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「他重人格」観劇 [┣演劇]

「他重人格 Who am I?」


脚本:舘そらみ
演出:福島三郎


音楽:瓜生明希葉
美術:秋山光洋
美術助手:古謝里沙
照明:松本大介
音響効果:反町瑞穂
映像:梅里アーツ
舞台監督:宮田公一
演出部:青木規雄、河野茜
大道具製作:イトウ舞台工房


出演:山崎彬(悪い芝居)、大久保聡美、貴瀬雄二、村井まどか(青年団)、小林瑞紀、野崎数馬(丸福ボンバーズ)、多田直人(キャラメルボックス)


一組のカップルが結婚を決めるシーンから話は始まる。
男は、「キミがそうしたいんなら、結婚しよう」みたいなことを言う。投げやりなのか?というと、そうではなくて、相手から求められる自分になるのが、楽なんだという。
その性格を生かして、二人はオーダーメイドのペンションを始める。客からは感謝される毎日。
しかし、アルバイトに雇った娘がある日、重傷を負い、彼は逮捕されてしまう。彼女の中にある虐待願望に応えた、と男は言う。


タイトルの「他重人格」、多重人格ではない。
他人の心の奥の願望に応える人格、それは、罪なのだろうか。彼は、どこで引き返すべきだったのか。


アルバイト役の大久保聡美さん、初めて観たが、とても印象的な女優さん。プログラム写真は、桜一花ちゃんっぽいけど、すらっとした美人で、雰囲気は、白峰ゆりちゃんみたい。狂気を秘めた芝居が目に焼き付いた。


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「ベルリンの東」観劇 [┣演劇]

「ベルリンの東」


作:ハナ・モスコヴィッチ
翻訳:吉原豊司
演出:小笠原響


美術:内山勉
照明:松井真澄
照明操作:松本由美
音響:井出比呂之
衣裳:樋口藍
演出助手:杉林健生
舞台監督:村田明
制作担当:栗原暢隆、松井伸子
著作権:Catalyst TCM Inc.
プロデューサー:名取敏行
製作:名取事務所


6月末の「屠殺人ブッチャー」からの連作上演。6月30日に「屠殺人ブッチャー」が終わり、7月1日から「ベルリンの東」が上演されるというスケジュール。なのに、佐川和正と森尾舞はどちらも出ている…すけぇっ[exclamation×2]
この「ベルリンの東」は再演なので、まっさらな状態から台詞を覚えるわけではないとはいえ…ありえない…[爆弾]
俳優さんの脳内はどうなっているのか、パックリと割ってみたいもんです。


タイトルの「ベルリンの東」というのは、ナチスの隠語で“東”がアウシュビッツを指していることから、付けられたとのこと。
主人公のルディ(佐川和正)は、パラグァイに住んでいるドイツ人。父は、パラグァイ人相手の不動産屋を営みながら、ドイツ人コミュニティの外に出ようとはしない人物。今でもヒットラーの誕生日を友人たちと祝っている。
学校でカエルの解剖が行われた日、級友のヘルマン(西山聖了)が口を滑らす。さすがおやじ譲りだと。
それでルディはヘルマンを詰問して、父親がアウシュビッツで人体実験をしていた医師だったことを知るのだ。ルディがヘルマンとホモセクシュアルの関係を結んだのは、父親への嫌悪がその根底にあったのは間違いない。
(ヘルマンは、ルディを本気で愛していたと思う。)
ルディは、ドイツに留学し、父の犯罪について調べようとする。そしてそこで、ユダヤ人学生のサラ(森尾舞)に出会う。二人はすぐに恋に落ちた。そして初めてアウシュビッツに見学に行った時、サラの妊娠がわかる。
結婚を申し込むルディだが、動揺を見せるサラ。それでも説得して、どうにか、結婚にこぎつけるが、その直前、ヘルマンがルディのもとを訪れ、ルディのいない間に、彼の素性を話してしまう。ルディは、サラに本名を告げていなかったのだ。
ルディがアウシュビッツでユダヤ人を人体実験の材料にしていたことを知ったサラは、ルディのもとを去り、電話にも出てくれない。
失意のルディはパラグァイの家に戻ってきた。ピストルを手に。そして、父の書斎のドアを開け―


衝撃的な幕切れだった。


ルディもサラも戦争には何の関係もない。けれど、逃れることはできなかった。
二人の間には、重い現実が横たわっていた。
そんな悲恋を縦糸に、もうひとつのドラマを作っているのが、ヘルマン。彼は、ルディの父親の正体をルディに知らせることで、彼を動揺させ、その動揺の中で二人は関係を持った。ナチでは、ホモセクシュアルもタブーなので、それを父親に見せつけることは、ルディにとって、これ以上ない父への反抗だ。
しかし、そもそもルディはゲイではなかったので、サラと恋をして結婚しようとしている。ヘルマンがそれを許せるはずはない。今度は、サラにルディの父親の正体を知らせる。それでルディを取り戻せるわけではなくても。ヘルマンの悲しい恋心が、この芝居の横糸になっている。


ルディの父は、こんな息子の人生をどう受け止めるのだろうか。


「屠殺人ブッチャー」とは全然違う、冷笑的なルディの長ゼリフを見事にこなした佐川和正、本当に素晴らしかったです[黒ハート]作品ごとに、全然違うキャラクターになってしまう彼の芝居の虜になってしまった…[揺れるハート]
森尾舞は、「屠殺人ブッチャー」のエレーナ役が印象的過ぎて、スカート穿いてるのすら、なんか違和感[あせあせ(飛び散る汗)]もう少し時間をあけて、観てみたかったかも。(それだけ、「…ブッチャー」の演技がすごすぎたんだけど。)
西山聖了は、ルディとの距離感を詰めていくところが超リアル。戦争もナチスも関係ない、「ヘルマンの悲劇」もまた、形を変えて今も生き続けているんだなぁ~と思った。


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「アジアン・エイリアン」観劇 [┣演劇]

「アジアン・エイリアン」


作・演出:古城十忍


美術:礒田ヒロシ
照明:磯野眞也
音響:黒澤靖博
舞台監督:尾崎裕
衣裳:友好まり子
映像:後藤輝之

演出助手:白井なお
舞監助手:有坂美紀、小山広寿
衣裳助手:増田和

大道具:イトウ舞台工房 伊藤幸夫
小道具:安田惣一、原田佳世子
特殊効果:(有)インパクト 緒方宏幸
運搬:加藤運輸(有)


オープニングアクトはとても変わっている。喪服の登場人物たちが、舞台奥から登ってきて、いくつかのパフォーマンスを見せる。日の丸を花瓶の水に溶かすと、どんどん水の色が赤くなっていったり、かき混ぜると白くなったり…なにやら不思議な科学実験のよう。人々が重力に逆らうように消えていって、本編が始まる。


いきなり病院の霊安室前。さきほどのパフォーマンスで、出演者がここに這い上がってきたせいか、手すりがあるせいか、屋上に霊安室があるような感じがする。
そこに項垂れている境田健吾(奥村洋治)。娘同様に可愛がっていた姪が婚約者と事故死したのだ。ところが、婚約者の岬邦彦(山田悠介)の姉・顕子と名乗る女性(関谷美香子)が現れ、その遺体が弟のものではない、と言い出して…。
境田は、何が何だかわからなくなっていた。
岬は、境田の事務所で契約カメラマンをしていた。彼は「見えざる顔」という個展を開こうとしていた。そこに写っていたのは、すべて、在日韓国・朝鮮人たちの写真だった。境田は、その中に、事務所の一人、金山孝弘(多田直人)の写真を見つける。偶然撮影しただけ、と言う岬だったが、実は、金山もその一員だった。なんとなく言いそびれていた、という金山。そして岬は、本物の岬邦彦から戸籍を買って、境田の前に現れたのだった。
境田は、在日への差別意識は自分の中にないと思っている男だった。しかし、姪は結婚するなら日本の戸籍が必要だと主張し、金山は彼に出自を明かさなかった。境田は、自分が妙な匂いに包まれているのを感じ始める。そして、アジアの片隅で生きている本物の岬邦彦(山中雄輔)に出会い、姪の本心を聞かされて激しく動揺するのだった。


他人の戸籍を買ってまで日本人になろうとした男、そして、日本人であることをやめたくて、他人に戸籍を売り渡した男…「日本人ってなんだろう」と思うお芝居だった。


在日韓国・朝鮮人の特別永住者は、ウィキペディアによると現在、33万人だそうだ。
最近、在特会という団体が、執拗なヘイト・スピーチを行っていて、それに憤りを感じている人も多いと思う。


では、よく知っている知人から、「実は私在日で…」と告白されたら、あなたはどう対応しますか[exclamation&question]


という問いかけが、ドラマの中で何度も登場する。
「あ、そういうの全然気にしてないから」と、告白したこと自体を「なかったことにする」=相手をそれ以降も日本人として遇するということは、「実は傷つく」と、ドラマで語られる。


そうだったのか…[あせあせ(飛び散る汗)]


ドラマの舞台は、調査会社なのだが、入社前の調査で祖母が帰化した台湾人だったことがわかった迫水剛という男が(池永英介)が怒鳴り込んくる場面がある。自分が採用されなかったのは、自分も知らなかった出自が原因ではないのか、と。
えー、そこまで遡って血筋を調べるかな[exclamation&question]と、かつて子会社で総務一般を担当していた人間としては、思う。そこまで気にしている会社は少ないはずだ。本人の国籍は多少影響するかもしれないが。あ、うちの会社は、社員が外国籍を取得したいと言い出した時も了承したし、国籍や出自で入社をどうこうすることはなかった。とはいえ、本人調査はやっていた。
今は、入社前の素行調査というのは、一般の調査会社は請け負わない。たぶんリスクが高いのだろう。でも、やはり蛇の道は蛇…で、まだまだそういう調査をしている会社は存在するんだと思う。カード利用実績みたいな公的に売買されている資料もあるし。
実際、彼が血筋のせいで採用されなかったのか、それは、わからない。でも、彼はそう思い込んでしまった。外国の血ゆえに差別されたのだと。それが本当であっても、思い込みであっても、不幸なことだと思う。


ひるがえって、私自身のこと。
相続等で戸籍を見た…という意味で確実なのは、両親、祖父母は日本国籍だ、ということだけだ。それより前の、私も会ったことがない祖先がどこの国の人か、私は知らない。考えたこともない。たぶん、みなさんもそんなものだと思う。
でも、そんな私は、本当に純正の日本人だろうか[exclamation&question]
江戸っ子は三代前から江戸に住んでいたら江戸っ子らしいので、そういう意味では、日本人かな[exclamation&question]という程度の認識だ。
でも、普段は、日本人だと名乗っている。ごく自然に。


そもそも日本人って、何をもって日本人なんだろう。
国籍=日本の人を言うはずだ、普通は。
でも、なんか「私、日本人だなぁ~と思うんですよね」という文脈の時は、脈々と受け継がれている「日本民族」っていうものの一員だという自覚に基づいた発言っぽい。
この、「日本民族」ということを少しも疑っていないところが、我々「日本人」の特徴かもしれない。日本列島には、いわゆる「日本民族(=大和民族)」だけが住んでいたわけではなく、日本は単一民族国家でもない。しかし、それすらも忘れがちだったりする。
とはいえ、なにぶん、島国だから、ヨーロッパほど他国の人が流入せず、混血しにくいってことはあると思う。鎖国もしてたし。


タイトルの「アジアン・エイリアン」。
エイリアンというのは、映画で一躍有名になった英語。空港の入国審査のところにもこの文字があったように、そもそも外国人を指すのだが、映画の影響か、感じ悪いということで排除された。
なんか、侵入者みたく思っちゃうものね。
で、見た目で外国人だとわかるヨーロッパ系、アフリカ系の人々に比べて、分かりづらい、でも確実に日本に入ってきている人々「アジアン・エイリアン」に対して、日本人は、どう考え、どう行動しているのか、みたいなことがテーマの芝居…なんだろうな。


本編が始まってから、舞台には、少しずつ水が注入されていく。少しずつ水が増えていく。明らかに、水のせいで演技が変わる。くるぶしくらいまで水が上がってくると、歩くのも一苦労だ。
なのに、誰も水の存在に言及しない。水は増え続ける。それでも、みんなが見ないふりをしている。
「この水、どうしたんですか」
誰か言えばいいのに。


見て見ぬふりをしている間に、水はどんどん増えていく。


差別するっていうのは、自分が上だと思い込んでいるということ。差別してないよ、発言も、同じ。
増え続ける水に遮られて、もはや、身動きできないのに、まだ、そんな虚勢を張っている日本人…カッコ悪いな。


考えさせられる芝居だった。
また再演してほしいので、芝居の内容より、芝居を観た私の思いを中心に書かせてもらいました。


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「六月大歌舞伎」その3 [┣演劇]

「その2」はこちらです。


では、最後の演目、行きますね。


長谷川伸 作
村上元三 演出
「一本刀土俵入」 二幕五場
  長坂元弘 美術
  長倉稠 美術


この作品は、昭和6年初演なので、新歌舞伎の系譜に連なる作品のようです。なので、演出がいます。
歌舞伎作品だけど、内容的には、明治以降の演劇的というか。もう普通の芝居にしか見えない。
内容的にも新派みたいなお話です。


利根川沿いの宿場、取手から芝居は始まる。
安孫子屋という茶屋旅籠の前、船戸の弥八(市川猿弥)が暴れているところを、旅籠の二階から眺めている酌婦のお蔦(市川猿之助)。
弥八は、お蔦にも食ってかかり、通りがかった相撲取りの駒形茂兵衛(松本幸四郎)にも言いがかりをつける。そしてお蔦からは茶碗の水をかけられ、茂兵衛からは頭突きを食らわされて去って行く。
その後、ふらふらしている茂兵衛にお蔦が声を掛けると、なんと腹ペコなのだという。
お蔦は、手持ちの金子を与えて、立派な横綱になるようにと、声を掛ける。


その後、利根の渡しのところで、船に乗り遅れた茂兵衛は、食べ物を手にしているところを追ってきた弥八らに捕まるが、逆に川へ投げ込んだりしてしまう。その時、弥八がお蔦を「父無し子を産んだ女」と言ったため、恩あるお蔦を侮辱したと思い、さらに弥八をボコボコにしてしまう。


それから十年以上経ったある日、博徒となった茂兵衛が付近へやってくる。
船頭らに安孫子屋のお蔦のことを聞くが、誰も覚えていない。
お蔦は、今、飴売りをして娘を育てていた。そこへ、この辺りの大親分、儀十(中村歌六)たちが現れる。娘・お君(市川右近)の父親、辰三郎(尾上松緑)が、いかさま賭博をしたかどで手配されていたのだ。
儀十たちが去った後、辰三郎が現れ、すべてを告白し、一緒に逃げてほしいと言い出す。
支度を始めるお蔦だったが、そこへ、お君の歌声を聴いて近所までやってきた茂兵衛が登場、今は博徒になってしまったが、十年前の借りを返したいと言う。
そして、相撲におぼえがある、という儀十親分との相撲に勝って、お蔦たちを旅立たせるのだった。


幸四郎さんのこういうお芝居を観たのは初めてで、なんか、すごく不思議な感じ[あせあせ(飛び散る汗)]
博徒たちの元締め、儀十親分の切れ者子分、という役どころで尾上松也くんが登場。好感度高いお役でした[黒ハート]
そして、辰三郎役の松緑さん、すっかり、肩の力の抜けた芝居が、良かったです[るんるん]
でも、まあ、猿之助さんのお蔦が、すべてをさらった感じの舞台でした[ぴかぴか(新しい)]


なかなか行けない歌舞伎ですが、年に一度くらいは、こういう時間もいいなぁ~と思いました[るんるん]


 


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「屠殺人ブッチャー」観劇 [┣演劇]

「屠殺人 ブッチャー」


作:ニコラス・ビヨン
翻訳:吉原豊司
演出:小笠原響


美術:内山勉
照明:松井真澄
照明操作:松本由美
音響:井出比呂之
音響操作:坂本柚季
衣裳:樋口藍
演出助手:杉林健生
舞台監督:村田明
制作担当:栗原暢隆、松井伸子
著作権:GARY GODDARD AGENCY
プロデューサー:名取敏行
主催:名取事務所


3月に大感動した「エレファント・ソング」の作者、ニコラス・ビヨンの作品を再び上演すると聞き、行ってきました。


トロントあたりの警察署。口をきこうとしない老人(軍服着用)をめぐって、警察官と弁護士が押し問答をしているところから始まる。
クリスマスイブの夜。セットに小さなクリスマスツリー。これは、「エレファント・ソング」にも登場したツリーじゃないかしら[exclamation&question]
警官(斉藤淳)が言うには、男(高山春夫)はチンピラ二人がここに連れて来たのだが、その首に奇妙な工具が掛けられていて、その先に、弁護士ハミルトン・バーンズ(佐川和正)の名刺が付いていたのだという。その奇妙な工具は、肉屋が塊肉を切るのに使うものだという。
男のために、今、どうやら彼の母国語らしいラヴィニア語の通訳を呼んでいるので、それまで待ってほしいと言う警官に、弁護士は、この人に面識はないのだから、帰してほしいと言い、押し問答になる。警官は強引な男で、ハミルトンに、自分の娘のためにサンタクロースになって返事をしてほしいとか、無茶振りをしてくる。
そうこうするうちに、通訳の女、エレーナ(森尾舞)がやってくる。ケガをしているらしい男の手当てをし、自分の本業は看護師だと言う。男は拷問を受け、両足の爪はすべて剥がされていた。エレーナは、男の軍服はラヴィニア軍の大将のものだと言い、彼の名前をグーグルで検索するように、と言い出す。
すごいな、現代劇。グーグル検索だよ。
ラヴィニアが崩壊した後、軍事政権の首謀者たちは世界に亡命した。軍事政権下で弾圧された人々は、彼らを捜し出し、リンチにかけていた。最後は必ず「処刑」まで行うリンチ。なぜ、彼らは、この男、ヨセフ・ズブリーロヴォを解放したのか。
検索の結果、PC上にあらわれた現役当時のズブリーロヴォ大将の写真は、現在の彼からは想像できないもので、むしろ、弁護士のバーンズに似ていた。その写真を目にしたバーンズは、ようやく、認める。自分が、ズブリーロヴォの息子、マルコであることを。
ここで、エレーナが豹変する。
三人を人質として拘束したのだ。家族思いの警察官の家に仲間を待機させ、彼の反応次第では、家族を殺す、と脅す。
その状況で、エレーナは、ズブリーロヴォに、彼の行った最も卑劣で残酷な犯罪を語らせる。彼はラヴィニア語しかできないから、息子に通訳させる、という残酷さで。


か弱い女性が、大の男を拘束し、勝手に私的な裁判を始める。巻き込まれた弁護士は、法に照らし、理性に訴え、なんとか非道を止めようとする。が、深い憎しみの前には、人間の作った法など、なんの役にも立たない。弁護士は、自分の信念を曲げ、無力感の中、女の言うままにリンチに加担する。
これは、そう、「死と乙女」のパターンだ…と途中で気づいた。
いたたまれない。そうだ、償うことのできない罪はあるのだ、という気になる。


劇中、ラヴィニアという架空の国の公用語、ラヴィニア語(言語学者が創作したとのこと)が使用される。我々観客が、唯一、これは「ありがとう」という意味なんだな、と前後の文脈から理解した「ヴォーラ」という単語。その、あまりにも残酷な使い方を知って、戦慄した。また、愛称の「公爵夫人」から、つい、既婚者の婦人を想像していたのが、そうではなかった衝撃もハンパではなかった。
ある意味、「死と乙女」以上の痛みとやりきれなさが、(休憩がない分)怒濤のように押し寄せ、終演後、しばらく立ち上がることもできなかった。


つらい物語だけれど、演劇として見事な作品だった。
また、森尾舞という女優の持つエネルギーの大きさに感動したし、日本にはなかなかいないタイプの女優だと思った。
そして、見事に観客を騙し、最後のパズルのピースをはめてくれた斉藤淳のトリッキーな役作りには、感服。高山春夫は、ラヴィニア語の長台詞、意味はわからないのに素晴らしかった。
そして、この復讐の連鎖は、間違いなくここで終わるだろう、と確信させる佐川和正の的確な役作り、それによって、ラストの風景が大きく変化したことは、特筆したい。


再演してほしいから、すべては書かない。本当に見事な舞台だった。まだ半年しか経ってないけど、今年ナンバーワンかもっ[グッド(上向き矢印)]


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「君が人生の時」観劇 [┣演劇]

新国立劇場 演劇2016/2017シーズン
JAPAN MEETS…―現代劇の系譜をひもとく―XI


「君が人生の時」The Time of Your Life


作:ウィリアム・サローヤン
翻訳:浦辺千鶴
演出:宮田慶子


美術:伊藤雅子
照明:沢田祐二
音楽:かみむら周平
音響:上田好生
衣裳:半田悦子
ヘアメイク:川端富生
アクション:渥美博
振付:RON×II
演出助手:城田美樹
舞台監督:福本伸生


歌唱指導:伊藤和美
イタリア語指導:デシルバ安奈


新国立劇場中劇場で上演された「君が人生の時」を観劇した。
舞台は、1939年のサンフランシスコ。港に近い安酒場(サルーン)を舞台にした、出入りする人々の群像劇。散文詩のような舞台なので、その世界に入り込めないと、わけがわからないまま、終演を迎えることになるかもしれない。


主人公は、このサルーンの一角で朝から晩までシャンパンを飲んでいる男、ジョー(坂本昌行)。坂本くんを観るのは、「ボーイ・フロム・オズ」以来じゃないかなぁ~[あせあせ(飛び散る汗)]
このジョーが、とっても謎キャラ。お金はたっぷりとあるらしい。でも、仕事はしていない。それでいて、色々と顔がきく。ずっと座っているが、1幕の終わりに立ち上がる。それで、彼が足を引きずっていることに観客は気づく。しかし、この足についての説明はない。
店の主人、ニック(丸山智己)は、ジョーのために安酒場なのに、シャンパンを仕入れている。丸山さん、たしか、スタジオライフの「OZ」に客演したことあるよね[exclamation&question]ネイト役で。あら、なんか、オズ繋がり…(笑)
そして、この安酒場は、娼婦たちの客引きの場所にもなっているらしい。
バツグンに可愛い娼婦、キティ(野々すみ花)は、傷だらけの猫のような娘。自分の人生が苦労の連続だったこと、今は娼婦であること、をうまく消化できなくて、怯えて、攻撃的になっている。
ジョーの子分を自認するトム(橋本淳)はキティを愛していて、彼女に娼婦をやめてほしいと思っている。
サルーンには、警察官も立ち寄るが、その中でブリック(下総源太朗)という男は、高圧的に娼婦の取締りを行うので、嫌われていた。
たくさんのエピソードが紡がれる中、キティを守るためにサルーンの弱き人々が一つになった瞬間、事件が起きる。


なんとも、複雑な気持ちで劇場を後にした。
後味は、決して良くない。少しだけ、スカッとするのだが、いやいや…と自分で自分を否定する。
ラストはこんな感じだ。出入りする人々を徹底的に弾圧するブリックが殺害される。彼の部下である警官たちは誰も犯人を追おうとしなかった。そして、サルーンでホラばかり吹いていた男・キット(木場勝己)が、自分がやったと言う。それで、みんながわーっと喜ぶ。証拠隠滅のために銃を海に捨てたと言うキットに、ジョーは買ったばかりの銃を代わりに与えて去って行く。
その前に、ブリックは、店のエンターテイナー、ウェスリー(かみむら周平)をボコボコにして、キティにストリップまがいのことをさせようとしていた。そもそも、キティがひどく怯えているのは、この高圧的な警察のせいかもしれない。だから、つい、死んでしまえ[ちっ(怒った顔)]という気持ちになって、実際にそれが果たされるので、なんか、やったー[exclamation×2]と思ってしまうラストシーン。そして、終演後の自己嫌悪[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]である。
もしかしたら、ここで見せられた以上にひどい男なのかもしれないが、少なくとも、私が舞台で観たブリックは、それだけで殺されていいとは思えなかったからだ。なのに、ついつい…[爆弾]
自分の中にある、残虐性に気づかされ[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]落ち込んで帰って来ました…[もうやだ~(悲しい顔)]


ということで、色々、思うところはあるものの、それも含めてサローヤンの術中に嵌まったかな…と思った。


では、出演者感想。


坂本昌行(ジョー)…なんともつかみどころのない芝居の主人公らしく、なんともつかみどころのない、謎の男。
しかし、善人さは伝わってくる。トムやキティに寄せる無償の善意と、それを実現可能にする謎の財力と人脈。彼はいったい何者なんだろう[exclamation&question]という謎は解けないまま。その不思議ちゃんな感じが、似合っていた。
彼なくしては、成立しない公演だったと思う。


野々すみ花(キティ・デュヴァル)…ホテル・ニューヨークを定宿とし、そこで仕事に及ぶ娼婦。なりたかった自分と今の自分の間の距離を埋めることができず、何かに怯えて不器用に生きている。かなり不幸な人生を送ってきたらしい。
すれっからしの娼婦でありながら、透明な少女性を失っていないところが、野々ならではの役作り。
あばずれ感を出すために、椅子に座る場面では、足(膝)を開いて座る。が、なぜか、その姿勢が男役っぽい。足を開いて座るというと、ゆうひさんとかのあのポーズが脳内に再生されちゃうのかな。だったら、なんか嬉しいな。


丸山智己(ニック)…サルーンの経営者。客を差別しないが、金を払わない客には厳しい。娼婦たちが客探しに訪れても、注文して支払う限りは好きにさせている。そして、そんな彼の“城”を土足で踏みにじるブリックに対しては、心底腹を立てている。「カサブランカ」でいえば、リックのような存在。
「OZ」のネイトの時も、彼の芝居が好きだった。今回も、ニックの存在が、居方が、とても好きだった。


橋本淳(トム)…淳くんが出てるせいか、舞台が新国立の中劇場だったからか、なんか、「黒いハンカチーフ」をやたらと思い出した。役どころは全然違うけど。
ジョーの子分として、どんな理不尽な注文も聞いて買い出しに行ってくる。拳銃まで買うし。キティを愛していて、彼女に娼婦をやめさせて、結婚したいと考えている。すごく純粋で、すごく可愛くて、迷いがないけれど、ちゃんとあれこれ考えているところを、相変わらず過不足なく演じていて、やるなぁ~と満足。


下総源太朗(ブリック)…この辺の警察のえらいヤツらしい。そして性格は最悪で、残虐性もある。弱い者や年寄り相手だと居丈高になり、殴る蹴るの暴行を働く。現在は、娼婦の取締りに力を入れている。
いやー、本当に、見事にイヤなヤツでした[exclamation×2]
彼がやり切ってくれないと、盛り上がらない。そういう大事な役。本当に素晴らしかったです。


沢田冬樹(アラブ)…言葉少なで、セリフも同じセリフを繰り返しているけど、彼の存在が、このサルーンの「多様性」そのもの。


中山祐一朗(クラップ)…制服警官。いろいろ愚痴を言うのだが、憎めない。何を言っても憎めてしまうブリックとの対比が鮮やかだった。


木場勝己(キット・カーソン)…突然現れて、ホラを吹き倒して、ジョーから酒をおごられる。しかし、最後に、キーパーソンとなる。ホラのひとつひとつが、しっかりと絵面を想像させる。その語りの力を感じた。


その他、ピアノ弾きのウェスリーを演じたかみむら周平、ボードビリアンのハリーを演じたRON×IIなど、エンターテイメント・バーにふさわしい出演者や、なんだか、出番少なくてもったいないんですけど…的な出演者もたっぷり。その中で、間違い電話で呼び出された人の好い女性と、すれっからしの娼婦の二役を演じた枝元萌が、短い出番ながら、しっかりとキャラを立たせ、さすがだった。


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「六月大歌舞伎」その2 [┣演劇]

続きです。「その1」はこちらをご覧ください。


河竹黙阿弥 作
「曽我綉侠御所染」
  御所五郎蔵 二幕


今回の舞台、上手側に仮花道が設えられていた。
どこで使うのかな…と思ったら、この二つ目の作品でした。


京、五條坂仲之町の廓。上手仮花道に、男伊達・御所五郎蔵(片岡仁左衛門)と、その一党がずらっと並び、下手花道に、国を追放された武家の星影土右衛門(市川左團次)と、その一党がずらっと並ぶ。そうして、それぞれ割りゼリフであーだこーだとやり合う。おおー、美しい[exclamation×2]と眺めていると、衣装の模様が、「大万大吉大吉」という家紋になっている人を発見[exclamation]「大一大万大吉」ではないんだけど、気になる…[あせあせ(飛び散る汗)]
最初のうちは、追放された武士の土右衛門と、かつて武士で今は侠客の五郎蔵が張り合っているだけに見えたが、この二人、実は深い因縁があったらしい。
二人の一触即発は、廓の主人(中村歌六)によって、一度は仲裁される。
五郎蔵は、武士だった頃に、主君の腰元だった皐月(中村雀右衛門)と恋仲になったが、温情によって死罪を免れ(この時代、不義=職場恋愛は死罪)、二人して京に上って、皐月が遊女となっている。とはいえ、夫がいる身…と、誰にも身を許していないので、馴染みの客はいない。そこに足しげく通っているのが、土右衛門。
一方、五郎蔵の死罪を許してくれた元の主君、今は、廓通いに嵌まってしまい、皐月の朋輩、逢州(中村米吉)に入れあげ、二百両の借金を作ってしまっていた。元・主君の危機を救うべく、五郎蔵は、皐月になんとか二百両を用立ててほしいと、手紙を送る。で、皐月もこれには困ってしまう。
と、皐月を口説いている土右衛門が、二百両を自分が用立てようと言い出す。その代わり、五郎蔵に去り状を出して、自分のものになれば…という条件を出して。皐月は、五郎蔵のために、土右衛門の申し出を受けてしまうが、そこへ現れた五郎蔵は、二百両を断じて受け取ろうとしない。
途方にくれた皐月は、癪を起したと言って、土右衛門とともに身請けの支度に出るのを拒む。
それを逢州がとりなして、打掛を交換して、とりあえず私が同道いたしましょう、と言ってくれる。
しかし、それが、悲劇のもと。途中で道中を待ち伏せした五郎蔵によって、逢州が間違って殺されてしまう。


す…救いがないっ[exclamation×2]


でも、仁左衛門さまの美しさといったら…[黒ハート]


雀右衛門さんが、ここでも美しく、そして、米吉くんがなんとも艶やかで素晴らしかったです。


左團次さん、ちょっとお元気がなかったような気が…大丈夫でしょうか。


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「六月大歌舞伎」その1 [┣演劇]

「六月大歌舞伎」を観てきました。
前回の観劇が、昨年の二月だったので…一年半近くぶり、ですね。


今回は夜の部だったので、「鎌倉三代記」から“絹川村閑居の場”一幕、河竹黙阿弥作「曽我綉侠御所染 御所五郎蔵」、長谷川伸作「一本刀土俵入」の三本を観劇した。歌舞伎は、やはり、素人の私にはとーっても難しいので、各場面ごとに短く切って記録していきたい。


では、まず、この作品から。


「鎌倉三代記」絹川村閑居の場


鎌倉…と書かれているが、この作品も時代劇に仮託して書かれた作品とのことで、実際は、真田幸村・木村重成・千姫・徳川家康をモデルにしているんだとか。その真田幸村を仮託されているのが、宇治川の先陣争いで有名な、佐々木高綱。あれ、なんか、私、この前も佐々木高綱の出てくる話を観たはず…[あせあせ(飛び散る汗)]一年半ぶりなのに、作品も違うのに…縁かしら[exclamation&question]


さて、今回の物語、鎌倉幕府の将軍、源頼朝亡き後、実権を握る北条時政と頼朝の遺児・頼家の擁立を図る京の公家との対立が激化していた。京方の武将、三浦之助義村(尾上松也)の母・長門(片岡秀太郎)が病に伏すわび住まいに、時政側の富田六郎(大谷桂三)らが現れる。実は、恋人である三浦之助の母を看病するために、時政の娘・時姫(中村雀右衛門)が逗留していて、彼らは、時姫を連れ戻すように、という命を受けている。
そこへ、重傷を負った三浦之助が戦場から帰ってくる。母の病が重いことを知り、今生の別れにやってきたのだが、母は、戦場から母恋しさに戻ってきた息子になど会いたくないと面会を拒絶する。また、時姫のところには、時政から取り戻しに成功したら時姫を嫁にやると言われてその気になった百姓の藤三郎(松本幸四郎)が時姫に言い寄り、怒った時姫が短刀を振り回したため、井戸に逃げ込む。
ところが、この藤三郎、京方に軍師、佐々木高綱に瓜二つということで、(間違わないように)額に入れ墨を入れられてここにやってきたのだが、実は、彼こそが佐々木高綱。高綱の影武者として死んだ藤三郎の妻、おくる(市川門之助)と謀っての身代り作戦だったのだ。
三浦之助に言い含められ、父である時政を手に掛けようと決意した時姫。それを時政に通報しようとする富田を井戸から槍で突き殺したのが、藤三郎こと高綱だった。
とはいえ、手負いの三浦之助、女ながら父を討とうとする時姫…と、なんか、この先不幸しか待ち受けていないようなところで幕切れとなる。


この舞台を観て、まず、本当に驚いたのは、芝雀さん…じゃなく、雀右衛門さんの美しさ[exclamation×2]
私、こーこーせーの頃に初めて芝雀さんの舞台を観ています。たしか、「義経千本桜」の道行だったと思います。当時の芝雀さんは、特に美しくもなく、まあ、やさしそうな感じの静役でした。ただ、あれから数十年経過した後に、「義経千本桜」の静を芝雀さんで観て、「変わらないな~[揺れるハート]」といつまでもお若い姿に驚いた記憶はあります。
しかーし[exclamation×2]
あきらかに、今回の、(襲名後、私は初観劇でした)雀右衛門さんは、美しかったのです[黒ハート]
これが襲名効果というものなのでしょうか。
これからが、美女・雀右衛門の時代かもしれません。楽しみ[揺れるハート]
相手役の松也くん。なんか、少し瘦せたのでしょうか[exclamation&question]こちらも、雛人形のような美男ぶりで、美しい恋人たちでした。


一方、幸四郎さんは、年齢を感じさせない力強さが見事でした[ぴかぴか(新しい)]最後に衣装がぶっかえりになるのですが、柄が…「永楽通宝」[exclamation&question]これは、真田幸村がモデルということで、真田六文銭から連想して銭柄の衣装なのだそうです。
出番は一瞬でしたが、秀太郎さんも、さすがの重鎮らしい存在感でした。


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「成スベキカ」観劇 [┣演劇]

「成スベキカ」


脚本・演出:MIZUKI(てふてふ組)
舞台監督:大河原敦
音響:福西理佳(零’s Record)
照明:(株)ライトスタッフ
宣伝デザイン:小川麻里奈
制作:森有紗
美術:徳満明子、よしの飛鳥、塚崎綾、大谷瑞紀
衣装:鷹司翠玉
当日運営:大森晴香
殺陣:米山勇樹(偉伝或~IDEAL)
主催:MIZUKI×kasane企画


シェイクスピアの「ハムレット」を徳川初期の日本に移し、再構築した作品。
元和9(1623)年、徳川家光が将軍になった年、日本のどこか山奥にある架空の国“色彩(いろどり)国”で、物語は始まる。


その色彩国、人口の七割が女性、という状況が長く続いていた。そういうこともあって、長く女性が当主になるというしきたりが続いていたが、幕藩体制が整ってくると、些細なことでお取り潰しになったりするので、都へ留学していた当主の長男・雪之丞<ハムレット>(塚崎綾)は、国のしきたりに疑問を感じたりしている。
そんな雪之丞のところへ、当主である母・瑠璃姫<先王・ハムレット(女役)>(徳満明子)からの帰還命令が下り、雪之丞は、都に伴っていた乳母子の犬君<ホレイショー(女役)>(妃桜みおん)と一緒に帰国の途に着く。しかし、その途上、瑠璃姫の訃報が二人にもたらされる。
流行病とのことで、雪之丞は、遺体に対面することも叶わなかった。
次期当主には、しきたり通り、雪之丞の妹・茜姫<オフィーリア>(小川麻里奈)が就くかと思われたが、雪之丞の父・三条桐ノ院常盤の君<ガートルード(男役)>(愛生)が、妻である当主・瑠璃姫の妹にあたる紅姫<クローディアス(女役)>(鑪壱白)と再婚し、茜姫が成人するまで、紅姫が当主となる宣言をしたのだった。
茜姫は、まだ16歳にもなっていない少女なので、当主の座を叔母が代行することより、父が母の死後すぐに再婚したことに納得がいかない様子。そのことについては、雪之丞も少し合点がいかないと感じている。
さて、色彩国では、先代の当主の亡霊が夜な夜な現れるという噂が流れ始める。侍女のアカリ(鈴木由紀)とヒカリ(田中美代子)<フランシスコ(女役)とバーナードー(女役)>に案内され、雪之丞は亡霊に声を掛ける。亡霊は、当主の墓地に雪之丞を誘った。密かにあとをつけていた、紅姫の重臣の夏江<ポローニアス(女役)>(大蔵紫乃)も当主の墓地には畏れ多くて近寄れない。
そこで、雪之丞は恐るべき事実を知ったのだった。
瑠璃姫の存命中から、常盤の君と紅姫は深い仲になっており、茜姫は実は紅姫の産んだ娘だった。そんなこともあり、瑠璃姫は、そもそも茜姫に当主の座を譲るつもりはなく、雪之丞を次の当主にと考えていた。それを知った紅姫は、瑠璃姫の企てを阻むために、自らの手で瑠璃姫を毒殺したのだった。
恐るべき事実を知った雪之丞は復讐を誓うが、瑠璃姫は、くれぐれも常盤の君に手出しをしないように、と言い聞かせる。
(シェイクスピアの「ハムレット」では、ガートルードは愚かで騙されて結婚しただけなので、復讐の対象にしないように、という先王の亡霊の言葉は納得性が高いが、この作品では、紅姫と常盤の君は一蓮托生の関係なので、そんな常盤の君への手出しを禁じる瑠璃姫の姿は、政略結婚で一度も愛されたことはなかったにもかかわらず、自身は常盤の君を愛していた瑠璃姫の悲しい女心が見える。)
雪之丞は、亡霊の発言が真実かどうか、懇意の踊り女(春蝶百花のWキャスト)に、殺害場面を彷彿とさせるような舞を演じさせ、紅姫の反応を見る。そして、紅姫の犯行を確信した雪之丞だったが、そこに父・常盤の君が立ちはだかる。父は、瑠璃姫が自分を愛していたとは全く思っておらず、自分が種馬のように扱われていたと、長い間の憤懣を爆発させる。(それでも現れた母の亡霊は、常盤の君を殺してはならない、と言い張るのだ。どんなにいい男なんだよ、まったく…[爆弾]
この時、雪之丞は、様子を探っていた夏江を誤って殺してしまう。そして、狂ったように剣を振り回し、犬君をも斬ってしまう。
夏江には、秋之信<レアティーズ>(よしの飛鳥)という息子がいて、雪之丞とは親友、そして茜姫は、彼を婿にと願っている。しかし、秋之信自身は、犬君を想っていて、犬君は雪之丞に叶わぬ恋心を抱きつつ従っている…という関係性が続いていた。
レアティーズではなく、ハムレットの方に妹がいる、という設定は、ハムレットから恋愛面の苦悩を奪う結果となるが、その分、「復讐」というテーマが鮮明になる。オフィーリアの恋は、逆にレアティーズに向けられることで、そしてレアティーズが性別を変更したホレイショ―に恋をしていることで、悲恋を作り出している。また、主人公に恋愛要素がないことも、このホレイショ―⇒ハムレットへの想いが補う。そういう意味で、ホレイショ―である犬君は、オフィーリアの役割も一部担っている。
しかし、この事件により、秋之信は、雪之丞を仇として憎むようになる。
そんな秋之信に、紅姫は、公式に仇討を認めるわけにはいかないが、剣の試合中の事故なら…と、いう提案をする。そして、秋之信が仕損じた時のために、剣に毒を塗り、毒杯も準備する。
こうして、雪之丞と秋之信は剣を合わせるが、互いに剣が入れ替わってしまい、結局二人とも手負いの傷がもとで命を落とすことになる。その前に、雪之丞は、紅姫に毒杯を飲ませ、復讐を遂げる。それを見た、常盤の君は、毒杯を自分もあおって紅姫の後を追う。
「私はどうすれば…」と泣きじゃくる茜姫に、雪之丞は、「尼寺へ行け」と告げて息絶える。
尼寺では、庵主の橘花(早智)が、茜姫を待っていた。そこには、どんなことがあっても死なないと約束させられた犬君が彼女を待っていた。当主となった茜姫の治世を支えるために。


おお…うまくできているな[exclamation]と、まず思った。
「ハムレット」の設定を逸脱してはいないが、ちゃんと日本の、でもちゃんと架空の国っぽい、そして女のものがたり、になっている。
切なくて、痛々しい、でも、わかるよ~という、いろんな女心がステキだった[黒ハート]


出演者は、みなさん女性なのですが、男役陣はそれぞれ魅力的で、選べない~[るんるん]という感じ。特になよ竹のような、常盤の君が、すっごいドロドロを吐露した場面が、私のツボをめっちゃ刺激してくれました[黒ハート]この舞台では、罪なきガートルードではなく、すべての犯罪を紅姫とともに実行していく、悪の黒幕みたいな存在…ってか、その前に当主の夫でありながら、その妹に手を出すとか、言語道断なヤツですが、悪事が露呈すると逆ギレするとか、もうサイテー通り越してますが…いやぁ、好きです[揺れるハート]
女役では、瑠璃姫さんが亡霊も含め、迫力が素晴らしかったのと、夏江さんの忠義心が素晴らしかった。(主人公側からしたら、敵方ですが。)
娘役さんたちは、みんな可愛いし、恋心が、犬君も、茜姫も、切ないな~[もうやだ~(悲しい顔)]
時々、こういう舞台を観て、きゅんきゅんな娘役ちゃんを見て、自分が女性だということを思い出さなければ…なんて思う、素敵な公演でした[ひらめき]


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文学座アトリエ公演「青べか物語」観劇 [┣演劇]

文学座5月アトリエの会 文学座創立80周年記念
「青べか物語」


原作:山本周五郎
脚色:戌井昭人
演出:所奏


装置:石井強司
照明:阪口美和
音響:藤田赤目
衣裳:宮本宣子
振付:新海絵理子
舞台監督:寺田修
制作:白田聡、最首志麻子


「青べか物語」の舞台を観るのは、黒テント公演以来。その時の感想は、こちらです。


あれから5年数ヶ月が経過し、当時の黒テントの劇場はなくなり、出演していた斎藤晴彦さんも鬼籍に入られた。
そして、今回、「青べか…」上演を果たしたのは、文学座。文学座で「青べか…」か…と、少し驚いたが、劇団の特色なのだろうか、黒テントとはまったく違う作品になっていた。


黒テントの時に私が強く感じたのは、「猥雑さの中にある庶民の力強さ」だった。
しかし、今回の文学座には、猥雑さはまったく感じられなかった。
そもそも「青べか物語」という小説は、足掛け3年、「浦粕」というまちに移り住んだ“蒸気河岸の先生”と呼ばれる青年が体験した日々の出来事を描写した短編連作のような形の小説。どのエピソードを拾い、どのエピソードを捨てるか、で作品の印象は大きく変わる。
若者たちがあけっぴろげに性を謳歌するようなエピソードは回避され、色っぽいエピソードも、「スケベ心で飲み屋に行き、べろべろに酔わされた挙句、10万円以上の請求書を突きつけられた男の話」とか「心中しようとした男女のその後の話」とか「食事処の娘と客の間の誤解とその後」だったかな。全体的に文学的な印象が強かった。
冒頭のエピソードが「砂粒が生きている」という哲学的な問答だったこともあったかもしれない。
最後に、「浦粕」つまり、現実世界の「浦安」の2017年を表すエピソードも登場し、今の浦安は、蒸気河岸の先生が30年後に訪れた時、なんてものじゃなく様変わりしているんだな~と実感した。


脚本は、文学座創立メンバー戌井市郎の孫にあたる戌井昭人氏。
現在は文学座を退団し、別の劇団を立ち上げ、活動する傍ら、小説家としても活躍している。
エピソードの積み上げ方が、私好みで、一瞬で世界に引き込まれた。きっと、小説も私好みな気がする。
演出の所氏は、今回のアトリエ公演が演出家デビューとなる。1977年生まれだそうだから、40歳か。文学座で演出家になるのって、宝塚よりずっと根気がいるのね…。脚本に戌井氏を起用したのも、所氏の希望が叶った、ということらしい。
アトリエの真ん中に縦長の舞台を設え、客席を両サイドに配した。その縦長の舞台が根戸川(江戸川)に見えて、効果抜群だった。舞台真下に草が生えていたり。ただ、実際にそこを川に見立ててしまったら、演者は川の中で芝居をすることになってしまう。だから、舞台は実際には川じゃないことになる。べか舟は端の方に置かれ、そこだけが係留地であるかのようになっている。この、「芝居が始まる前には舞台が川に見えて、観客が川岸にいる雰囲気、でも、芝居が始まったら舞台は川じゃない様々な場所になる」ということが自然に感じられるセットと演出というのがすごいな、と思った。


出演者では、少年「長」や、ごったく屋(飯屋だが実際には女給が身体も売る)の女など多くの役を元気に演じていた鈴木亜希子が、特に印象に残った。ベテランの坂口芳貞が、先生にべか舟を売りつけるじいさんの役だったが、あまりのなりきりぶりに、坂口さんだと気がつかなかった。
そして、先生役で出ずっぱりだった上川路啓志。大変なエネルギー量だったと思う。巻き込まれキャラの先生がピッタリ似合っていた。
そして、みんなが代わる代わる演じていた“イタチ”が、浦粕というまちの象徴として、うまく機能していた。
富なあこ(山森大輔)と倉なあこ(松井工)の“砂は生きている”ダイアローグが、なんとも不思議な空気を醸し出していて、癖になるような公演だった。


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