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「ゆっくり回る菊池」観劇 [┣演劇]

僕たちが好きだった川村紗也(2)
「ゆっくり回る菊池」

作・演出:青木秀樹(クロモリブデン)

舞台監督:櫻井健太郎、藤田有紀彦
舞台美術:坂本遼
音響:星野大輔(サウンドウィーズ)
音楽:岡田太郎(悪い芝居)
音響操作:櫻内憧海
照明:床田光世(クロモリブデン)
衣装:杉浦優(ザ・ボイス)
演出助手:入倉麻美、小林弘幸(新宿公社)、福名理穂(ぱぷりか)
稽古場代役:本折最強さとし

提携:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場

企画・製作:僕たちが好きだった川村紗也

ただいまキャラメルボックスから武者修行の旅に出ている多田直人さんを応援する観劇、今年最後は、こまばアゴラ劇場「ゆっくり回る菊池」。まあ、それぞれ1回ずつしか観劇していないので、どんだけ応援になっているかは謎ですが。
今年三度目のアゴラ劇場。短期間によく通ったな~[ダッシュ(走り出すさま)]秋~冬はとても足元の寒い劇場なので、アゴラに行くと腹が痛くなる…というジンクスが出来上がりつつあったのだが、そして、事実、当日、アゴラに行くと思っただけで、仕事中からお腹が痛かったのだが…
大丈夫でした[exclamation×2]
お腹痛いなんて感じる余裕がないほど、楽しかった[ひらめき]

演劇というのは、どこか記号でもいいのかな…と、今年、色々な演劇に出合ってきたせいか、考えるようになった。ぶっちゃけ、俳優が演じなくても、「伝わればいい」。伝わった後、観客がどう体内に落とし込むか、見る側からすると、そちらの方が重要なのかな、とさえ思い始めている。
ただ、発信する側からすれば、できるだけ、変化しない状態で伝わってほしい。そのために演出があり、いい役者が出演するのかな…と。逆を返すと、いい役者といい演出があれば、何でも伝わってしまう。「楽しければいいだけの舞台」だということも(笑)
今回の作品は、通称「ぼくかわ制作委員会」が作っている。
“ぼくかわ”とは、「僕たちが好きだった川村紗也」の略だ。つまり、本当の目的は、「川村紗也が魅力的になる舞台」なので、それが達成できれば、この企画はOKなんだ…ってなことも感じとれてしまった。

ま、そういう舞台を楽しむってのも、たまにはいいかな[exclamation&question]
これまでの経験したアゴラ劇場からすると、ちょっと肩透かしだけど[どんっ(衝撃)]

さて、演劇というのは、ホンモノらしく見えるニセモノでなければならない。
ラブシーンを本気ではじめられても困るし、人を傷つける場面もすべてニセモノじゃなきゃいけない。
そんな中、俳優の仕事は、どれだけ、ホントっぽく見せるか、そして伝えるべきことをちゃんと発信できるか、ということになる。
で、今回のお芝居は、話がめちゃくちゃです[爆弾]
とにかく、登場人物のリアクションが、「ぜったいありえない」ものばかりで、荒唐無稽のまま、最初から最後まで進んでいく。テンション高く、ひたすらあり得ない世界を突き進むすべての登場人物たち。
ぼっち観劇だったのに、爆笑に次ぐ爆笑でした。
ありがとう多田くん、ありがとう川村紗也[黒ハート]

では、出演者一言感想。

川村紗也(正岡マチ子)…ショックを受けると、すべての指先から銃弾を発射したようになってしまうヒロイン。
それもすごいんだけど、恋人が「人を殺した…」と告白したとたん、「結婚はどうなるの[exclamation&question]」となり、人に罪を押しつけましょう[exclamation×2]と言い出したり、そもそもチカンと付き合うとか、かなり変わったヒロイン。もちろん、妄想癖持ち。
これが、“僕たちが好きだった川村紗也”と、制作サイドが言っているんだから、かなりイッちゃった女優であることは間違いない。
見た目は、とってもおとなしい大和なでしこ風なのに…。このギャップがたまらなく魅力的だった[黒ハート]

多田直人(演劇集団キャラメルボックス)(川口碧郎)…居酒屋で、気が付いたら人を殺してた、と茫然と婚約者のもとを訪れる男。
そのわりに、死んだことを確認していないし、一緒に飲んでいた友人を放置してきている。さらに、その友人に罪を押しつけようという、あり得ない提案に乘る。いや、そもそもチカンである。
という人間のクズのような男なのに、なんか憎めないヤツ。そういうありえないシチュエーションのありえないキャラが、普通に存在している。シュールに、ではなく、リアルに。
その「普通に存在している」役作りが、多田の真骨頂。こんな多田に出会えたことが、今回の収穫だった。

枝元萌(ハイリンド)(正岡文子)…マチ子の姉。妹の婚約者の不祥事で、自分の見合いが壊れることだけを怖れている。妹のおそろしいアイデアを否定するどころか、ノリノリで電話を架けて、あなたね、人を殺したんですよ[exclamation×2]と決めつける辺り、法治国家って何[exclamation&question]レベル。このイカレたキャラを、立て板に水の関西弁で煙に巻く。
まるっとした体形もあって、キャラ立ちしまくり。テンポのあるセリフ回しといい、作品を大いに動かしていた。

幸田尚子(菊池富士子)…死んだとされる菊池の妻。警察沙汰にしたくないと言い出す。ありえないから。ヤクザの情婦か[exclamation&question]といういでたちでカタギ感ゼロ。そして、犯人を奴隷としてこき使うという意味不明な行動に出る。
ドスの効いたセリフ回しと美貌で、こちらもキャラ立ちまくり。日本には、こんなに多種多様な女優がいるのか…[exclamation]

折原アキラ(青年団)(佐分利三郎)…碧郎から罪をなすりつけられ、菊池という男を殺したと信じ、菊池家を訪れる。そして、妻の富士子の奴隷になるが、真実が明らかになっても、奴隷生活が愛しくて、富士子から離れないと粘る。
これまた、意味不明のキャラクター。奴隷になることで、自らのアイデンティティーを確立しようと企む。
そして、そういう情けないキャラにここまでハマっているというのが…素晴らしすぎる[ぴかぴか(新しい)]

根津茂尚(あひるなんちゃら)(船越雅一)…文子の見合い相手。カウンセラーみたいな仕事をしている。碧郎の起こした事件に、文子が隠そうとしているにもかかわらず、首を突っ込み続け、菊池家にも登場。何がしたいんだか、文子と結婚する気があるんだか、ないんだか、まるでわからない不思議キャラ炸裂。
いやー、普通に見えるけど変な人、という難しいキャラが、違和感なく存在していることが、ほんと怖い。(ほめてます)

吉増裕士(ナイロン100℃/リボルブ方式)(菊池雲平)…幽霊なんだか、生きてるんだか、わからない感じで登場するのだが、それが、ほんとに幽霊でもおかしくない雰囲気[exclamation]これはもうキャスティングの勝利かもしれない。真実が明らかになる独白も聞かせた。

“今日は何の日”
【11月23日】
富士山最後の大噴火(1707=宝永4年)。
(←旧暦。新暦では、12月16日となる。)
宝永山の誕生ですね[黒ハート]


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朗読劇「季節が僕たちを連れ去ったあとに」観劇 [┣演劇]

ひとりぼっちのふたり
朗読劇「季節が僕たちを連れ去ったあとに」
―『寺山修司からの手紙』山田太一編(岩波文庫刊)より―

構成+演出:広田淳一(CRG/アマヤドリ)
照明松本大介
音響:角張正雄
衣裳:山崎朝子
ヘアメイク:小林雄美
舞台監督:白石英輔(クロスオーバー
舞台監督助手:鈴木政憲(クロスオーバー)
小道具:高津装飾美術

エグゼクティブ・プロデューサー:山本又一朗

なんとなく素敵な気がするけど、よく意味が分からないタイトル。まさに、この公演を象徴している。
このタイトルを知った時点で、この結果に気づくべきだった…[爆弾]
演劇界の鬼才、故・寺山修司と、人気シナリオライターの山田太一が、早稲田大学の同級生だった[exclamation]そして、二人の間には、若き日に思いの丈を書き連ねた往復書簡が存在した[exclamation]
という前宣伝を知った時、“その青春の時期に書かれた書簡を朗読するのかな…”と、漠然と考えていたのだが…。

実際のところ、寺山修司は、大学生の時にネフローゼに罹って治癒までに3年を要し、そのため、大学を中退している。
だから、寺山と山田が同級生として過ごした日々はとても短い。
しかし、共に映画や演劇に魅せられた二人は、ウマが合ったのだろう、寺山が中退して以降も、ずっと親交が続いていた。
とはいえ、松竹に入社した山田が助監督時代、寺山が外部の脚本家の先生として、女優に囲まれてブイブイいわせていたことがあったらしく、その辺から互いに気を遣った結果、少し関係は間遠になる。
が、山田が脚本家として独立してから寺山が亡くなるまでの間は、親交が復活していた。大学時代に寺山が好きだった女性と、(そうとは知らず)山田が結婚したこともあり、山田夫妻と、寺山がその死の直前に旧交を温め合う機会があったという。
私が朗読の対象だと考えていた往復書簡については、山田氏が数年前に一冊の本を上梓している。
その本によると、手紙のオリジナルは長い間山田氏が保管し、失念していたが、その存在に気づいた時、寺山のパートナーで、寺山作品のアーカイブ化に尽力している田中未知氏に渡し、その後返却された原本は、転居の際に紛失してしまったという。現在残っているのは、田中氏の手元のコピーだけなのだそうだ。
その分量が、おそらく一本の朗読劇を作るには少し足りないこと、いくら天才寺山修司の筆とはいえ、内容が闘病中の若者の個人的な書簡である…つまり、エンターテイメント作品としては、ちょっと難しい部分があること、まあ、あとは、いろんな大人の事情があったのかもしれないが、二人の男の往復書簡朗読作品ではなかった。
周辺に、六人も女がいた…[爆弾]開演前、置いてあるイスの数にビビったのは言うまでもない[あせあせ(飛び散る汗)]

最近、「朗読劇」「リーディング」を称する舞台が急増しているが、朗読劇の定義が広がり過ぎているんじゃないか、と危惧する。基本は、「ラヴ・レターズ」のような作品を朗読劇と呼ぶんだよね、と私は思っている。
そして、上演スタイルの問題もあるが、私は、朗読劇にすることで生まれる“効果”にも注目している。
普通、演劇というものは、演出家の指示のもと、出演者が稽古を重ねて上演するものだ。これが朗読劇になると、演出家も稽古も(基本的に)不要にできる、と私は考えている。
音楽で考えてみるとわかりやすい。独奏・二人セッションくらいなら、即興でもやれる。そして、即興の面白さ、というものは、たしかに存在する[ひらめき]そんな、その時だけの、特別な、なにかに惹かれる。
ただ、そんなセッション的な演劇って、逆に毎日やるもんじゃない、という気もしていて。
だから、とても特別なものだと思う。朗読劇というのは。
そのために、ある程度上演期間があるものは、キャストを入れ替えているんじゃないだろうか。
新鮮で、セッションで、演出と稽古が最低限の舞台…私は、そういうものを朗読劇だと認定したい。

そういう意味では、私がここ一年くらい観てきた中では、「しっぽのなかまたち」や「冷蔵庫のうえの人生」は、厳密な意味での「朗読劇」ではないと思う。あれは、演劇の形態として「リーディング」の体を採っているだけで、枠としては、朗読劇の中にない。
そして、今回の舞台も。
出演者が8人の時点で、それはもう「朗読劇」にならない。
演出しなければ、交通整理ができないからだ。

そして、6人の女性達は、たしかに演出に呼応しているようだ。
そんな中、主役の二人の俳優だけが、突然ぶっこまれている感があった。
どんだけ、演出指示受けて来たんだろう[exclamation&question]もしかして、ぶっつけ[exclamation&question]みたいな…[爆弾]
主役二人は、本当に日替わりで、それぞれ2公演×3人のトリプルキャストになっている。彼らだけの物語にするのなら、朗読劇的セッションも期待できたのに、周囲の6人の女子が演劇的な空間を作っているから、ものすごく違和感があった。
どんなふうに稽古が行われたのかはわからないが、作品世界から主役が浮く、ということを強く感じた。
トリプルキャストだから、個性を大事にしようとしたのかもしれない。
でも、ちゃんと稽古で心通わせてない状態で、「互いに爆笑して、笑いが止まらない」シーンなんて痛々しすぎる[ちっ(怒った顔)]
そういうのが、伝わって来てしまった。個性より、そっちの方が重要。すごく残念…[もうやだ~(悲しい顔)]

また、私のように、生前の寺山修司像を知っている世代からすると、今回の寺山修司にはおおいに違和感があった[exclamation×2]
寺山の津軽弁の印象と、彼の書き言葉が繋がらない。
これが寺山です、と言われても、「そんなひとだっけ[exclamation&question]」と思ってしまう。
若き日の、しかも、病気で死んでしまうかもしれない…という不安な日々に書いた私的な手紙だから、後年の寺山と繋がらないのは当然かもしれない。しかし、この作品では、朗読は後に、芝居に転じ、寺山が端正な標準語で山田夫妻と会話している。
それって、寺山修司じゃないから[むかっ(怒り)]

ほかにも、女優に「修司」という役を振って、寺山役の俳優が読む手紙の日付を言わせたりしているのも意味不明だし、田中未知役の女優の演技も固くて不安定な気がした。
その他の役は、要らないんじゃないか、としか思えない。

まあ、大人の事情が色々あるのだろうが…主催は、トライストーン・エンタテイメント。所属事務所に背中から撃たれたようなもんだな、これは。(久々、超辛口だな、オレ)

“今日は何の日”
【11月18日】
官営八幡製鉄所が操業を開始(1901=明治34年)。


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「ゴドーを待ちながら」観劇 [┣演劇]

Kawai Project vol.3
こまばアゴラ劇場主催公演
「ゴドーを待ちながら」

作:サミュエル・ベケット
新訳・演出:河合祥一郎

照明富山貴之
音響:星野大輔(サウンドウィーズ)
舞台監督:小田史一(NON GATE THEATRE)
制作:久保庭尚子、伊藤香津代
制作協力:Real Heaven

芸術総監督:平田オリザ
技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)
企画制作:Kawai Project/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
協力:CAPI

不条理劇の傑作と言われる「ゴドーを待ちながら」を初めて観劇した。

こまばアゴラ劇場は9月に初めて行ったが、3ヶ月連続で行くことになりそう…ぶっちゃけ、居心地のいい劇場ではない。
狭い劇場につめっつめで座るので、けっこう疲れるし、たぶん冷えるのだと思う。上演中にトイレに行きたくなる。(しかし、行けない。つめっつめなので、上演中に外に出ることは不可能…[爆弾]

不条理劇だと、ずっと聞かされてきた。
しかし、今回の公演、不条理でもないんじゃないかな…と思えた。
もちろん、意味不明な部分は多いが、全体として、作者の言いたい方向は読める気がする。そして、私の読み解きが間違っていなければ、これって今の時代に上演する意味のある作品かもしれない、と思った。

舞台に出ずっぱりの二人、ヴラディーミル(原田大二郎)とエストラゴン(高山春夫)は、とても厳しい人生を送っている。おそらくは、死んだ方が楽なくらいに…。
傲慢な金持ちに見えるポッツォ(中山一朗)と、その奴隷のようなラッキー(稲葉能敬)もまた、二部では、目が見えなくなり、口がきけなくなって、一人では生きることができなくなる。
一幕と二幕は、同じような構成になっている。
ヴラディーミル(愛称ディディ)とエストラゴン(愛称ゴゥゴ)がずっと無意味な会話を続けている。二人は、貧しくて、年を取り過ぎていて、死のうとしても死ぬ方法さえ持ち合わせない。
そこへ、ポッツォとラッキーが現れて大騒ぎになる。やがて二人は去り、ディディのところに少年(宮下紘樹/古閑理)が現れ、「ゴドーさんは今日は来ない。明日、行く」と伝える。
結局、幕が開いた時の「ゴドーを待つ」状態は、幕が下りるまで解決しない。(とはいえ、今回、幕はない)
不条理劇と言われる所以だが、話が進んでいないわけではない。
むしろ、一幕より二幕は状態が悪化している気がする。それは、ディディとゴゥゴというよりは、ポッツォとラッキーの悲劇が挟まることで、そう感じるのかもしれない。ディディたちは、もうこれ以上不幸になりようがない感じだからこそ、ポッツォたちの存在が生きる。
そして、そんな、二人のところに来るゴドー(Godot)は、やはり、Godなのかな、トートなのかな…と思う。
私が観た時は、宮下紘樹くんが少年役だったのだが、まるで、神に愛された羊飼いの少年のような、聡明で利発な姿だった。
神の使いと言われても納得できる。
二人が待ち続けるゴドーが、神なら、死なら、「もう死んでもいいよ」と、そちらが思ってくれなければ、生き続けるしかない。どんなに最低のつらい時間だったとしても。そして、そんな、ゴドーを待ち続ける人生、というのが、少しずつ広がっているのではないか…私たちの身近な場所に。
世界の各地、貧しい場所で、救いを待つ人々のために、少しでも何かをすることができたら…と、数年前からユニセフなどに寄付をしている。でも、同じ日本で救いを待つ人々、それも新しい貧困者を救う方法って、まだ確立されていない気がして…そんなことまで、考えながらの観劇だった。
とはいえ、くすっと笑う場面あり、出演者の演技や狂気に引き込まれる瞬間あり、演出の河合さんのご挨拶あり、実は腹痛と戦いながらの観劇だったが、楽しく過ごすことができた。ありがとうございます[黒ハート]

「ゴドーを待ちながら」の日本での上演史は、1960年に遡る。もう50年以上も上演してるんですね。
上演記録が無料配布のプログラムに記載されていた。
1965年の劇団民藝の公演では、ディディ=宇野重吉、ゴゥゴ=米倉斉加年、ポッツォ=下条正巳、ラッキー=大滝秀治…という、とんでもないキャスト[exclamation×2]狂言の方が出演したものもあるし、女性キャストもある。演出も、蜷川幸雄、鴻上尚史、串田和美、森新太郎など、当代の人気演出家がチャレンジしているし、出演者も多士済々。ベケットの存命中は、音楽を入れる演出もあったようだ。(現在は、版権を管理する遺族により、音楽の使用は厳禁とされている。)

“今日は何の日”
【10月31日】
不況による困窮から、埼玉県秩父市の農民が蜂起、いわゆる秩父事件勃発(1884=明治17年)。


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「ゲズントハイト」観劇 [┣演劇]

ナイスコンプレックス
「ゲズントハイト~お元気で~」

作/演出:キムラ真

音楽作曲:橋本啓一
振付:美木マサオ(マサオプション
舞台監督:今泉馨(P.P.P.)
舞台美術:齋藤樹一郎
舞台美術助手:佐藤あやの
照明:仲光和樹(E-FLAT)
音響:須坂あゆみ
衣裳:小泉美都
衣裳助手:鈴木晶子
宣伝美術:岡優貴
ヘア&メイク:平林純子(P³Garage)
宣伝&舞台写真:鏡田伸幸
制作協力:佐藤希(アンデム)
運営協力:アンデム
協力:アイズ、イブエンタープライズ、エイジアプロモーション、エースエージェント、少年社中、シンエイV、スターダストプロモーション、T:Reborn、10・Quatre、ネオ・エージェンシー、よしもとクリエイティブ・エージェンシー、アストラル、おぼんろ、ステッカー、セントラル、テアトルアカデミー

企画 ・ 製作/ナイスコンプレックス

元スタジオライフの三上俊が出演する舞台「ゲズントハイト」を観てきました[黒ハート]

この作品、初演は2011年4月、その後、2012年秋に再演し、今年4年ぶりに拡大公演することとなった模様。

“ゲズントハイト”は、副題の通り「お元気で」という意味だが、ドイツでは、くしゃみをした人にかける言葉らしい。英語で言うところの「Bless You」ってとこかな。

トリオのお笑い芸人をしていた大村(八木真澄(サバンナ))は、メンバーの吉井(ゲスト)脱退後、気力のない生活を送っていたが、そんなある日、阪神淡路大震災が起こる。取るものもとりあえず、ボランティアに向かった神戸市長田区で、大村は、一人の老人を笑わせる。笑いの輪が広がり、老人たちが立ち上がり、復興の機運が生まれた。医学生だった秦(室龍規)は、それを見てすごいと思った。

それから数年、この時の「笑顔のちから」に感動した大村は、海外でクラウン(道化)の勉強を重ね、病院のこどもたちに笑顔を届ける仕事をしようと考えていた。

彼は、高校の同級生で、現在、病院勤務している医師・稲葉(井俣太良)を訪ねる。が、病院を甘く見ていると言って稲葉は協力しようとしない。婦長(大森照子)も、大反対。が、院長(ブラザートム)は、一度やらせてみては[exclamation&question]と言う。その結果は、大失敗[バッド(下向き矢印)]
諦めきれない大村は、かつての相方、広瀬(三上俊)を連れ出し、こっそりと病院にやってくる。

病院には、長い入院生活で、子供の理子(伊藤寧々)だけでなく、母親(紅林里美)まで疲弊している田中親子とか、心因性でぜんそくが治らない華子(森碕ひろか)、最初に大村がこの病院に来た時、検査を勧めた結果病気が発見された亜希子(中村麻里子(AKB48))などが入院している。
一生懸命な二人のクラウンの姿に、看護婦の小谷野(早野実紗)や、医師の鶴岡(濱仲太)も協力するようになる。
が、ある日、末期の乳がんで入院していた18歳の久子(内田眞由美)が倒れたことで、ショックを受けた大村は…

そして、クラウンたちに心を開かない亜希子と、その父(内堀克利)との関係は…[exclamation&question]

…とまあ、そんな物語。
とにかく、一生懸命な姿に、素直に感動できる物語でした[黒ハート]

広瀬が大村を叱咤激励するシーン、その怒りが滲み出てくる雰囲気が、じんじん伝わった。なのに、最後をちょっと敬語にするところが、なんとも三上っぽい。三上のための変更だったら、よく見てるな。

ブラザートムの院長が、味があって、とにかく引き込まれた。

ゲストは、私が観た回は、おぼんろの末原拓馬。色白で、細身、長身。かっこいい役者さんだった。おぼんろに興味出てきたかも。

一生懸命頑張ることの大切さだけじゃなく、色々なことを考えさせられる構成で、何度も再演され、こういう大きな会場で成果を試したいという気持ちもすごいわかる作品だと思った。きっとまた再演されると思う。

そういえば、DVDが出るとのことだが、色々な権利処理は大丈夫なのかな[あせあせ(飛び散る汗)]

ヒーローもののスーツアクターという話で、「HEADS UP!」を思い出したが、それはそうと、なぜウルトラマンレオなんだろう。大昔すぎて、さすがにそれはないんじゃないか、と思った。(祐飛さんが生まれた頃の作品なんだけど…)
(お父さんの独身時代、初めての主役を娘が再放送で見たということかな。でも、そうしたら、お父さん、60代くらいかな…)

写真は、終演後に行われたバルーンの作り方講座で、教えてもらった「ウサギ」です。(全然見えないですよね)

三上くんの作るウサギは完璧でした。練習したんだろうな。

バルーン.jpg

“今日は何の日”
【10月28日】
群馬県誕生(1871=明治4年)。
(←旧暦。新暦では、12月10日となる。)
七日市県・小幡県・伊勢崎県・安中県・沼田県・高崎県・前橋県・岩鼻県が合併したとのこと。昔は、ずいぶん県ってちっちゃかったのね。


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コズエヲプロデュース。「kakoi-no-soto」観劇 [┣演劇]

コズエヲプロデュース。
「kakoi-no-soto」

作・演出:三浦佑介

企画・制作:コズエヲプロデュース。
原案:三浦梢
音響美術:石塚うた

Studio Lifeの藤波くんが出ている「kakoi-no-soto」を観てきました[るんるん]

マユ.jpg

この「コズエヲプロデュース。」は、女優の木野コズエが少女趣味的ダークメルヘン、“痛メルヘン”を上演するシリーズらしい。で、今回の「kakoi-no-soto」は、その第7弾。とはいえ、第2弾の再演作品のようだ。その第2弾の初演は2011年。あの年に、こんな真っ暗な芝居をよく上演できたな~と、思う。と同時に、世界の不幸を報告するお兄さん(タロウ)の姿は、なんとシュールに映ったことだろう…とも。

主人公は、マユという名の少女(木野コズエ)。ドルクシュタイン病という病気を発症し、その日から、「身代り様」という名の神様になる。世界中の不幸を肩代わりして、身体中に傷が増えていく。やがて、傷は内臓にまで広がって死に至る病気だ。(架空の病気。でも、手足が木のようになる病気とか、全身の皮膚から爪が生える病気とかがあるので、こういう病気があっても不思議じゃない気がする。)
兄のタロウ(藤波瞬平)は、マユをお堂に閉じ込め、彼女が救った世界の情報を毎夜語る。彼には妻がいて、マユがこんな風になる前に、普通に結婚した。しかし、今、妻・トワコ(袴塚眞実)は身代り様のための家政婦のような存在と化していた。お堂には猫(薬師寺尚子)がいて、マユの話し相手になっていた。
ある日、そこに雨宿りの男・タナカ(小島明之)が現れ、マユを外の世界に連れ出そうとする。タナカは医者らしい。マユは、タナカによって人間らしさを取り戻していく。しかし、身代り様という生きがいを失ったタロウは、妻を殺し、タナカを殺そうとする。不幸じゃなくなったら身代り様じゃなくなるから。

物語はそれほど複雑なストーリーではないが、痛メルヘンというのは、よくわかった。
暗闇と薄明りの中、観客の唾をのみ込む音さえ響いてしまうような、ぶっちゃけ居心地の悪い空間で、繰り広げられるガチの痛いメルヘン。神経が研ぎ澄まされたような感じで、観劇後、興奮がおさまらなかった。
演劇って、ワルイモノをこっそりと観に行くものかもしれない…そんな舞台でした[黒ハート]

役者が操る「手元の灯り」がなければ、漆黒の闇。
商業演劇では、暗転でも、完全な闇は作らない。この漆黒の闇って、学生演劇の匂いがする。懐かしいな。友達が大学時代演劇部で、よく観に行った。その時、漆黒の暗転がとても苦手だったことを思い出した。自分が生きているかどうか、自信がなくなってくるほどの闇…
灯りを消すとき、「ふっ」と息を吹きかけていたので、最初、ロウソクが入っているのかと思った(笑)
でも、スイッチ音がしないのは、どうなっているんだろう[exclamation&question]

“今日は何の日”
【10月17日】
愛知県犬山市に日本モンキーセンターが設立された(1956=昭和31年)。

サル専門の動物園を運営しているだけでなく、霊長類の研究所も付属している。ニホンザルの保護もしているそうです。


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「真田十勇士」観劇 [┣演劇]

スペクタクル時代劇
「真田十勇士」

脚本:マキノノゾミ
演出:堤 幸彦
音楽:ガブリエル・ロベルト
殺陣:諸鍛冶裕太
美術:松井るみ
照明:高見和義
音響:井上正弘
衣裳:宮本宣子
ヘアメイク:川端富生
映像:髙橋洋人
ステージング:広崎うらん
演出助手:松森望宏
舞台監督:小川 亘
制作進行:児玉奈緒子
プロデューサー:松村英幹

スタジオライフの「BLOOD RELATIONS」観劇後、Kさまに連れられて、新国立劇場へ。
当日券で「真田十勇士」を観劇してきました[黒ハート]

大河ドラマで「真田丸」をやっていることもあって、真田幸村(信繁)に興味はあるものの、真田十勇士の知識がまったくなく、個別「猿飛佐助」とか「霧隠才蔵」とかは知ってるレベル。これで大丈夫かな[exclamation&question]と思いながらも、加藤和樹くんや、村井良大くん、懐かしの荒木健太朗くんが出てくるので、楽しく観劇できた。

舞台は映像などもガンガン使って、初めて舞台を観るようなお客さんも楽しめる雰囲気。
こういう「エンターテイメント」な舞台って、無条件で元気をくれるよね。勘九郎さんが、「歌舞伎」を飛び出して、こういうエンターテイメントを魅せてくれたことが、すごい重要だと思う。
「舞台を観る」ことを趣味にする人が、一人でも増えますように…

ちなみに、ほぼ同じキャストで映画版も公開中です[exclamation]

“今日は何の日”
【10月10日】
日本銀行が開業(1882=明治15年)。


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「子どもたちは未来のように笑う」観劇 [┣演劇]

子どもたちは未来のように笑う」

作・演出:宮沢章夫(遊園地再生事業団)

音楽:杉本佳一
舞台美術:濱崎賢二
照明:富山貴之
照明オペ:山岡茉友子
音響:泉田雄太
衣裳:正金彩
衣裳アシスタント:井上茉南
舞台監督:中西隆雄、吉成生子
宣伝美術:相馬称
絵:はっとりさちえ
演出助手:山本健介
制作:赤刎千久子、有上麻衣

協力:文化服装学院スタイリストコース

芸術総監督:平田オリザ
技術協力:鈴木健介(アゴラ企画)
制作協力:木元太郎(アゴラ企画)

企画制作:遊園地再生事業団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場
主催:(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場

劇作家・演出家にして、サブカルチャー界の伝道師、宮沢章夫氏の新作。朗読のワークショップから始まって、舞台化された。

宮沢氏のことは、とあるワークショップ(?)を受けて突如気になり、ずっと舞台を観たかったのだが、なかなかチャンスがなくて。脚本だけを手掛けた「ひょっこりひょうたん島」は、WOWOWの舞台中継を見たのだが、宮沢の脚本(山本健介との共同脚本)と、串田和美の演出が、私には噛み合っているように思えず、やはり、宮沢脚本・演出の舞台を観たいと熱望していた。

で、大満足[exclamation×2]

まず、舞台セットがすごい。
八角形の鳥かごの中で、芝居が進行する。これは、結界なのか、夢殿なのか。
網部分は、役者の顔に当たる部分は、網目が特大になっていて、それ以外のところも、大きめなので、視界が遮られることはない。むしろ、八角形を形成している柱の方がネックかな。

まず、ひとりの男(上村聡)が踊るようにしてセットの中に入ってくる。その踊るような様を眺めている間、客入れが粛々と行われているのが、かなりシュールな光景だ。最後は、階段部分をつぶして客を入れるので、一人ずつの案内になる。それで、時間がかかるのだ。初日付近の、超満席じゃなかった頃は、このシュールさは、なかったのかな。全員が息をつめて、この踊りのようなものを見ていたのだろうか。

で、登場人物は、踊りながらセットに入ってくる。とりあえず。
そして、いきなり、なんと、セックスシーンから始まる。出演者は、服を着たままなので、エロティックというよりは、微妙に面白い。そういう時に口走る言葉って、冷静に考えると意味不明で面白い。「終電で帰って」とか「タクシーで帰って」と言っている間に再び始まってしまうと、行為の間なのに、ずっと「終電」とか「タクシー」と言っていたり…いかにもありそうな感じがいい。
女優さんの方が、超ベテランの松田弘子というのも、安心材料だったかも。妙齢の女子だと、やっぱり、いくら服を着ていても、正視できなかったかも。
で、その時、15分だけ、この世界中で、たった1組しかセックスをしていない時間があった。そんな奇跡の時間、女は妊娠する。で、生まれた子供が涼子(藤松祥子)。それから20年して男は死んだ。49歳だった。死んだから、ナレーションをしている。死んだから、奇跡の瞬間があったことを、奇跡の子供が生まれたことを知っている。
涼子は成人し、結婚し、妊娠する。妊娠中に羊水検査をしたら、染色体異常がわかった。悩んだ末、涼子は出産を決意する。
冒頭のシーンが、おそらく、時系列的には一番後になると思われるが、この芝居がワークインプログレスという、ワークショップ状態だった時からこの設定はあったという。ハッキリと言葉で表現されていないが、ダウン症の子ども…母親の涼子は、明るく振る舞っているが、友人の優奈(鄭亜美)が、「あなたが生きていると周囲が迷惑する」と言って、こっそり首を絞めようとする場面には戦慄した。
現実は、演劇の何倍も恐ろしい。(芝居は、ちゃんと母親が帰ってきて、この場面は終結する)

その前後、左右、あっちこっちの物語が交錯し、そこに、既存の本や雑誌の朗読シーンが加わる。
雑誌に掲載された山口智子のインタビュー記事が、「ことば」として耳から聞くと、読むよりさらに衝撃的だった。


私は特殊な育ち方をしているので、血の結びつきを全く信用していない。私はずっと、『親』というものになりたくないと思って育ちました。私は、『子供のいる人生』とは違う人生を歩みたいなと。だからこそ、血の繋がりはなくとも、伴侶という人生のパートナーを強く求めていました。

その他、佐野洋子の赤裸々な出産体験をつづった小説とか、チェーホフの「かもめ」もニーナを“子どもを産んで、失った女性”という視点で取り上げる。エッセイ、小説、戯曲…ありとあらゆる媒体の「妊娠・出産」を次々と抜き出して提示していく。
ニーナ役を三人の女優(長野海・黒木絵美花・大場みなみ)が割台詞のように演じるのは、とても画期的だった。彼女の中の、何かに引き裂かれた部分は、ひとりの女優が演じるより、言葉が伝わる[exclamation]でも、これ、普通の「かもめ」の舞台に三人のニーナが出てきたら、真剣な芝居に見えないから、こういう形で実験するのって、とてもいいアイデアだな、と思った。
そして、そんな「妊娠・出産」の洪水の中、いきなり、「ぼくらが非情の大河をくだる時」の一節が登場し、小寺悠介大村わたるが、客席の階段を昇って、一度外に出ていく場面を作ったのは、先日亡くなった蜷川幸雄氏への追悼だったのだろうか。しかも、プログラムにだけ記載されている小寺の役名が“石江”で、大村の役名が“蟹橋”…これは、初演で兄弟を演じた石橋蓮司と蟹江敬三を思い起こさせる。蜷川さんへのオマージュだよね[exclamation&question]
二人が出て行った先には、新宿の街があったはずだ…と思いつつ、実は、駒場なんだけどね。
(宮沢さんの講座(Eテレのサブカルチャー講座含む)を受講していれば、かなりの確率で「ぼくらが非情の大河をくだる時」の話は出てくる。ここで「[ひらめき]」と思えることは、宮沢ファンの基本ですが。)

三人のニーナは、「三人の佐季」にもなる。佐季は、イタリアンレストラン(先ほど石江と蟹橋が空腹を抱えてやってきたレストラン)の従業員。時々客にブチ切れる。
彼女は、子供がほしいのに、授からない。それで情緒不安定になっている。
店にはいろいろな客が訪れる。
明らかに研究生を狙っている演劇学校の講師(大村)とか。「君、胸大きいね」ばっかり言っていて、アホちゃうか、と思わせる雰囲気がGJだった。
そういう客にキレて、客にケンカを売るホールってどうなんや[exclamation&question]と思うけど、妊娠できないプレッシャーって、全世界にケンカ売りたいくらいのものなのかな、と感じた。それを三人が畳みかけるように言うのだから…[あせあせ(飛び散る汗)]
一方、その職場でホールとして働いている岡崎麻由()は、三人の佐季の前で、「アタシ、今、妊娠した」と呟く。ちなみにカレシとは半年前に別れたそうで…これで妊娠してたらSFなのだが、その数か月後、三人の男(妻が妊娠していて定期健診にやってきたのを待っている、という設定で、いかにも素人っぽい発言で笑わせる)が話しているところに、本当に大きなお腹で現れる、という不条理な展開もあったりする。

そして、この佐季(ここでは一人)が、家族で食事に来て、そこで羊水検査の結果について告白する涼子に対して、「そんな子は産むべきじゃない」と言い出し、売り言葉に買い言葉で、涼子は絶対に産む[exclamation]と宣言する。
世界で15分だけ、の奇跡の子ども、涼子は、こうして母親になった。奇跡の子どもの母親に…

もっと、今の日本で子どもを持つことは…とか、そういう難しいテーマかと思っていたが、短いスケッチの連続によって、「妊娠・出産」にまつわる人々の心の機微をたくさん見せてもらい、大満足。1時間半くらいの舞台だったが、仕掛けがいっぱいで、面白かった。
やっぱり、宮沢演出のミザンスはすごいな…[黒ハート]

“今日は何の日”
【9月21日】
銀座・三越呉服店で、日本初のファッションショー開催(1927=昭和2年)。

モン・パリ誕生の年には、やはり、モダンな試みがされているのですね。

416年前のこの日、潜伏中だった石田三成が、ついに捕縛されたとのこと。(旧暦)


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「アヒルと鴨のコインロッカー」観劇 [┣演劇]

「アヒルと鴨のコインロッカー」

原作:伊坂幸太郎(創元推理文庫刊)
脚本・演出:ほさかよう

美術:原田愛
照明:五十嵐正夫
音響:大久保友紀(ステージオフィス)
ヘアメイク:山本成栄
衣裳:小泉美都
舞台監督:高山和也

大道具製作:C-COM
制作:公益社団法人日本劇団協議会
制作協力:ネビュラプロジェクト NAPPOS UNITED
企画:首藤健祐(東京ハートブレイカーズ)
プロデューサー:仲村和生
主催:文化庁 公益社団法人日本劇団協議会
 

キャラメルボックスの多田直人が、劇団公演を離れ、現在武者修行中。スケジュールの合う限り追いかけたい[黒ハート]観劇の動機はそれだけ。

舞台も小説も衝撃的な場面からのスタートだが、時系列的に簡単に話を纏めておく。
大学生になったばかりの椎名(多田直人)は、初めての一人暮らしにドキドキ。まずはアパートの両隣の家に手土産を持って行こうとする。そしてドアの前で口上のリハーサルをしていると、片方の家のドアが開き、「うるさい[exclamation]」と注意を受けてしまう。さらに出したばかりのゴミを一瞥し、「分別[exclamation]」と注意まで…[爆弾]
最初からこれでは、ご近所さんと仲良くするのは無理かも…[がく~(落胆した顔)]
絶望的な気持ちで、ゴミの中から、分別対象のペットボトルを取り出す椎名。その時、彼の口をついて出たのは、ボブ・ディランの『風に吹かれて』だった。この曲は、登場人物が歌ったり、BGMとしてだったり、全編を通して、このドラマに流れ続ける。
椎名の歌につられるように、もう片方の隣家のドアが開き、同じ位の年頃の青年(山田ジェームス)が登場する。
椎名は、特にボブ・ディランに思い入れがあるわけでもなく、曲もこの一曲しか知らないのだが、青年は最初から椎名に親しみを感じているようで、自分を「カワサキ」と呼ぶように、と言い張る。「かわさきさん」ではなく…
カワサキ(川崎か河崎かと椎名が聞いた時、答えてもらえなかったので、以後、このように表記する。)は、椎名をさっそく自室に招き、「この部屋の隣りの隣りには、外国人が住んでいる」と告げる。
そういえば、さっきの人、「うるさい」とか「分別」とか、妙なイントネーションで単語しか言ってなかったな…と椎名は気づく。
ところが、椎名がそんなことを考えている時、カワサキは、唐突に椎名を【強盗】に誘う。
強盗先は一軒の本屋。広辞苑を一冊盗むのだと言う。そしてカワサキは椎名に見張りを命じる。『風に吹かれて』を10回歌ったら戻ってこい、合流しよう、と。
見張りの途中、椎名は、非番のアルバイト店員女性に声をかけられるが、なんとかごまかす。そして、椎名が車に戻ってくると、カワサキは満足そうにしていた。椎名は、そこにあった辞書を手に「これ広辞苑じゃなくて、広辞林だけど[exclamation&question]と言うが、カワサキは気にしていなかった。
カワサキとの出会いは、椎名に、多くの謎と不安を与えたが、そこへ追討ちをかけるように、母からの電話がある。父が入院したので見舞に帰ってこい、それどころか、もう大学どこじゃないから退学して帰ってこいという電話だった。
入学したばかりでそれはないだろう、と思いつつ大学に行き、それなりに友達もできた椎名だったが、彼らは、隣人が外国人なんてありえないと言い出し、椎名はちょっと違和感を感じるのだった。
帰りに本屋に行こうという友人たちと別れ(昨日の強盗[exclamation&question]事件のことがあったので、さすがに本屋を訪れる気にはならなかった。)、バスに乗ると、そこに執拗なチカンがいた。乗客たちは、チカンを訴える女性の声を黙殺している。すると、一人の女性客が敢然とチカンに食ってかかり、撃退する。椎名はとっさにバスを降りた女性を追い、声を掛ける。
偶然にも、その女性は、昨日、カワサキの話に出てきたペットショップの店長、麗子(実川貴美子)だった。こうして、椎名は、カワサキと、ブータンからの留学生・ドルジ、そしてカワサキのもとカノでドルジと付き合うようになった琴美(清水由紀)の過去の物語に巻き込まれていく―

舞台は、アッと驚く展開を経て、ラストシーンへなだれ込んでいくのだが、伏線の張り具合、その回収の仕方が見事な上に、ドラマとしても面白く感動的で、これで入場料4000円って何か間違ってませんか[exclamation&question]みたいな舞台だった。
いや、間違ってない[ぴかぴか(新しい)]
実は、この公演、「SUKA-SUKA AJA DE!」と同じく、「日本の演劇人を育てるプロジェクト」の一環なので、文化庁が主催している。国からお金が下りているので、チケット代が安くても大丈夫ということなのだろう。
ちなみに育成は「演出家部門」とのことなので、作・演出のほさかよう氏が対象のようだ。ほさか氏の作品は、4年前にスタジオライフの小野健太郎などが出演した「眠れない羊」を観ている。あれも、ミステリーっぽい中にドラマとしての仕込みがいっぱいあって、先日観劇した「天球儀」みたいな展開だったが、あれよりずっと面白かった(直球)[ぴかぴか(新しい)]

そんな中、タイトルの「アヒルと鴨」については、中盤に言及があるのだが、「コインロッカー」が最後まで登場しない。そして、それは、アッと驚く使い方だった。
あとは、やはり、出演者がキモ[ぴかぴか(新しい)]
主役なんだけど、物語的には脇役というか、傍観者となる大学生、椎名に、32歳の多田を敢えて起用した慧眼[exclamation×2]
説明役でもあり、巻き込まれ役でもあるこのポジションを、ちゃんと立てて演じられる人であり、18歳と言っても「うそだ」と言われないだけのフレッシュさがある…ありがとう、多田直人、そこにいてくれて[exclamation]
ドラマの真ん中にある“三人の物語”は、バッドエンドかもしれない。が、そこに傍観者・椎名の視点が加わり、さらに椎名の物語(ここぞ!というところに本屋のアルバイト嬢(馬渕史香)が出てくる)が、作品に希望を与えている。
これ以上、個別に書くことが何もないくらい、彼は、椎名としてそこに立っていた[ぴかぴか(新しい)]

そして、この芝居のキーパーソンである山田ジェームス武
前半と後半で、まったく見え方が違う。それは、観る側の刷り込みのせいもあるのだろうが、本当に別人に見える。もう、なんか、役と本人の区別がつかないくらい、すごい[ぴかぴか(新しい)]

琴美役の清水由紀もよかった。この元気、この明るさ、この不屈の精神[exclamation]ドルジが心を開き、河崎が安易に手を出せなかった琴美の真髄みたいなものが、数々の奇跡を起こしたんじゃないだろうか。きらっきらの笑顔と女の子らしい啖呵が印象に残った。

細貝圭は、一番謎の多い役をさらっと演じていて、かっこよかった。長身でかっこよくてさりげない。彼にはいっぱいの「なぜ」が付きまとっていたが、そっか、優しい人なんだな…と腑に落ちた。

実川馬渕もきっちりとキャラを見せてくれ、その他の面々もすべて適材適所、全員が「アヒルと鴨のコインロッカー」の奇跡の出演者陣だと思った。

ほさかよう、コインロッカー閉じ込め決定だな[わーい(嬉しい顔)](←観てない人にはわからないってば[exclamation]

“今日は何の日”
【9月16日】
日本中央競馬会(JRA)、設立(1954=昭和29年)。


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「きんとと」観劇 [┣演劇]

クロジ第15回公演
「きんとと」

演出:野坂実(東京ジャンケン)
作:森悠

舞台監督:丸山賢一、浜辺心太郎
音響:前田規寛(ステージサウンドエフェクトデザイン)
音響オペ:志水れいこ
照明:冨田まゆみ(東京舞台照明)
照明オペ:廣田恵理(東京舞台照明)
舞台美術:吉野章弘
衣装:小泉美都
ヘアメイク:Chiaki
音楽:村田祐一
演出助手:佐藤里真
演出部:小林直幹、細谷春陽、寺嶋良浩、野々村歩、斎藤千影
アクション指導:藤田けん、佐野
制作:松島瑞江(エムキチビート・Andem)
プロデューサー:福圓美里、松崎亜希子
企画製作:クロジ☆事務局

面白かった!
そして、「宮本武蔵完全版)」を観て、“面白かったけど…”と思った「てんてんてん」の答えを見たように思った。
理解する(理解した気になる)、って、カタルシスなんだな、と。
「宮本武蔵(完全版)」の武蔵のこと、私は全然理解できない人間だと思った。最初から最後まで。「きんとと」の萩泉のことは、一番最後に理解できたと思った。そして、そっちの方が居心地よかった。肌感覚でしかないけど。
自分にとって、気持ちいい作品がどんなのか、少し理解できたような気がする。
(だからって、食わず嫌いはしませんが。)

時代はつまびらかにされていないが、だいたい明治の末期かな。各部屋の灯りが電気だったと思うし、ラストの火事起こすシーンで、火打石を使っていた。行燈があったら、わざわざ火打石は使わないだろう。
数十年後に現場を訪れる男とそこにいる女の会話から、男が過去を思い出し、そこからかつて、そこにあった娼館「いづみや」がよみがえる、という形でスタートする。そう、男が訪れたその場所は、火事で焼失したが、娼館だった。しかも男娼を置いていた。そして、男は、萩泉(しゅうせん)という名の男娼に思いを残していた。彼は火事で亡くなったのだろうか…

顕れた娼館は、手前センターにロビー兼接客所があり、その真上が萩泉(藤波瞬平)が専用に使っている部屋。廊下の反対側にも部屋がある。階段を降りる途中の上手にも一部屋。ロビーの奥にたぶん台所。下手にも一部屋。
部屋の中は見えないが、灯りが入ると見える。たまに、ラブシーンを同時に見せる。
店には、身請の決まっている玉菱(たまびし)ねえさん(三石琴乃)を筆頭に、はま乃(木村はるか)、萩泉、そしてもう一人男娼の雪路(ゆきじ)(阿部敦)、かむろの棗(なつめ)(伊藤かな恵)がいる。そして、女将の常葉(ときわ)(松崎亜希子)と雑用係兼用心棒の泰介(三原一太)、顔に火傷をした女・睦(むつ)(福圓美里)がおり、オーナーの若槻(前田剛)は時々やってくる。旧華族らしい。
すべての人物にそれぞれの物語があって、それが火事という大ごとによって大きく動いていく。
冒頭、ロビーで飲んでいる客は、玉菱ねえさんを身請けする商人の木澤(楠見尚巳)。
そこへ軍人の二人連れがやってくる。部下の日下(大高雄一郎)は、あまり乗り気ではないらしい。彼は真面目な上に、新婚なのだ。上司の戸塚梅村隼宣)は彼のために「とっておき」を用意するように、と言う。そうして日下は、萩泉に出会う。
翌日、日下は一人で萩の花束を持って現れる。非礼を詫びるために。いや、もう一度会うために。日下はすっかり、萩泉のとりこになった。しかし、真正直な日下のこと、すぐに新婚の妻、とう子(藤田咲)があやしみ始め、彼の後をつける。学友でありながら日下の家の使用人をしている芝田(平川大輔)も心配してついてくる。
引退の日が近づいている玉菱は、次の世代を担うであろう棗に教えられることはすべて引き継いでいこうと思っているが、玉菱を慕うはま乃は、残されたわずかな時間、玉菱を独占できないのが悔しい。
雪路は仕事がいやで、いつも脱走を試みては、泰介に仕置きを受けている。
棗は、できるだけ深く物事を考えないようにしながら、モラトリアムの時間を過ごしているが、ある日、女性の絵を描かせてほしいと言って店にやってきた画家の嶋(佐野功)が門前払いをされているのを見て、興味本位に彼のモデルになってしまう。
とう子は、日下が来たら追い払ってほしいと言って、お金を払おうとするが、断られる。
ふだんは雑役婦として働いている睦は、みんなが出払っている時だけ、戸塚が買ってくれる。ただし、戸塚は平気で睦を殴る。それを我慢することしか、本来の立場(娼婦)として睦が生きることはできない。ある日、はま乃が、戸塚が時々殴ったり首をしめたりする、ということを語り、睦はキレる。私だけじゃないの、と。
雪路は女将の常葉と関係ができてから、安定して仕事をするようになる。が、若槻は、二人の関係に気づいても、それで店が安定して運営されるのであれば…と考えている。
ある日、結婚して出ていった玉菱が、婚家で酷い目にあって戻ってくる。それを境に、すべてが大きく変化していく。

娼館という閉鎖された空間。
そこで、娼婦と呼ばれる女も、男娼と呼ばれる男も、訪れる男たちに身体を売る。(男娼を買う女がいるような時代ではない。)
身体を売るとは、どういうことか…睦は棗に対して、端的に「股をひらく」と言っている。雪路は、「からだじゅう舐め回されて…」と言っている。睦自身は、戸塚にぐーで殴られていた。次の客が取れないほどのことをされない限り、すべてを受け入れる…というのが、身体を売るということなのだろう。
とはいえ、仮にもプロなのだから、すべて受け身でいては身がもたない。玉菱ねえさんや、萩泉の行動を見ると、トップに立つ者の技量みたいなものが読めてくる。客に対して、「上から目線」を貫くことで、自分の身を守っている部分がある。でもそれって、この娼館のトップだから許されてるものでもあるから、全員が同じ手は使えないけど、まあ強気でトップに上りつめることが、身を護る第一の方法だし、玉菱ねえさんは、その上、身請け先までゲットできた。
娼婦であることのアイデンティティー・クライシスに陥っているのが、睦。彼女は、禿である棗に「娼婦とは股をひらくことだ」と言って、彼女に恐怖を植え付けた。睦の発言を見る限り、彼女は、それがつらいと思っている。そして睦は顔に火傷跡がある。だから、彼女を買おうなんて客はいない。いつもお茶を引いている睦は、率先して下女の代わりをやっている。でも、それが本来の仕事であるかのように、おもてなし精神を発揮したりはしない。なけなしのプライドは、自分だって娼婦のひとりである、ということに向いている。
アイデンティティー・クライシスといえば、女将の常葉もそう。玉菱と双璧の娼婦だった常葉は、オーナーの若槻に引かされ、女将として「いづみや」を任されている。彼女は、身請けされたにもかかわらず、娼館を出ていない。玉菱が経験した「外の世界」を知らない。そのことが、「ここでしか生きられない女」という恐怖を常葉に与えている。それが、彼女の“決意”に繋がる。
嶋は、棗を描いたものの、棗の人生を引き受ける覚悟を持っていたわけではなかった。そろそろ客を取らせる、という若槻の決定を知り、棗はハッキリとそれをイヤだと思った。相手が自分を受け入れてくれず、絵ができたら、もう来てくれなくなってしまったとしても、棗は嶋を愛していた。娼婦としてデビューする前に、心は恋を経験して、肉体と精神のバランスが取れなくなってしまった…
日下の妻は、どんどんエキセントリックになって、とうとういづみやに乗り込んできて、なぜか、はさみを持ち込んでいて…という、相手が男娼だけに、ちょっと笑ってしまえる場面が、その後の大きな悲劇の伏線になっているのがうまい。さっきのはさみ、どうしたっけ…ってのは、ちょっと思ってたんだけど…そう使うのか[exclamation]
萩泉は、いつも、泰然自若、色々なものを綺麗に渡って生きていて、柳に風のようなセリフが心地いい。それが、時々ドッキリするほど声を張るところがあって、そこでイケボに倒れそうになる[黒ハート]ラストの睦への台詞もイケボすぎて、腰が抜けそうでした[揺れるハート]

でも、身体が弱かった…って、あんなにお座敷務めまくって、信じられないわ…[もうやだ~(悲しい顔)]
強いのは、あっちだけだったのでしょうか…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]

“今日は何の日”
【8月29日】
全国焼肉協会が語呂合わせから「やきにくの日」が制定される(1993=平成5年)。


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「宮本武蔵(完全版)」観劇 [┣演劇]

「宮本武蔵完全版)」

作・演出:前田司郎
音楽:大竹涼太
舞台監督:西川也寸志(箱馬研究所)
舞台美術:松本わかこ
照明音響:山口久隆(S-B-S)
映像:窪田敏男
衣裳スタイリスト:正金彩、原田つむぎ
ヘアメイク:栗林洋子
演出助手:丹治泰人(箱馬研究所)
舞台美術補佐:谷佳那香
演出部:加藤唯(箱梅研究所)
衣裳アシスタント:椿恵吾、福士紗也佳、服部芽生、大塚明日香、和田祥子

宮本武蔵と佐々木小次郎がどんなにかっこいいか、ということについては、こちらのDVDをご覧ください。

厳流

厳流

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2009/03/27
  • メディア: DVD




今回の「宮本武蔵」は、全然かっこよくない[exclamation]まずそこからスタートする。

決闘する二人の侍(山田裕貴・遠藤雄弥)。それを眺めている男(矢崎広)と女(鮎川桃果)…男はどうやら佐々木小次郎らしい…そんなところから物語は始まる。そのうち、決闘している片方が、俺が勝った!と一方的に宣言する。戦わなくても勝ちがわかってしまったとかなんとか…。
ものすごくうさんくさい男[爆弾]そう思った。
で、どういうわけか、この二人、決闘しようとしていたのに、同じ宿に泊まることになる。その時、このうさんくさい男が宮本武蔵だとわかるのだが、あまりにうさんくさくて、「ほんとか?」と思ってしまう。なんだか、「自称宮本武蔵」に見えて[あせあせ(飛び散る汗)]
さらに決闘を眺めていた佐々木小次郎と女もそれぞれ別にこの宿に泊まっていることがわかる。
女は、千代という名で、仇討の使命を帯びていて、兄・伊織(養子なので血の繋がりはない)(金子岳憲)と一緒に旅をしている。
やがて、この奇妙な四人の男たちは、一緒に行動するようになる。一緒に酒を飲んだり、風呂に行ったり。が、そこでも武蔵の奇行は止まらない。刀を外さないとか、人の褌姿を見たがるとか[爆弾]人懐っこいくせに人を信じない、不思議な個性…。
で、武蔵がこの宿に来たのは、幼なじみのツル(内田慈)がここにいるという情報を得て。そのツルは女将(山村崇子)の息子、狸吉(大山雄史)と結婚していた。その狸吉は、侍に憧れ、鎌を使って剣術の稽古をしている。また、仇討の男女には、叔父(志賀廣太郎)がいて、山伏に扮して二人の様子を見守っている。
伊織たちの仇は、「宮本武蔵」。彼らの父を卑怯にも後ろからバッサリ斬ったらしい。伊織は、仇討に消極的で、しかも千代を愛していた。二人は、仇討をやめて駆け落ちをしようと考えている。そんな二人の寝所に忍び込んだ武蔵は、昼間、仲よく語らっていた伊織の頭を石でたたき割ってしまう[爆弾][むかっ(怒り)]
だって、生かしておいたら、俺を狙うかもしれないじゃない…[たらーっ(汗)]と。

武蔵はいつの間にか、決闘相手だったはずの亀一郎(遠藤)と行動を共にしている。
一方、佐々木小次郎は、狸吉をニセ武蔵に仕立て上げ、彼の二刀流芸を売って商売をしている。(つまり、現代まで伝わっている宮本武蔵像は、ニセ武蔵の方らしい)今度は巌流島で決闘ショーを企画しているらしい。
評判を聞いた千代は、それがニセ武蔵と知らずに、後を追う。
また、女将は、姿を消した息子を探している。
そして、偶然と思いこみが誤作動して、多くの人が死んでしまう。千代は、山伏と共謀して武蔵の殺害をもくろむが、斃した相手はニセ武蔵だったし、小次郎は勘違いして騒ぐ女将が勝手に剣の中に飛び込んでくる。
どうする、巌流島[exclamation×2]
ということで、小次郎は現場に現れた本物の武蔵に八百長試合を提案するが、武蔵は、小次郎を毒殺してしまう。
決闘ショーなんて、本気になられたら危険、危険…[たらーっ(汗)]というわけだ。
そんな武蔵は、ツルに会いに行き、徹底的に拒絶されてもその意味を解さない。
ズルくて子供…それが、完全版宮本武蔵なのだ。
それ以外の人物も、武蔵ほどではないが、みんな子供なところが面白さの秘訣か。
武蔵は、亀一郎と一緒に旅を続けることになってTHE END。

ほとんど最初から最後まで笑いっぱなしだった気がする。
登場人物の台詞は、現代人と一緒。それも今風の若者である。演劇的な断定口調も使わない。揺れたりブレたりも、すべて台詞に入っている。ただ、侍メンバーは、台詞の語尾に「ござる」「ござるよ」をつける。その絶妙な違和感が笑いを増幅する。
そこらへんにいるような若者口調がめっちゃリアルで、なのに「ござる」がつくから、シュール。
誰もが知っている巌流島の決闘が、実に卑近で意味のない猿芝居として演じられる…どころか、それすらも武蔵の卑怯な振舞いによって断ち切られる。
すべて、こちらの想像を裏切りながら、楽しませる。
で、最終的に、これは何だったんだ、というと、不条理劇だった、というオチになる。

芝居っぽくないリアルな台詞のやり取りは、相当稽古を積み重ねたものに違いない。まるで、真剣を使った殺陣のように、ひとつズレたら、大きな事故を引き起こしそうだが、自然でユーモラスで緩さがあって、緊張感を感じさせない。
すっかり武蔵ワールドに嵌まった。
でも、なんかキツネにつままれた感の残る観劇だった…

“今日は何の日”
【8月27日】
白村江の戦い、始まる(663=天智天皇称制2年)。
(←旧暦。新暦では、10月4日となる。)
結果は大敗を喫し、報復を恐れた天智天皇により、水城などの歴史的な建造物が造られた。


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