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人吉城 [┣百名城]

博多座公演の休演日に、人吉に行って来ました[黒ハート]

って書くと、なにやら、轟理事の大ファンっぽいですね、私。


人吉城-5.jpgえー、人吉城に行ってまいりました[るんるん]

あ、これじゃないです。これは、駅前のからくり時計です。


人吉城は、JR人吉駅から徒歩で約20分のところにあります。…とはいえ、とても日差しの強い一日だったので、ほんとに20分で着くのか…[exclamation&question]と疑心暗鬼になったりも。


人吉城-1.jpgほんとにあるのか[exclamation&question]と不安になったあたりで、ようやくそれらしき石垣を発見[exclamation]

こちらは、再建した多門櫓になります。


中に入り、まず、人吉城歴史館にてスタンプをゲット。(忘れないように、いつも先にスタンプをいただいています。)


人吉城-2.jpgそして、スタッフの方に教えていただいて、人吉城址を散策してきました。目の前のうぐいす谷に城の遺構があります。


この人吉城は、中世から明治まで、ずっと相良氏の居城となっており、鎌倉時代から35代に渡ってここに住み続けていたとのこと。なかなか例のないことだと思います。


実は、人吉城=武者返しという事前インプットしかなくて、石垣がある程度だろう的な勝手な想像をして現地に向かったのでした。滞在予定時間1時間(往復含む)みたいな感じで。
しかし、実際には、各曲輪が(建物はないが)完璧に残っていて、見どころは多いし、平山城といっても、かなり高低差がある。結局、予定の時間では間に合わず、2時間ほどかけて制覇してきました。


もう、階段がきついんですよね(笑)
その分、二の丸まで登った時の景色は、感動以外のなにものでもありませんでした。


そして、最後に汗ばんだ体に、帰り道の球磨川を渡る風が、爽やかだったことも。人吉城-3.jpg人吉城-4.jpg


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明石城 [┣百名城]

福山城を訪れた足で、もうひとつ。明石城にも行きました。


明石城-1.jpgこちらは天守台です。
結局、天守は築かれなかったようです。


明石城-2.jpg坤櫓。
三層になっているので、こちらが天守代用になっていたとのこと。
明石城は、重要文化財の巽櫓と坤櫓、その間の長い石垣が遺構になっているという、珍しい城。


ちなみに、この坤櫓は、伏見城からの移築という説もあるそうで。なんか、伏見城からの移築、多いな…[あせあせ(飛び散る汗)]


明石城-3.jpgそして、明石公園の中には、武蔵の庭園というのがあるみたいです。
武蔵というのは、宮本武蔵。
明石城主、小笠原家の客人だった時代に、庭園を造ったという記録があるそうで、これにちなんで、再現されたのがこの公園みたいです。


明石城-4.jpg普通に誰でも入れて、中で好きに過ごせる…市民の憩いの場所になっているようです。
でも古い茶室もあって、お茶席も行われているみたい。


城というより、「明石公園」(中に城もあるけど[るんるん])という感じの場所でした。


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福山城 [┣百名城]

新幹線の駅を降りて、びっくり[exclamation×2]


福山城-1.jpgこれ、駅から撮影した写真なんです。
ズームもしてなくて、これです。駅前に城です[黒ハート](これは天守ではなくて、伏見櫓ですけどね。)

福山は、新幹線ののぞみも停車する駅です。その駅前に城[exclamation]たぶん、ここまで便利な百名城は、ほかにないのではないでしょうか[exclamation&question]


福山城-2.jpg横断歩道を渡り、城へ。
まずは、地図を見て。これは、17世紀の福山城なので、現在は、数種の遺構が残っているだけです。


天守閣は再建されたもので、中は福山の歴史博物館のような形になっています。
GW中でも適度な混みっぷりで、じっくりと鑑賞することが出来ました。
下から順に見ていくと、時代を遡るような感じで、最後は弥生時代の史料を見る、という感じ。


福山城-3.jpgその上の展望台から下を眺めたのがこちらの写真。
正面に見える屋根が新幹線の屋根です。ほんと近いですね。


福山城-4.jpg直接城とは関係ありませんが、天守閣前の広場に藤棚があったので、撮影してみました。
ここしばらくの暑さで、ちょっと参っている感じもしますね。


福山は、かつての星組トップ娘役、星奈優里ちゃんの出身地。
優里ちゃんのことも思い出しつつ、短い滞在を楽しみました。


櫓などは、重要文化財として現存しているのですが、その辺の細かい写真は、後日「写真帳」の方にアップしていこうと思います。アップの際には、こちらのブログからリンクできるようにしますので、今しばらくお待ちください。


さて、城とは関係ありませんが、福山市は、「ばらのまち、福山」なんだそうです。
電車の発車ベルの音楽も、「百万本のバラ」が使われているし、PR大使に、フラワー・アーティストのニコライ・バーグマンさんが就任しているそうです。


5月は、ばらの季節。
現在はまだ4分咲き程度だそうですが、その名も、ばら公園という名の公園もあったり、5月20日・21日には、50回目の「ばら祭」というイベントが開催されるとか。
私も、ばらは大好きです[黒ハート]


福山城-5.jpg最後にもう一枚、駅に戻って撮影した、福山城です。


中央奥に見えるのが天守閣。
右手手前側のものが、月見櫓。京都の伏見城にあったものを移築したと言われているそうです。


明治の初め頃に取り壊されたそうですが、昭和41年に、天守閣とともに外観復元したのだとか。
それで、天守閣とのマッチ感がハンパないのですね。


福山城-6.jpg


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姫路城 [┣百名城]

GWの旅3日目、朝から姫路城に行って来ました。
姫路城は、『燃ゆる風』にも登場した黒田官兵衛孝高が生まれた場所。…というわけで、両兵衛と言われた半兵衛と官兵衛ですもの、こちらにも来なければね。
それに姫路城は、『天守物語』の舞台でもあります。ここの最上階には、ゆうひさんやおいちゃんも演じた富姫様が住んでいるハズ…


姫路城-1.jpgそのせいか…朝から、雲行きが怪しい…[あせあせ(飛び散る汗)]
なんか、『天守物語』冒頭の場面のようではありませんか[exclamation&question]


やはり、ゆうひさんファンなのね、私たち…[ぴかぴか(新しい)]


朝9時に門が開くのですが、8時半過ぎに現場に到着すると、既に長蛇の列…さすが、GWです。
混雑時には、開門前に整理券を配付するとのこと。
一日15,000枚しか配付しないのですが、我々の時点で既に1,500番台でした。す…すごい…[あせあせ(飛び散る汗)]


門を入り、そのまま、天守閣に進む列に並んだものの、実際に登るまで1時間くらいかかったように思います。


こちらは、キリシタンだったという姫路城-8.jpg黒田官兵衛に因んだ鬼瓦では[exclamation&question]と言われているものです。く…暗いからよく見えない…[もうやだ~(悲しい顔)]


姫路城-9.jpg加工してみました。これでどうだっ[exclamation]


「十」の形に見えるでしょうか[exclamation&question]


まあ、そんなあちこちを眺めながら列に並び、天守閣に登ってきました。


姫路城は、外から見ると5階建に見えるのですが、実際は6階建。(プラス地下1階)
このような構造が、姫路城の最上階に魔物が住むという『天守物語』のようなオハナシを生んだのかもしれません。
『天守物語』の冒頭では、侍女たちが下界の花を釣っていましたが、実際の天守からの眺めは、こんな感じでした。


姫路城-2.jpg


あ、もしかして、お気づきかもしれませんが、いつの間にか、お天気が良くなっていたのですよ。
いやー、美しいですね、下界[るんるん]
連なってここまで上がってきましたが、天守閣に上がった瞬間、我々、野に放たれました。好きな窓から外を眺めてよい[exclamation]と。ただし、天守閣にある“刑部神社”にお参りする場合は、別途並ばなければなりません。
『天守物語』でも、ここには、神社のような何かがありましたもんね。これはお参りしないわけにはいきません。


それに…私、思い出したんですけど、2008年頃、姫路菓子博に来た時、やはり天守閣に登って、「ゆうひさんがトップになりますように」とお願いしていたんですよね。お礼参りしなければ…[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]


というわけで、しっかり御礼と、ゆうひさんの富姫が素晴らしかったご報告と、今後のゆうひさんの活躍をお祈りしてきました[ぴかぴか(新しい)]


姫路城-3.jpgまさに『天守物語』現場[exclamation]という雰囲気を感じます。図書之助と富姫、この辺に隠れてたんかな…などと思うような。


さて、たしか、あのお芝居も、冒頭は天気が悪かったけど、亀姫様登場以降は、すっかりお天気も回復した…という記憶があります。
今回の姫路城も、『天守物語』通りのお天気となったみたいで、天守閣から下を眺めてみると…なんか…晴れてる…[exclamation&question][晴れ]


ということで、再び、地上に下りてみると…なんか、別世界が広がっていました。てか、姫路城は、青空に映える[exclamation×2]


姫路城-4.jpgいかがでしょうか[exclamation&question]


なんだか、絵葉書のような写真が撮れちゃいましたよ。
誰が撮影しても、どこから撮影しても、青空と姫路城は、完璧に映える[黒ハート]
まさに神[ぴかぴか(新しい)]


姫路城-5.jpgなもんでですね…
昼から宴会が始まってしまいました[あせあせ(飛び散る汗)]


いやー、城をサカナに飲むお酒…美味しかったですよ。これ、とてもおススメです。
もちろん城外に出たところなのですが、こんな外でも、お城はこんな風に見えるのです。


姫路城-6.jpgこんな風景見ながら、なら、何杯でもいけちゃいますよね[るんるん] 


この日は、前2日に比べるとゆったりとしたスケジュール(混むだろうと予想していたので)だったので、黒田官兵衛でおなじみ、播磨国総社にお参りするなどして、過ごしました。
そして、夜は―


姫路城-7.jpg美味しかったです[ぴかぴか(新しい)]


食事については、行き当たりばったりだったのですが、どこも美味しくて、そこも幸せな旅だったと思います。 


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小谷城 [┣百名城]

GW2日目は、月組大劇場公演『NOBUNAGA』に登場した、浅井長政の城、小谷城。
初めて小谷城に行きたいね…と、K様と話していたのは、6年前かな。ようやく、約束を果たせました[黒ハート]


小谷城-1.jpg垂井から、米原経由で北陸本線に入り、河毛(かわけ)駅下車。駅前には、浅井長政とお市の方の銅像が。


ここからバスで10分弱の小谷城址という停留所から、GWは、小谷城案内ツアーが開催されていた。普段は、もうひとつ先のバス停、小谷城-7.jpg戦国歴史資料館でガイドさんの予約をする必要があるようです。
ただし、GWのバスツアーは、バスを降りてから、本丸まで歩いて行き、戻ってくるという1時間程度のミニ観光となります。
小谷城の全てを知りたい場合は、ガイドさんと一緒に数時間をかけて、馬蹄型の山を全部めぐるというのもありかもしれません。


小谷城-2.jpg


小谷城址には、この兜が目印の「戦国ガイドステーション」というのがあって、この近くから、バスが発着します。
かなり人気が高く、出発の一時間前には満席になってしまう…という感じ。しかも、待ち時間にお腹を満たすものが何もない…という、かなり厳しい空間なので、食べ物を事前に準備して向かった方がいいかもしれません。


そして、2日連続の山登りは、正直…非常に辛かった…です[もうやだ~(悲しい顔)]
もちろん、前日の菩提山に比べたら、かなり整備されていて、さすが、NHK大河ドラマはすごい[黒ハート]と思いました。(2011年の『江~姫たちの戦国~』放映時に、大幅に整備されたそうです。)


5分ほど小谷城-3.jpgバスに揺られ、そこから、てくてく本丸まで登っていきます。
山城って、まあ当然と言えば当然ですが、見晴らしのいい登山道じゃないです…[もうやだ~(悲しい顔)]
ですが、敵陣を見下ろす場所だけは、絶景なのです[黒ハート]秀吉が陣を張った虎御前山が監視できる場所、ということで、ここは絶景でした[わーい(嬉しい顔)]
絶景ポイントが途中にあると、登る足もかなり力強くなったりしますね。


小谷城-4.jpgバスを降りたのが「番所」なので、まだまだ道半ばです。ちなみに下の方に書かれている「大獄城」(おおづくじょう)というのは、この小谷山の山頂にあった城のことです。
小谷山のすべてを知りたい[黒ハート]浅井氏のすべてを知りたい[黒ハート]という山城ファンの方は、馬蹄型の小谷山をこの番所から登って行って、山頂の大獄城跡を見て、反対側に下りるそうですが…今回、小谷城に行きたい[exclamation×2]と主張したK様は、本丸までのツアーで納得してくれました(ホッ[ダッシュ(走り出すさま)]


ちなみに、私は、既に百名城のスタンプを押してしまったので、どっちでもよかよか的気分だったのでした(笑)


さて、戦国時代。
織田信長の妹、お市の方は、兄・信長の命により、近江の大名・浅井長政と結婚した。この政略結婚により、織田=浅井同盟が成立、信長は美濃攻略の足掛かりを得ることとなる。
ところが、この浅井家、織田の宿敵・朝倉義景と同盟関係にあったため、信長・家康の連合軍が越前の朝倉を攻めた時、浅井は朝倉に味方して、織田軍を挟み撃ちした。この時、退却のしんがりを務めたのが秀吉で、九死に一生を得たと言われている。
そもそも、自分が同盟成立の時の約束(=朝倉を攻めない)を破ったことはスルーして、信長は、浅井を決して許さない[exclamation]と決意し、小谷城に立てこもって籠城戦を決め込む浅井軍を攻めあぐねること4年、その間、織田に対抗していた武田信玄の急死など情勢が変わる中、織田は待ち続け、まず、救援を諦めて撤退しようとした朝倉を討ち、とうとう全軍で浅井を攻め滅ぼすことに成功したのだった。


小谷城-5.jpg浅井長政は、もはやこれまで、と、本丸下の赤尾屋敷で自害したとのこと。
この下、160メートルのところにあったそうです。
本丸のこんな近くに屋敷があるとは、よほど信頼されていたのだろう、とのことでした。実際、赤尾美作守清綱は、浅井氏三代に仕えた家老だったそうです。


小谷城-6.jpg


菩提山に比べると、山道は整備されていて明るく、 ガイドさんによるとこれも、NHKの大河ドラマ効果とのこと。
ただ、一部急な勾配もあり、登りより下りの方が歩きづらかったように思います。
こうやって眺めると緑が豊かな山ですね。


こうして、最寄りの河毛駅に戻ってきてふと気づく…なんか、食事できそうなところが、見渡す限り…ない[exclamation×2]


相談の結果、ふたつ先の駅、「長浜」までタクシーに乗りました。


小谷城-8.jpgここには、秀吉さんに三献茶を捧げる三成(当時佐吉)の銅像があるんですよね。


ようやく私の好きな戦国武将に会えた[るんるん]
(って、同行のK様もAちゃんも、三成さんは大好物ですが。)


時間は、既におやつタイムになっていましたが、がっつりとラーメンをいただき、今日の宿泊地、姫路に向かいました。
チェックイン後、食事場所を探しに夜の街に出ると…


小谷城-9.jpg明日の目的地が、正面にライトアップされていました。
よし、明日も頑張る[パンチ]と、決意も新たな私たちでした。


 


 


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犬山城 [┣百名城]

犬山城1.jpg先月の松江城に引き続き、現存12天守のひとつ、犬山城に行ってきました。

愛知県犬山市にあるこのお城、名古屋から名鉄戦で30分ほどの地にあります。私は、犬山遊園駅から徒歩で向かいましたが、「犬山」駅からでも、所要時間は、それほど変わらないようです。

城の手前には、針綱神社、三光稲荷神社などの神社群があり、その中を抜けてお城に登っていきます。犬山城は、平山城なので、城付近までは平たんな道が続くのですが、敷地に入ると上り坂が続きます。

わりと息が上がるような上り坂の途中、景色が開けてくると犬山城2.jpg、思わず「ひゃー」と声を上げてしまいます。
テンションあがる~[グッド(上向き矢印)]

坂を上がりきり、入場料を払って門を抜けると、犬山城3.jpgじゃじゃーん[るんるん]いかがでしょうか[exclamation&question]素晴らしい望楼型天守です。

現存12天守とよく言いますが、実は、国宝に指定されているのは、そのうち五城しかなく、まったく偶然ですが、私が訪れたことのある現存天守は、その五城でした[exclamation×2]
(姫路城・彦根城・松本城・松江城・犬山城)
私、なんか、もってるかもしれない(笑)

望楼(物見台部分)は、廻縁がめぐっていて、オープンエアな中、360度周囲の景観を臨むことができます。冬のスッキリとした空気の中、素晴らしい景色を眺めることが出来ました。

たとえば、犬山城4.jpgこちらの風景。眼下に広がるのは、木曽川。そこに架かっているのが、ツインブリッジ犬山橋。

前日は、天気がイマイチだったのですが、この日は素晴らしい青空[exclamation×2]もしかして、私の雨女、治ったのかしら…

犬山城の犬山城5.jpg石垣は、高さ5メートルの野面積み。この野性的な石の積み方を見ていると、それだけで、ムフムフ…と笑みがこぼれてしまう…[ハートたち(複数ハート)]
私もだいぶ、城オタクになったようです。

先ほども書いた通り、城の入口付近は、神社群になっています。
そのひとつ、三光稲荷神社には、銭洗池というのがあって、ここでお金を洗うと、倍になって返って来るとか。

そのお守りのカエルさんです。犬山城6.jpg
カエルさんって猿田彦大神の使いなんだとか。ますます、カエルさんが好きになりました。(最後はカエルか[exclamation&question]


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松江城 [┣百名城]

松江城に行ってきました。

お城というのは、江戸時代の政庁なので、松江城2.jpgその跡地に県庁が立っていることは、わりとよくあります。

左の建物は島根県庁。松江城的には、この場所は、三の丸だったそうです。
現代と過去が美しく融合していて、うっとりと眺めてしまいました。

この付近には、公的な建物が並んでいるのですが、あちこちに垂れ幕があって、『竹島は日本の領土です』的なことが書いてあった。
竹島は現在、韓国が実効支配しているとのことだが、もし日本の領土ということになると、島根県の一部ということになるらしい。
正直、遠すぎて、どこの県に近いか、よくわからないけど、島根なのか…。

では、城に入りましょう[exclamation×2]

松江城は、日本に12しかない、天守が現存している城。私的には、松本城以来の現存天守訪問となる。
別記事にも書いたが、松江城3.jpg実は、松江藩主となった松平直政公は、松本城から転封されてきた。松本城の次に松江城に行くというのは、正しい流れだったのかもしれない。

「国宝松江城天守」の文字に、テンションアップ[グッド(上向き矢印)][グッド(上向き矢印)]

まだまだ、あちこちに雪が松江城4.jpg残っています。
1日前だったら、雪をかぶった天守閣(宍道湖十景のひとつ)が見られたとのこと。
そう言われると、ちょっと残念なような…[ダッシュ(走り出すさま)]

では、その、国宝・天守閣松江城5.jpgです。

いかがでしょうか[exclamation&question]

ぶっちゃけ、そんなに期待していなかったのですが、大変申し訳ございません[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]
素晴らしい[ぴかぴか(新しい)]
たしかに、高さは、気圧されるほどのものではないですが、なんとも、美しい[ぴかぴか(新しい)]
晴れていてよかった[晴れ]

もちろん、天守閣、登ってきましたよ[黒ハート]

階段は狭くて急だったけど、石落としなどもよく見えて、楽しかったです。

最上階では、何やら撮影をしていて、下を全方位見ることはできなかったのですが、ちらっと見た感じでは、やはり高さはないのだな…と。松江城6.jpg

城の詳細は、いずれ「写真帳」ブログの方にアップしていきたいと思っています。とりあえず、城を出た後、「ぐるっと松江堀川巡り」に乗船することにした。

ほぼ貸切状態。ま、平日だし、寒いし。

周囲の家々も、古い武家屋敷が残っていて、こうやって舟で廻れてよかったな~と。船頭さんが、色々な説明をしてくれ、舟を降りた後、どこに回ろうか…と考えていた私の手助けになった。

もし、松江城に行く機会があったら、この堀川巡りは、絶対おススメ[exclamation]でございます。
私は冬に訪れたけれど、春・夏・秋・冬…それぞれに、楽しみがありそうに思う。船頭さんによると、海水が混じっている(大橋川が中海を通して日本海に繋がっているため)ので、この堀川では、海の魚が獲れたり、クラゲがいたりもするそうです。

舟のスピードはかなりゆっくりなので、松江城7.jpg両岸の景色も、しっかりと把握できる。

こちらの銅像は、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)像。八雲の屋敷もこの堀川の川岸にあり、その近くに記念館もあるとのこと。
今回は、ちょっと時間的に間に合いませんでした。

舟から松江城8.jpgお城を撮影できるポイントは、この辺だけ。
堀川巡りなので、お城が近すぎて、ほぼ屋根で遮られて見えないようです。
まあ、それだけに、見えた時は、

おお~[exclamation×2]

という気分になれます(笑)

冬に舟なんて…とお考えの方もいるかもしれないですが、大丈夫です[exclamation]

炬燵完備[ひらめき]

途中、何箇所か下船できる場所があり、同一日であれば、何度でも乗船できるようです。私は、夕方に乗ったので、一周で終わっちゃいましたが…[わーい(嬉しい顔)]

なんと、年間パスポートもあるそうですよ[るんるん]

そして、下船後、船頭さんのおススメで、松江歴史館に寄ってみた。

既に閉館直前で、展示資料等は見られなかったが、レゴで作られた松江城を見たり、ちょっとしたお買い物をしたり…はできた。

でも…「磁場」は、決してついで、ではありません[exclamation×2]松江城9.jpg 松江城10.jpg


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佐倉城 [┣百名城]

トークショーにつきましては、「COUNTUP」の方にちょこっと書いています。祐飛さん、少し髪の色を換えましたね[わーい(嬉しい顔)]

さて、年末に佐倉城に行ってきました。佐倉城1.jpg

天守とか櫓とかがひとつもない…ということは聞いていたので、そんなに期待しないで行ってみたら、もう…大興奮[いい気分(温泉)]

まず、こちらが馬出空堀です。

美しい[ぴかぴか(新しい)]

建物が何もないので、入場料など何もないのですが…このお手入れ、すごくないですか[exclamation&question]近くに建っている国立歴史民俗博物館の入場料が使われているのでしょうか[exclamation&question]
この時点で、すっかり、佐倉城址に見せられてしまいました[黒ハート]

では、佐倉城2.jpg順にご案内していきましょう[ひらめき]

この日は12月とは思えないよく晴れた日で、お城仲間の友人と、のんびり過ごしてきました。
この最高の環境の中、惜しむらくは、最寄りの佐倉駅(JRも京成も)駅前に喫茶店などが見当たらないことでしょうか。どっかに隠れてたのかな…[バッド(下向き矢印)]

園内を歩いていると、佐倉城3.jpg「マムシが出ます」とかいう、シャレにならない看板を見かけたりしますが、冬だから冬眠してるハズ[exclamation]と根拠のない掛け声をかけながら、歩き続けました。

こちらの銅像は、タウンゼント・ハリスさん。ハリスが日米修好通商条約の調印を迫った時、それを受け取り、調印のために頑張ったのが、佐倉城の城主であった、老中・堀田正睦。
そんな関係で、ハリスと堀田の銅像が並んで立っていました。
実際には、攘夷で固まっていた朝廷が調印に応じるはずもなく、堀田自身も井伊直弼と対立して失脚してしまい、「日米修好通商条約」自体は、大老井伊直弼が朝廷に諮ることなく締結に踏み切ってしまったそうですが。

ハリスさんと堀田さんの銅像の奥に本丸が広がる。

ああ、そういえば、ここには石垣もないのだった…[わーい(嬉しい顔)]
天守閣・櫓・門・本丸or二ノ丸御殿・石垣…お城の歴史的建造物といえば、だいたいこんなところだと思うが、佐倉城は、それがひとつもない[exclamation×2]
しかし、佐倉城のすごいところは、「ないのに、残っている」ことなのだ。これだけの広大な土地が公園として残されていることに、深く感動した。

こちらは、佐倉城4.jpg本丸跡。石垣がないから、周囲は土塁で覆われている。
本丸の一番端に天守閣の跡がある。
どうして、建物がないのか…というと、明治6年にこの地に陸軍歩兵第二連隊が置かれた時に、ぜーんぶ取り壊されてしまったんだとか。仕方ないですね…幕府の要職にあった人の城ですから…[もうやだ~(悲しい顔)]

ところで、そもそも石垣に使う石、関東周辺ではほとんど採掘できないとか。そんなわけで、関東周辺の城は、土塁の上に建設されている。
あの天下普請・江戸城ですら、石垣と土塁の両方が使われている。
そして、関東では、石垣よりも土塁の方が、城を守りやすいらしい。何故なら、関東ローム層というとても滑りやすい粘土層の土があるから。
西国の武士は、土が滑るなんて思いもしないから、このローム層で作られた空堀を這い上がることは不可能だったみたい。

お城に嵌まったばかりの頃は、石垣がない城なんて…と思っていたが、空堀の魅力に気づいてからは、土塁にも激しく惹かれています[黒ハート]

さてこちらは、佐倉城5.jpg隅櫓の跡のようです。

周囲に空き地がなく、ギリギリの位置で撮影したため、全体が見にくいかもしれませんね。

佐倉城を佐倉城6.jpg後にして、近隣の武家屋敷を訪ねてみようと思ったら…残念ながら、お休みでした[もうやだ~(悲しい顔)]

外から見える景色だけ、撮影してみました。これは、庭の木で剣の稽古をする場所みたいですね。

詳しい写真は、写真帳の方にアップしていく予定です。


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新発田城 [┣百名城]

唐突に新発田城に行ってまいりました[exclamation]

新潟まで新幹線で新発田1.jpg行き、そこから在来線で30分くらいかな。到着した新発田(しばた)駅から、徒歩で30分くらいの場所にありました。

こちらが、表門。国の重要文化財でございます。

正面の門の真上は、石落としになっているとか。表門まで、まったくクランクがない構造だけど、そうそう簡単に進入できると思ったら、大間違い、というわけですね。

表門の内側のアウトドアにテーブルがあって、そこで地域の方がパンフレット配付したり、アンケート取ったり、していました。百名城スタンプは、そのテーブルにあって、百名城スタンプ巡りをしている人のためのパンフレットも別に用意されていました。
ここでスタンプが押せるのは、11月末まで…というのは、知っていたのですが、実は、新発田城自体、11月末日で閉城になるんだとか。(スタンプだけ、新発田市役所で押せるとのことです。)
毎年、3月下旬から11月末日までしか開城しない、それが新発田城なのです[exclamation]

こちらは、新発田2.jpg表門前のお濠です。

チラッと見えるのは、辰巳櫓。こちらは、漆喰の白さからもお分かりでしょうが、2004(平成16)年に木造で再建されたもの。
そもそもの櫓は、元禄時代より前に焼失したそうで、管理責任者がその責任を取って、藩を出て浪人になったんだとか。それが、堀部安兵衛のお父さんだったと言われている。つまり、堀部安兵衛、旧姓・中山安兵衛は、新発田出身。そして、中山家再興を目指して、安兵衛は江戸に赴き、そこで、高田馬場の決闘で名を上げ、浅野家家臣・堀部弥兵衛に見初められ、娘・ほりと結婚、浅野家家臣となる。

一方新発田3.jpg、こちらは、三階櫓。
天守代用だったと思われます。
こちらも、2004年に木造で再建されています。ただし、三階櫓は、自衛隊新発田駐屯地の敷地内にあるため、中に入ることはできません。無念…[もうやだ~(悲しい顔)]

ちなみに、三階櫓の下の方に見える車両のようなものは、自衛隊の車両と思われます。
城と自衛隊…「戦国自衛隊」かっ[るんるん]って思いますよね。
古くは、あやめ城と呼ばれた新発田城ですが、現在は、「戦国自衛隊の城」と呼ばれているんだとか[わーい(嬉しい顔)]

ところで新発田城、鎌倉時代くらいから、新発田家の居城となっていたそうですが、柴田重家が上杉景勝に反逆、景勝により滅ぼされた後、溝口秀勝が入封。以来、明治維新まで、新発田城はずーっと溝口家が治めていたため、古い資料とかが、そのまま残っている珍しい藩なのだ…と、入口のガイドさんが教えてくれました。

表門を出たすぐ近くに、新発田4-1.jpgこの銅像が[exclamation]

新発田出身、忠臣蔵でおなじみ、堀部安兵衛さんの銅像です。

現在、NHKの大河ドラマは、来年(2017年)の「おんな城主直虎」、再来年(2018年)の「西郷どん」、再々来年(2019年)の宮藤官九郎オリジナル現代劇まで発表されている。
で、2020年の大河ドラマに「忠臣蔵」を[exclamation×2]という署名活動が、ここ新発田でも行われていました。
実は、1964年(東京オリンピックの年)の大河ドラマは、「赤穂浪士」。歴代最高視聴率を取った番組なのだそうです。オリンピックの年には忠臣蔵を[exclamation×2]というキャンペーンを見て、興味をそそられました。忠臣蔵、いいですよね[揺れるハート]

こちらは、新発田5.jpg辰巳櫓の反対側にある、二の丸隅櫓。こちらは、江戸時代の建築物で、国の重要文化財となっています。
石垣の少し上側は、海鼠壁になっています。
この辺の写真は、また後日、写真帳の方にアップしていきたいと思います。
最近、写真帳が城だらけになっている自覚…[あせあせ(飛び散る汗)]

城の少し先に、国の名勝に指定されている清水園(下屋敷の庭園)があり、こちらも散歩してきました。新発田6.jpg

池がとても美しかったです。

全然関係ないけど、こういう庭を見ると、「春の雪」の松枝侯爵家を思い出してしまうんですよね[黒ハート]

雪の季節は、また違った美しさになるでしょうね。
残念ながら、雪の季節だと、新発田城に入れない…というジレンマが。旅人としては、この季節の生の景色と、写真などで見る雪の清水園で満足するしかないのかもしれません。

行きは、駅からタクシーで新発田城に行ったのですが、帰りは、清水園経由で、徒歩で新発田駅まで戻りました。今回もグーグルマップ様、大活躍[exclamation×2]

途中、新発田7.jpg見つけたのが、こちらの諏訪神社。
諏訪神社なので、主神は、建御名方命(タケミナカタノミコト)。相殿として、新発田藩初代藩主溝口秀勝も祀られているようです。

創建は、大化4年…とか。648年…[exclamation&question]す…すごい…[たらーっ(汗)]
全国の諏訪神社の総元締め、諏訪大社(長野県諏訪市等)は、神話時代(タケミナカタノミコトは、大国主命の息子で、国譲りに反対して敗れ、諏訪まで逃げてここに鎮座したとのことなので、分家も大化4年に出来ていても不思議ではないのかもしれない。

そして、この大鳥居は、なんと、大倉喜八郎氏(大成建設・サッポロビール・ホテルオークラ創業)が奉納したものだとか。喜八郎氏は、新発田市出身なのだそうです。

年内には、写真帳にもアップしていきますね。

“今日は何の日”
【11月26日】
日本ペンクラブ創立(1935=昭和10年)。

けっこうハイカラな名前なのに、こんな昔に設立されていたのですね。


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掛川城 [┣百名城]

名古屋の帰りに掛川で途中下車、掛川城に行ってきました。

東海道新幹線の掛川駅から徒歩10分。前回の小峰城同様、駅からの整備が完璧で、グーグルマップ様の出る幕はなかった。

掛川城1.jpg

この天守は、再建(木造)のもの。もとの天守は、安政元年の地震で崩壊したとのこと。
1994年に10億円の募金を集めて、戦後初めて「木造で再建」、掛川市のシンボルとなっているそうだ。

天守と現存する二の丸御殿(重要文化財)の中は、写真OK[exclamation]
この太っ腹が好感度大です[黒ハート]

こちらの写真は、二の丸御殿から天守を撮影したもの。
本丸はなく、政庁としては二の丸御殿が使われていたらしい。

二の丸御殿と天守の間は、ご覧の通りの高低差があり、見上げる感じがちょうどいい。
三層四階の入母屋造り。
初代の天守を築いた山内一豊が、後に築いた高知城をモデルに造られているのだとか。
こじんまりとしてるけど、天守らしい風情はあって、気に入りました[ぴかぴか(新しい)]
歩くと床がキコキコ鳴るし、階段の勾配は急。再建とはいえ、バリアフリーというよりは、忠実な再現を心掛けた感じ。昇るの、大変でした[あせあせ(飛び散る汗)]

一方、二の丸御殿の方は、さすが重要文化財[ぴかぴか(新しい)]

掛川城2-2.jpg詳細は、「写真帳」の方にアップするつもりだが、重要文化財の中を自由に撮影できるのって、なかなかないので、撮りまくってしまった[ダッシュ(走り出すさま)]

ちなみに、本丸御殿が現存しているのは、川越城・高知城・あと佐賀城に一部のみ、二の丸御殿が残っているのが、二条城とこの掛川城のみなんだとか。
天守なんか12も残っているのだから、御殿の方が貴重かも[exclamation&question]

写真は、天守台から撮影した二の丸御殿の全景です。

掛川城3.jpg

こちらの写真は、天守台から撮影した周辺の風景。
天守の中は昇るだけで疲れてしまって、中での写真は、気づいたら一枚もなかった…[爆弾]

百名城に行くと、記念のスタンプを押せるのですが、もし、押し忘れたら…と不安になるので、私は、まずスタンプを押してから観光をしています。
今回、スタンプは二の丸御殿に設置されていたので、チケット購入⇒そのまま天守方向へ上り⇒天守裏の階段を降りて二の丸御殿へ⇒スタンプを押して⇒二の丸御殿見学⇒再びもと来た道を上って天守へ⇒天守閣最上階へ昇る⇒降りる⇒またまた二の丸御殿方面へ下りる⇒竹の丸へ…という、アップダウン激しい行程を辿ってしまった…[ダッシュ(走り出すさま)][ダッシュ(走り出すさま)][ダッシュ(走り出すさま)]

帰りの道々、足がガクガクしてしまいました[もうやだ~(悲しい顔)]

実は、掛川城に行く途中の道で、見知らぬご婦人から、生け花展の招待券をいただいてしまったのです[あせあせ(飛び散る汗)]竹の丸でその生け花展が行われているとのことだったので、そちらにも寄ってきました[黒ハート]
(小学生の作品もあり、見事な大作もあり、生け花の世界に、あらためて心洗われました[ぴかぴか(新しい)]

帰りはさらに遠回りをして、大手門へ。川沿いに少し歩いた先にあります。

掛川城4.jpg

こちらは1995年に再建されたものだそうです。二階建ての立派な大手門。

掛川城5.jpg

こちらの、大手門番所は、1859年に造られた(再建)ものだそうです。
大手門の番所が現存するのは、全国でも珍しいとのこと。

掛川城6.jpg

駅に戻ると、最近では珍しい二宮金次郎の像が[exclamation×2]
昔は、どの小学校にもあったような気がするのですが、最近、ほんと見かけないですよね。

なんか、懐かしい[黒ハート]

さて、現在JR東海でキャンペーンをやっていて、駅でクーポン付きの案内を貰った。
そのクーポンで、なんと、焼酎をいただいてしまった[るんるん]

掛川城7.jpg

「みずから・おのずから」と読むそうですが、栗焼酎。ほんのりと甘くて、とても飲みやすかったです。

キャンペーンは、来年3月までやっているそうなので、次は、別の駅に行ってみようかな~[わーい(嬉しい顔)]

ちなみに、三島は山中城、静岡は駿府城、掛川は掛川城、そして浜松は浜松城…と、どの駅にもお城があるのです[揺れるハート]
(浜松城だけ、百名城になっていません。)

“今日は何の日”
【10月24日】
伊藤博文が初代貴族院議長に就任(1890=明治23年)。

前年に発布された大日本帝国憲法に基づき、この年、帝国議会がスタート。皇室男子も皇族議員として全員参加。華族については、公爵・侯爵は自動的に参加、伯爵・子爵・男爵が選挙による互選で議員となった。
ちなみに伊藤博文は、公爵だったそうです。


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