捨てたことは黙っているというわけだ。(ということは、メルトゥイユ自身、社交界の花形から少し離れた位置で地味を装っているのだろうとも想像できる。だって、社交界の花形だったら、手に入れた時点でしゃべる男とか居そうだもの。)
そして、宝塚版では、もう一人のヒロインのような扱いを受けているセシル(青山美郷)は、ここでは道化の扱い。彼女の疑ぐり深くない素直さや、好意に好意で返す親しみやすさは、美徳ではなく、頭の悪さや身持ちの悪さの象徴になっている。
その一方で、厳しい一方だったセシルの母・ヴォランジェ夫人(高橋恵子)は、思慮深いが色っぽい美人だし、ヴァルモン(玉木宏)の叔母・ロズモンド夫人(新橋耐子)も、多少の色事には動じない太っ腹な女性。そして、野々すみ花演じるトゥルヴェル夫人に至っては、演出家が彼女の芸名の意味を知っているのか、というくらい、野に咲く小さな花のようなつましく美しい少女。
ほかに登場人物は、騎士ダンスニー(千葉雄大)、ヴァルモンとつかず離れずの関係を保っている娼婦のエミリー(土井ケイト)、ヴァルモンの従僕・アゾラン(佐藤永典)、その他使用人などの役を演じる冨丘弘黒田こらんのみ。
トゥルヴェルの夫の法院長や、メルトゥイユの恋人・ベルロッシュ、セシルのフィアンセ・ジェルクール、小間使いのジュリーなどは、台詞の中に登場するだけで、実際に舞台には登場しない。
これらの人物が登場しないことにより、三角関係のドロドロした愛憎は劇中から感じられない。恋の駆け引きとゲームを愉しんでいるようで、苦しんでいる人々の人間模様が濃密に描かれる感じ。特にメルトゥイユからは、ヴァルモンと「似た者同士」の嗜好を持ちながら、女であるために、ヴァルモンの何倍も苦労していることの理不尽さへの怒りを強く感じた。これは、なぜこの二人がハッピーエンドにならなかったのか、その理由がよくわかる筋立てだと思った。
あとは、脚本家・演出家の好みみたいな部分もあると思うのだが、いわゆるヒロイン格(主人公の男性の唯一無二の思い人)は、トゥルヴェル夫人ということになるんだろうな[ひらめき]
メルトゥイユは、女性主人公という位置づけで。
様々な生きづらい環境の中にあって、それでも逞しく時代を生き抜く女性の強さを感じる作品。
すべてを失いつつある時に、それでも気丈に年を取ることを受け入れようとするメルトゥイユのラストシーンは、今年の演劇シーンの中でも特筆に値するシーンだった。この場面に繋がりやすくなるような、奇抜なメイクを試みた方がよかったのかな、とも思った。実は、一人メイクが残念だったので。
でも、表情も素晴らしかったからな…あんまり、凝ったメイクも良くないかも…。
トゥルヴェルは、宝塚版よりずっと若く、少女のまま法院長夫人になってしまった感じ。
宝塚版では、貞操堅固で信仰心の篤い、野暮ったいくらいに物堅い女性というキャラクターだが、今回のトゥルヴェルは、素直で正直なところはセシルと変わらず、違いといえば、好奇心よりも恐怖心の方が強いというところ。
怯える小動物のようなトゥルヴェルは、当初はヴァルモンに誘惑されそうになって、意識を失う。この時、意識を失くしながらも身体は激しく痙攣し、ヒステリーの発作のよう。言葉では拒絶しても、既に心と体はヴァルモンを求めて悶絶している。ロズモンド夫人の助言もあり、一度は振り切ってパリに戻ったものの、ヴァルモンの接見を許してからは、彼の思うつぼ。とうとう愛を誓ってしまう。
ドキドキしていたラブシーンは、一幕のラストにヴァルモンではなく、ロズモンド夫人にぶちゅっとキスされてしまい、その衝撃で、わりとどうでもよくなった。でも、さすが宝塚出身というか、ゆうひさんの相手役さんというか、所作がとても綺麗だし、どんな時でも、これはすみかじゃなくて、トゥルヴェル夫人なのだ、と思える演技力のおかげで、それほど重大事に感じなかった。
(もしかすると事務所の方針で必要以上に過激なシーンはご法度なのか、すみかに関しては、お子様でも問題なく見られるようなシーンなので、未見の皆様もご安心ください。)
二人の間には、とてもめくるめく官能の時間が続いたと思われるが、そこはヴァルモンの台詞に委ねられる。
そして、メルトゥイユに引き裂かれたものの、実は、二人の想いは純愛で繋がり続けていた、という解釈で、ヴァルモンの死(ダンスニーに殺される)が描かれ、それを知ったトゥルヴェルの心神喪失からの病死が語られる。これはこれで、納得できる筋書。


で、主演の玉木さん。
とにかくよく脱ぐ[あせあせ(飛び散る汗)]しかし、それも仕方ないかもしれない。あの肉体美を見せないのは、神への冒涜[ぴかぴか(新しい)]どんどん脱いで下さい[exclamation×2]
また、上半身裸になるだけでなく、ズボンを下ろす場面も多いのだが、その手際が美しいというか、あんなに素敵にカッコよくズボンを穿く人を私は知らない[ぴかぴか(新しい)]
玉木さん的には、京香さんは一回り年上だったり、高橋さんは二回り以上年上だったりするけど、ちゃんと恋愛対象に見えているところが、すごいな…と思う。ヴォランジェ夫人と過去に何かあったようなことをベッドの上でセシルに語る場面があるのだが、うん、そういうことがあっても不思議じゃないよね、と。
千葉くんは、先週の土曜日にみまかったばかり(朝ドラ)なので、生きている姿を見られてよかった…[黒ハート]と。ダンスニーもよくわかんない人だな―とは思うが、若さゆえ…といったところか。


さて、まだ今年もあと2カ月残っているけど、今年のMY最優秀女優賞は、新橋耐子さんに決定です。あの存在感、美しさ、表現力、そして独特の色気…まいりました[exclamation×2]


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「人間風車」観劇 [┣演劇]

PARCO&CUBE 20th present
「人間風車」


作:後藤ひろひと
演出:河原雅彦


美術:石原敬
音楽:和田俊輔
照明:大島祐夫
音響:大木裕介
衣裳:高木阿友子
ヘアメイク:河村陽子
殺陣指導:前田悟
演出助手:元吉庸泰
舞台監督:榎太郎、安達徳仁


人間風車ってプロレス技の名前だったんですね。知らなかった…[ひらめき]
ビル・ロビンソンという先週の開発した、ダブルアーム・スープレックスのことを日本では「人間風車」と呼んだようです。
私がプロレス好きだった頃は、ジャーマン・スープレックス全盛時だったので、ダブルアーム・スープレックスという技は知らなかったな~。


でも物語はプロレスとは直接関係がなくて、一人の童話作家(成河)が想像した物語を、その通りに体現してしまう青年(加藤諒)が、作家のメンタル最悪な時に作ったホラー童話に呼応して猟奇的事件を起こしてしまう…まあ、そんな物語。
初演・再演を観ていた友人から、「覚悟するように」と言われていたけど、大丈夫、とてもよかった[黒ハート]
たしかにホラーだし、苦手な場面もあったけど、それも含めて、良かった。主演の成河が、童話作家の心を繊細に丁寧に作り上げていたからかな、残酷な場面でも彼に寄り添って観ることができた。
この人が出る作品は間違いない、そういう演者にどんどん出会えているのが嬉しい。

そしてヒロインのミムラ。いつも一生懸命で、いつも笑顔で、でも不幸が降りかかってくる役が似合いすぎる。笑顔のまま、弟の人生を引き受けることになった事件を語る場面が痛々しかった。この二人のとても丁寧な芝居が、荒唐無稽な脚本を哀しい童話にまで引き上げていた。
そして、加藤の怪演も忘れられない。


そんな中、チャラくて、恥ずべきテレビディレクターとして、飄々と現れる矢崎広突き抜けたゲスっぷりに、納得。
役者として、突き進むんだな[パンチ]よし、これからも、応援するよ[黒ハート]


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「サブマリン」観劇 [┣演劇]

東京ハートブレイカーズ
「サブマリン」


原作:伊坂幸太郎「サブマリン」(講談社文芸ピース刊)
脚本・演出:益山貴司


楽曲提供:西山宏幸
演出助手:田原寛也
衣装協力:実川貴美子
映像記録:庄村拓也
写真:安東愛有子
宣伝美術:ムロオカ
制作協力:仲村和生
主催:(株)ナッポスユナイテッド
Special Thanks:(公財)アイメイト協会
企画・製作:首藤健祐


私が観劇した夜、吉祥寺の駅に降り立ったら、ものすごい豪雨。
そこから劇場となるライブハウスに着くまでの間の水攻めはひどいもので、自分がサブマリンになって水中を歩いているような気分になった。


さて、今回の劇場は、ライブハウス。
ライブハウスの場合、ワンドリンク注文が必須ということが多く、私はジントニックかなんか頼んでみました。あんまり観劇前にお酒を飲むことは多くないんですが。ちょっとアウェー感があったので、お酒でいい感じにほぐれてよかったかな。


原作は伊坂幸太郎。
以前も、今回のお目当て、多田直人が出演した「アヒルと鴨とコインロッカー」が伊坂氏の作品だった。
その時も思ったのだが、伊坂氏の作品、結局、原作通りに進めるのが一番面白いという結論になるんだろうなー。小説なのに、立体的に完成してしまっているというか。そして、エンターテイメントとして、とても面白い。だから、舞台化もされるということなのだろう。
で、今回の「サブマリン」、伊坂氏の短編「チルドレン」の続編的な物語になっていて、家庭裁判所の破天荒な調査員、陣内(首藤健祐)が大活躍する。もちろん関係する事件などは、独立しているので、「チルドレン」を知らない私などでもついて行けるのだが、「チルドレン」の中の登場人物(本作には登場しない)について、曖昧にされている部分が、舞台上でも曖昧にされた形で登場するので、「あれ、なんか聞き逃した伏線が?」と思ってしまった。 あれは、切れなかったのかな[むかっ(怒り)] (あれのおかげで、「チルドレン」という作品に興味を持った、ということはありつつも。)


少年犯罪は、基本的に、家庭裁判所で事実だけでなく家庭環境なども詳しく調査し、裁判官が主導する裁判において量刑が決められる。あくまでも更生が目的であり、処罰に重きを置いていない。なので、家庭裁判所の調査員は、対象となる少年に対して、検察官のような姿勢ではなく、保護司のような姿勢で臨んでいて、裁判において保護観察処分となった少年のもとにも定期的に訪れたりしている。
今回登場する「裁判案件」は、棚岡佑真(白又敦)という少年が無免許運転で男性を死なせてしまった、という事件。佑真は逮捕後に事件を起こしたと認めており、事実認定を争う話ではない。家裁送致後、それ以上の供述を拒む少年に疑問を抱き、彼が事件を起こした本当の理由を調べようと、陣内や部下の武藤(岡田達也)が奮闘する、というのが基本のストーリーだ。
で、主演は、この佑真役の白又ということになっている。
なんだけど、彼は黙秘している。黙秘してるから、出てきても台詞がない。
しかも、陣内さんはおせっかいなので、勝手に事件を調べまくり、その過程が芝居になっているので、出演シーンも多くない。
あ、久々、佑真登場[あせあせ(飛び散る汗)]という感じ。
さらに、佑真の小学校時代の友人、田村守(末原拓馬)が登場し、「本当の動機」をめぐるエピソードで場をさらう。まあ、さらって当然の役者なのだけど。
その上、その「本当の動機」である、彼らの友人の命を奪った事故を起こした元少年・若林(多田直人)のエピソードが入る。これがまた場をさらう。まあさらって当然ではある。
これだけでもひどいところにもってきて、話をややこしくするためのダミーの事件と犯人がいて、そこでも、陣内の友人、盲導犬を連れた男・永瀬(井俣太良)が場をさらう。これまたさらって当然だよね。
で、推理小説あるある、の、解決のヒントをさらっと教えてくれるキャラクターがいて、それは、現在保護観察中の、ネット掲示板で脅迫事件を起こした少年、小山田俊(岩義人)なのだが、これがまたおいしいのなんのって。
そういうわけで、入口にたくさんの花輪を出してもらっていた主演俳優さんが、まったくかすんでしまったように見える舞台だった。
それでも成立していたから、観客としては、まったく気にならない、というか、自分の中では、甚内と武藤のコンビが主役だと思っているので、全然いいんだけど、白又くん本人的に、これで主演とか、いいんだろうか、と逆に心配になった。
(事務所間の政治的なあれこれで、名目上の主演がほしかった、とかなら、これ以上言わないけどね。)
最後に、なぜかライブがついていて、多田さんのギターなんかも聴けて、非常にお得な公演でした。
雨の吉祥寺19:30開演はキツかったけど、観て良かった[exclamation×2]
ちなみにここでも一番目立っていたのは、小山田少年でした。 目立ったもん勝ちってことですかね[爆弾]


原作小説も気になったが、文庫になっていなかったので、しばらく様子見かな。


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「冒した者」観劇 [┣演劇]

文学座創立80周年記念
文学座9月アトリエの会
「冒した者」


作:三好十郎
演出:上村聡史


美術:乘峯雅寛
照明:沢田祐二
音響:藤田赤目
衣裳:宮本宣子
舞台監督:寺田修
フルート指導:杉原夏海
三味線指導:松永鉄九郎
制作:白田聡、松田みず穂


昭和27年。東京にはまだ空襲で焼け残り、中途半端な形で存在する半壊した建物が存在していたようだ。
そんなヤバい建物に、9名の人間が暮らしていた。
戦争で家をなくしたり、家族を失ったり、仕事がなかったり…と、まだ生活を立て直せていない人々が、身を寄せ合うようにして暮らす建物。語り手の「私」(大滝寛)は、その中では一番の新参者。彼は劇作家だが、妻を亡くしてから、すべてに意欲をなくしている状態。
巨大な穴(隕石の痕のような)のある大きな岩のような不思議な、足場の悪いステージの上で、様々な人間ドラマが繰り広げられる。
まあ、途中までは、問題があっても家族の中の諍いだったり。
ところが、そこへ、3人も人を殺したらしい男が逃げ込んでくる。それを機に、微妙な均衡を保っていた9名のバランスが崩れ、誰も彼もが激しく罵り合うようになる。ま、そもそも、「私」以外の全員が親戚関係なので、この屋敷の相続など、諍いのネタにはことかかないのだ。
すべての原因である須永(奥田一平)は、人を殺した実感がない、と言う。彼が殺したのは、亡くなった恋人・鮎子の両親と偶然居合わせた米屋。恋人は、須永と心中する約束をしていたのに、直前に自殺したという。ここで暮らす医師の舟木(中村彰男)は、セックスフォビアが自殺の原因に違いないと言う。
舟木の弟、省三(佐川和正)は、戦争で人を殺した(捕虜を銃剣で突き殺した)ことがトラウマになっている。彼は、相場師・若宮(若松泰弘)の娘、房代(吉野実紗)に内心気があるのだが、彼女が進駐軍に出入りしていることが気に食わない。
ほかにも、この家のオーナー(元満洲の高官で高齢)と芸者の間に生まれた柳子(栗田桃子)は、三味線を弾いて日々を過ごしていたが、須永の来訪をきっかけに、突然色の道を思い出し、彼を追いかけ回す。
須永は、以前も「私」を訪ねてたびたびこの家を訪れていたが、鮎子という恋人がいるにもかかわれず、管理人、浮山(大場泰正)の遠縁の娘、モモちゃん(金松彩夏)のことをかなり気に入っており、鮎子が死んだ今は、かなりモモちゃんに気持ちが傾いている。
モモちゃんは、広島で原爆禍に遭った娘で、治療の薬がもとで失明している。


物語は、それぞれの人の心の歪みを浮き彫りにしながら、約4時間(間に休憩を2回挟む)の長丁場。それをを飽きさせずに、見せる演出に脱帽。決して奇をてらわず(舞台装置はかなりアバンギャルドだけど)、丁寧に各々の人物像を造形していく。
上演時間を知った時は目眩がしたが、終わった時は、不思議な高揚感の中にいた。


最後の方、月明かりの中、須永とモモちゃんが全裸で登場する。モモちゃんは、原爆のケロイドが半身を覆っているという設定で、左胸をあらわにしたくらいで、あとは肉布団だったりするのだが、須永は、全身を真っ赤に塗りたくった全裸。色が付いていれば、全裸で出てもいいんだ…てか、アトリエという狭い劇場で、全裸か…などと、そちらばかり考えてしまう修行の足りない私なのでした。(汗)


この物語は、昭和27年という、戦争からようやく立ち直ろうとし始めた日本の中で、市井の人々が日々とどんなふうに向き合ってきたか、みたいなことが丁寧に描かれている。
そこには、戦争の影が、まだ色濃く残っていて、社会を担うべき若者の多くが復員兵で、みんなトラウマを抱えていたり、大学生たちは、戦場に行った経験はないものの、須永のように、生きている実感を感じていなかったり。この作品に出てくる人物の特徴なのか、その時代の空気だったのか、私には知るすべもない。
でも、鮎子の父親が、元軍人と一緒に新しい何かを立ち上げようとしていたり、米屋が国民服を着ていたり…と、まだまだ戦後継続中だったのだろうな、と感じた。


決して楽しい作品ではないが、観てよかった。とても心が震えた。
そして、65年前の日本が、どこか、今の日本に似ているような気がして、背筋がぞくっとするのだった。


房代役の吉野実紗さん、「天守物語」「安倍晴明」で、ゆうひさんと共演していたのを思い出しました。


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「グローリアス!」観劇 [┣演劇]

「グローリアス!」


作:Peter Quilter
翻訳:芦沢みどり
演出:鈴木勝秀


美術:伊藤雅子
照明:吉川ひろ子
音響:井上正弘
衣裳:前田文子
ヘアメイク:川端富生
演出助手:山田美紀
歌唱指導:大嶋吾郎
舞台監督:村田明
舞台製作:クリエイティブ・アート・スィンク 加賀谷吉之輔
制作:伊藤夏恵、山家かおり、市瀬玉子
プロデューサー:江口剛史
制作協力:ミーアンドハーコーポレーション
企画・製作:シーエイティブ・プロデュース


出演:篠井英介、水田航生、彩吹真央 ピアニスト:栗山梢


映画や舞台などでも何度か取り上げられている、フローレンス・フォスター・ジェンキンズという実在の歌手。なぜ、そんなに取り上げられるかというと、彼女は、誰もが納得する「音痴」だったから。
彼女は親の遺産がたっぷりあったらしく、そのお金で、何度もリサイタルを開く。
友人・知人は、彼女の歌が、まあ、ほぼほぼ大好きなのだが、心無い一部の人が、わざわざ聴きに来ては、彼女の音痴を揶揄するので、今では、チケット販売の前に面接を実施しているらしい。


物語は、ピアニストが突然辞めてしまって困っていたフローレンス(篠井)のところへ、貧しいピアニストのコズメ(水田)が紹介されてやって来たところから始まる。
すぐにレッスンしたいと言うフローレンスの音痴ぶりにすぐに気づいたコズメは、音楽家としてこの話を蹴ろうとする。しかし、そのタイミングを逸してしまい、心ならずも専属ピアニストに就任する。
そして、いつの間にか、この愛すべき音痴の歌姫の歌声を誰よりも大切に思うようになり、彼女が音を外したり、リズムがズレたら、それをカバーするような演奏をし、そのことを自分の矜持としていくようになる。
そして、フローレンスは、カーネギーホールを満員にしてコンサートを開き、人生の花を開かせるのだった―


音痴の歌手。
それを舞台劇にすることの難しさ-容易に想像できるそれを、いとも簡単に(と見えた)具現化してしまった、スズカツさんの演出には簡単というほかない。
たしかに音を外す。誰の耳にも明らかに外す。それでいて、わざとらしくなく、しかも聞き苦しくない。それがどんなに驚異的なことか。
そうとう綿密な計算をされたのではないだろうか。


そして、ヒロインに篠井英介、というのは、なるほど[exclamation]と納得させられた。
天真爛漫のようで、毒もあって、でも最強の美女[exclamation×2]
ただ、華がありすぎて、70歳越えということがわかりづらく、コンサートから1か月後に亡くなったというのが唐突に思えた。
ちなみに、それが1944年のことだったというのも、衝撃。戦争中じゃん…[がく~(落胆した顔)]カーネギーホール満員にして音痴のおばあちゃんが歌ってたの[exclamation&question]フローレンスの亡くなった11月には、東京にB-29が来たりしてたのに。
歌がまた、本当に素晴らしい。魅力的だった。音の外し方も絶妙で[ぴかぴか(新しい)]
再演、あったら、絶対行く[exclamation×2]


水田航生という名前は、チラシ等で何度も見ていたが、観劇は初めてだと思う。
お金持ちのご婦人に気に入ってもらって、安定した収入にありつきたいという思いのつまった貼りついた笑顔に始まり、徐々にフローレンスに心酔する様を丁寧に演じていた。音楽を担当するピアニストとのやり取りなど、洒脱な芝居も魅力的。実はゲイという設定も、わざとらしくなくさらりと演じて好感が持てた。


彩吹真央は、フローレンスのメキシコ人のお手伝いさんと、支援者の老婦人(昔はダンサー)と、排斥運動をしているパワフルな女性の三役。見事に演じ分け、魅力を振りまいていた。
ゆみこさんの出る舞台を観ておけば、間違いない感、最近のあるある。


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「ルート64」ミニ感想 [┣演劇]

演劇ユニット ハツビロコウ#4
「ルート64」


作:鐘下辰男
演出・上演台本:松本光生
照明:中佐真梨香(空間企画)
音響:日陰可奈子
宣伝写真:スイヤスモリ(Sui_Photografica)
演出助手:大木明
チラシデザイン・制作:岩野未知


1989年11月に発生した弁護士一家殺害事件の顛末をフィクションとして再構成した作品。登場人物の氏名や年齢構成、人数も男女比も変えてある。誰があの教団の誰、ということではなく、もっと普遍的にとらえてほしいということだろうか。
メンバーは、次の4人。全員、ある宗教団体のメンバーだ。
元小学校教諭の宮田(松本光生)。一番早く出家している。
家族を亡くして入信したらしい進藤(高川裕也)。
知的障害を持つ兄を亡くした過去を持つ谷村(藤波瞬平)。
そして唯一の女性である元看護師の片桐(岩野未知)。
この中では、片桐と新藤が幹部、宮田は「あの人」のおぼえがめでたくなく、谷村は出家してまだ3ヶ月、これが最初の大きな「ワーク」という設定。
芝居は、時系列に進むのではなく、行きつ戻りつしながら、過去の重大な教団内部の事件を再現したり、それぞれのメンバーの来し方の独白があったり、今回の事件の再現があったり…。それらの事件が、かつて彼らが社会の一員であった頃の記憶を呼び覚まし、どんなに修行してもワークをこなしても、人は人である限り解脱なんてできない現実を突きつける。


舞台上には車が1台。
そこに4人の人間が乗っている。
教団を糾弾する瀬川弁護士に対して「あのひと」からの命令が下りる。
仕事帰りを拉致して殺害し、他殺かどうかわからないようにしろ、という指示だった。
しかし、実行日はなんと祝日で、弁護士は仕事に行っていなかった。凡ミスである。片桐が「あのひと」に相談すると、家族も道連れにするように、とあっさり指示が変わる。
運命のいたずらというべきか、その晩、弁護士の家の鍵は「あいていた」。
片桐は、殺害の道具として、塩化カリウムを使用することにしていた。予備として注射器を3本用意していたが、殺す相手が3人に増えたとあっては、失敗は許されなくなる。そもそも、事故か自然死に見せかけるという話だったから塩化カリウムにしたのに、一家3人を殺すとなれば、死体を隠すしかない。だったらもっと簡単な毒薬を用意したのに…。片桐は、突然の変更にパニックになっていた。
塩化カリウムは、静脈注射をしなければ効かない。しかも即効性がない。暴れる弁護士夫婦を相手に、片桐の注射はすべて失敗し、針が折れてしまう。それでも、もうやめるわけにはいかない。男たちが、夫妻を撲殺する。
さらに、歯形から身元が分かるかもしれない、と、死後に顔面を歯がボロボロになるまで踏みつける。
そこまでやっておいて、車が普通のセダンで、こちらのメンバーが4人もいて、大人二人と赤ん坊の死体をどうやって運ぶのか、とそこから考える人々。
ずさんな計画といきあたりばったりな行動、責任回避、ののしり合い、怒号が飛びかう。
組織の体を成していない素人集団。
それが「あのひと」の作った世界。


そんな荒唐無稽な連中のせいで殺害された一家が可哀想すぎる。ハリボテのようなビニールっぽい人形を弁護士一家に見立て、それを殴る蹴る踏む…という形で事件を再現するのだが、それを見ているだけでつらい。
人は、どうしたら、ここまで残酷になれるのか。
事件から30年近い時が流れ、もはやリアルタイムで知らない人も多いと思われるこの作品を今、上演した意図はなんだったのだろう。

この物語は、サリン事件を含む一連の宗教テロ事件の発端となった実話をもとにしている。
私の従兄弟はSF作家をしているが、1996年のお正月に、親族が集まった時、担当の編集者の方がこんな話をした、と教えてくれた。
もし、今回起きた一連の事件と同じ内容のSF小説が持ちこまれたら、間違いなく、「リアリティがない、書き直せ」と言っただろう、と。事実は小説より奇なりと言うが、小説は、理にかなった物語じゃないと読者がついてこれないから、それはある意味、当然なのだ、という話だった。
リアリティってなんだろうね、と話したことが忘れられない。

この芝居は、観劇して演劇を楽しむためのものではない気がする。
もう一度、あのことと自分を見つめ直すための教材、というか…。
しかし、そう感じるためには、出演者が「演じてるなー」というレベルでは、演技論・演出論みたいな感想も出てきてしまう。そこでリアルに物語が起きているように演じられるだけの技量が必要だし、派手ではなく、でも確実に心に飛び込む演出が必要となる。
だから、この信頼できる四名の芝居だったのだ、と思った。
「スペース梟門」という狭い場所で、ぶつかり合う4人の役者。ぜいたくな空間だった。


ちなみにタイトルの「ルート64」には、どんな意味があるのだろう。ルート64は…8、だよね。
(ちなみに、国道64号は存在しない。)


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