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「円生と志ん生」4 [┣大空ゆうひ]

「その3」はこちらです。


休憩後は、作品の雰囲気もコミカル色が強くなってくる。
「その3」からさらに4ヶ月後の昭和21年7月。場所は、繁華街にある、委託販売喫茶コロンバン。
カウンターには、店番の女学生、弥生(池谷のぶえ)。丸い眼鏡をかけて、読書にいそしんでいる。
そこへ、ボロ雑巾と化した国民服姿の志ん生(ラサール石井)が入ってくる。弥生は、志ん生の呼びかけに対して、愛想よい返事をせず、ずっと本を読み続けている。
「お茶ちょうだい」と言っても、「前金でお願いします」とにべもない。そうやって、一心不乱に読んでいるのは、漱石全集らしい。
そうこうするうちに、カンカン帽に白麻の背広上下に身を包み、すっかりモダンになった円生(大森博史)がやってくる。志ん生はハッとするが、円生はゴミのような風体の志ん生になかなか気づかない。
そして弥生に向かって、「預かっていた品物に買い手がついたとお母さんから聞いたけど…」と告げると、弥生は本から目を離さないまま、「七千円で買い手がついて、手数料としてうちが二千円いただきましたって」と、五千円の入った封筒を手渡す。
ここの委託販売、手数料で四分の一以上持って行くんだ…[がく~(落胆した顔)]
円生は、お茶をふたつ注文して、もう一人見えるからね、と言う。
そこでようやく意を決して声を掛けた志ん生に、円生もやっと気づいて、二人は抱き合って喜ぶ…と言いたいところだが、円生は志ん生の頭が背広に触れるのをがっつりガードしている。まあ、それくらい、志ん生の姿はきたない[あせあせ(飛び散る汗)]
(ここは、戯曲通りじゃなくて、そのガードしている円生の心情を思うと納得の演出だった。この背広、円生の現地妻(円生は「ナニ」と呼んでいる)の旦那さんのものを勝手に借りているのだ。)


どうやら、あの後、円生は、炊き出しでいつもおにぎりを余計にくれていた小唄のお師匠さんと所帯を持ったらしい。そして、志ん生は、彼女の紹介で「常磐津のお師匠さん」とお見合いをしたが、へべれけに酔っぱらって不首尾に終わったらしい。そして、二人の人生は大きく分かれてしまった-。
しかし、志ん生に言わせると、そうではなくて、生活のために羽衣座で俳優稼業をしている円生が許せなかったらしい。落語と演劇は別個のものだと言う志ん生と、芝居の勉強は自分の噺に生きると言う円生の違い…それは、その後の二人の噺の違いに繋がったのかもしれない。


そんな志ん生だったが、今日、円生に会おうとしたのは、密航船で日本に帰る金を無心していたから。
そして、円生は、密航船なんて危ないなぁ~と思いながらも、奥さんの三味線と着物を売ってお金を作って渡そうとする。
結局、甘えるのはそこしかない志ん生と、全力で助けてあげようとする円生。二人の関係性が見える場面だ。
密航船に乗るために必要な五千円を借りた志ん生だが、返せるものはない。ボロボロになった「三代目柳家小さん落語全集」を進呈しようとする。
すると、これまで、客を胡散臭そうに眺めていた弥生が、驚いて「三代目小さんは天才である」[ひらめき]と、手元の漱石全集を読み上げる。
二人はビックリして弥生の方を見る。
夏目漱石は、三代目小さんの大ファンだったようで、小さんを絶賛する文章を発表している。弥生はそれを読み上げたのだ。
弥生は続けて、二葉亭四迷が三遊亭円朝の落語を聞いて言文一致体を発明した、という文学史を語り、そして、漱石先生が三代目小さんの落語によって新たな文体を手に入れたということを語る。
つまり、我々が現在読んでいる口語体の小説は、落語家のおかげ[黒ハート]
(この時代、言文一致の口語体をどんなカタチにするか、試行錯誤が行われていた。愛媛で漱石と一緒に下宿していた正岡子規は、晩年、病の悪化から自ら筆を執ることができずに、口述筆記を行っていた。話し言葉をそのまま書き取って原稿にしていたわけで、そういう形で口語体が進化した例もある。落語だけが言文一致体に貢献したわけではないとは思うが、多くの小説家が落語に着目していたことは、間違いなさそうだ。)


ここで、弥生に引っ張られるように二人の噺家が「三代目ソング」を歌う。
「ひょっこりひょうたん島」の「ナンセンスソング」が原曲とのこと。やはり、作品に一番しっくりくるのは、外国曲より、宇野誠一郎さんの作曲したナンバーだな~[るんるん]
弥生役の池谷さんの美声が劇場に響き渡り、実に楽しい時間だった。


歌い終わると、志ん生は円生のカンカン帽から手を離さない。円生はそれを餞別に渡そうとするが、よく見ると、ボロボロの国民服は可哀想すぎる。二人は互いの服を交換することになる。(現地妻の旦那さんの背広を勝手にあげてしまう円生もどうかと思うが、たぶん、かなりの亭主関白なんだと思う。)


と、そこへ、大連高女の教師、山田(前田亜季)が入ってくる。着物にモンペ姿。どうやら預けていた品に買い手がついたかを確かめに来たらしい。弥生はそっけなく「これからも(買い手は)つかないと思います」と述べる。
山田がどうしたものかと悩んでいるところへ、同僚の森(太田緑ロランス)もやってきて、山田に詰問する。森も山田と同じような服装。
今日山田が白いご飯のお弁当を持ってきたことは、大連市日本人教員組合の取り決め違反だというのだ。山田がクラスの生徒のおばあさんに食べさせたくて、分けてあげたのだという話をしても、「申し開きは査問会でなさってください」とにべもない。
山田は森を「イヌね」と罵り、ついこの間まで軍国主義に凝り固まっていた長刀教師のくせに…と言い出す。
どっちもどっちな二人が言い争っているところへ、憤然と登場したのが、教頭の今野(大空ゆうひ)。ただし、名前は呼ばれず、「教頭先生」と言われている。教頭は袴姿。


教頭は、二人の争いを「情けない」と断じる。
「案の定」のイントネーションが面白かったりして、えらい先生なのだろうが、どことなくユーモラスだ。
ここで戯曲にはないが、教頭は、「豆は釜の中で泣く」を中国語で(豆在釜中泣)披露する。
私の耳コピでは、トウ[バッド(下向き矢印)]・ツァイ[バッド(下向き矢印)]・フー[グッド(上向き矢印)]・ヂョン[グッド(上向き矢印)]・チー[バッド(下向き矢印)]みたいな感じ。
それを弥生が教頭先生の漢文の授業で習った通りに解説し、「よくできましたね」と褒められる。なんか嬉しそうな弥生。
豆と豆がらは兄弟のようなもので、豆がらを燃やして豆を煮ると、豆は泣きながら煮えていく。同胞同士が争うことの悲しみを歌った詩を引用し、教頭先生は、引揚までの間、日本人同士が争うのはやめましょうと説いたのだ。
(この漢詩は、三国志でおなじみ、魏の曹操の仲の悪い二人の息子、その弟(曹植)が兄(曹丕)に対して即興で作った詩なのだとか。)


と、感動的な場面の最中に、トイレのドアが開き、男二人(志ん生と円生)が手に手を取って現れる。着替え終わって、志ん生はズボンが余ったのか、裾を折っている。円生は、汚い国民服をなぜかダンディに着ている。
キツい眼差しで二人を見る教頭に気づいた志ん生は、シナを作るように円生と腕を組んで出ていく。


「昼日中(ひるひなか)から、あんなところで…[exclamation×2][爆弾]


教頭先生、妄想族ですかっ[exclamation&question]
絶対、二人の関係を疑ってるよね…[わーい(嬉しい顔)]


ここで、回り舞台のようにセットが回りながら、4人の女性たちの「ことばへの祈り」という歌に繋がる。この曲は、リチャード・ロジャースの「Bewiched」。「With a Song in my Heart」のパレードでわたるさんが歌っていた曲。


[るんるん]閉ざされた街でだれもが狂う[るんるん]という教頭先生の歌い出しは、妄想族な自身に向けられたのか、あくまでもおじさん二人の関係性に向けられたのか…[あせあせ(飛び散る汗)]
曲の間に3ヶ月が経ち、あの日もらった粋な背広がボロボロになった志ん生が、シケモクを拾っている。
そこへ、台本を読みながら通り過ぎる円生。茶の背広が季節の移り変わりを感じさせる。ブツブツ呟いているセリフは「ベニスの商人」の箱選びの場面のものだ。バッサーニオ役なのかしら[exclamation&question]
志ん生がそれと気づかずに近づくと、汚いルンペンだと思ったのか、マッチを投げる。その時に顔を見て志ん生は円生に気づくが、声を掛けずに立ち去る。


以下は、「その5」に続きます。


ゆうひさんは、大連高女の教頭先生役。
袴姿が超似合う[るんるん]当たり前だ。緑の袴を20年もはいていたのだ。
でも、あろうことか、その袴が崩れたことがあった。なんだか、後ろが妙に長い…[爆弾]
その時、隣にいた太田さんが、ぐいっと袴の腰のところを直してくれた。
ナイス・アシスト[exclamation×2]
お世話になりました[黒ハート]
教頭先生になっているので、既に40代くらいではあるのかな。
つまり、ゆうひさんに一番近い年代の女性、ということで、演技面で作り過ぎず、生真面目な教頭先生像。ただ、喋り方が大げさというか、変に訛っているので、本人は真面目なのに、ユーモラスな雰囲気を醸し出している。しかも妄想力逞しいし[あせあせ(飛び散る汗)]
また抽斗が増えちゃったかな~[るんるん]


池谷さんの弥生役は、もうキャラが立ちすぎていて、笑いっぱなしだった。歌もダンスもキレッキレ[exclamation×2]最高です。
前田さんと太田さんは、いがみ合う場面の本気度がすごい[exclamation]前田さんの髪形が可愛かった[揺れるハート]


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「円生と志ん生」3 [┣大空ゆうひ]

「その2」はこちらです。


「その2」からさらに3ヶ月後。年も明けて昭和21年の早春。
円生と志ん生は、中国人街の外れにあるあばら家…というか、既に家と呼べないシロモノに暮らしていた。
福屋のおかあさんから紹介された歯医者の家で、ウォッカを取り上げられた志ん生が、それを探し出してこっそりと飲み、水で薄めたことがバレて追い出されたらしい。
そして流れ流れて、今はホームレス。
そんな場所で二人がブツブツと呟いているのは、落語「火焔太鼓」。こんな状態になっても、まだ二人は、日本に帰って落語をやることを諦めてはいなかった。


出掛けていた円生は、志ん生のために残飯や炊き出しのおにぎりを持って帰ってくれる。そのついでに、逢坂町に寄ってきたと言う円生。
そこで仕入れた情報は、あまりにも悲惨なものだった。
ソ連兵に乱暴されかけた青柳さんは、めちゃくちゃ暴れ、そのはずみでデグチャレフが暴発、亡くなっていた。止めに入った紫さんが重傷で入院し、おかあさんも看病疲れで入院、今は、初雪さんが別の置屋に移って二人の入院費を稼いでいるという。
明日、どこかでいい紙を拾って、見舞の手紙を書こうと言い出した志ん生、そこで、二人は、再び古道具屋の噺に戻ってしまう。
口から出まかせに言った「小野小町が鎮西為朝に送った見舞状」だの「三蔵法師が沢庵和尚に送った詫び状」だのに端を発し、二人は、古道具屋にある、胡散臭い品々の故事来歴を紹介する歌を歌う。
その最後に二人は、[るんるん]めくりが返り、出囃子ひびき、客の拍手で、座布団にすわり、ことばのわかる人たちの前で、思い切り落語を語りたい[るんるん]と歌い上げる。


そして、日本に帰って落語をやるためにどうしたらいいか、相談する中で「所帯を持つんです[揺れるハート]と言い出す円生。
志ん生の「どっちがカミサン[exclamation&question]というのは、戯曲にはなかったが、これが入った方が、たしかに座りがいい。それくらい、円生の発言は突拍子もないということが、素直に伝わる。
大連には、男性がほとんどいない。関東軍に一斉動員されて、そのままソ連軍の捕虜としてシベリアに贈られてしまったのだ。女と老人しかいない大連は治安に不安があるし、心細くもある。そこで、シベリアから亭主が帰ってくるまでの「期間限定」と割り切って、夫婦になってくれる男性が求められているのだという。
女性に受けのいい円生は、既に、これは、というご婦人のアタリをつけているという。


などと穏やかでない話をしている時、ボロボロの衣装を纏った4人の女が二人の前に現れる。
突然現れた女たちに驚く二人だが、彼女たちの身の上話を聞いてさらにびっくり。牡丹江付近から大連まで逃げてきて、封鎖を抜けようとしてソ連軍に撃たれて亡くなった若い母親の幽霊だったのだ。
4人は、通りがかった中国人に子供たちを託し、安心して死んだものの、子供に持たせてやるものを渡し忘れたために成仏できない。
その「忘れもの」が彼女たちの役名になっている。
「おしゃぶり」「お人形」「風呂敷」「写真」。これが役名として戯曲に書かれている違和感がなんとも…(笑)
彼女たちの話を通して、ソ連軍の侵攻により、追い込まれた満洲の日本人開拓村の人達の行動がわかる。集団自決[爆弾]
これは別に物語上だけの話でなく、特殊な例でもなく、世界の各地で、沖縄で、日本人が取った行動の一例に過ぎない。民間人である彼らが、何故「集団自決」に追い込まれねばならないのか。というところに、この当時の日本の民間人が、どれだけ軍と一体化していたか、が痛々しいまでに伝わってくる。
そういう、戦争のいたましさを背景にしつつも、この舞台は、それを声高には語らない。
4人の幽霊がここに現れたのは、円生と志ん生が、彼女たちを象徴する「おしゃぶり」「お人形」「風呂敷」「写真」を落語のネタとして口にした偶然から。「牛若丸がしゃぶっていたおしゃぶり」「紫式部が抱き寝したお人形」「樋口一葉が使った仕入用の風呂敷」「坂本龍馬と姉さんの乙女の記念写真」…と、『火焔太鼓』で使えそうなフレーズを言い合っていたことで、それに呼ばれて現れたのだ。
二人にとっては、「ガラクタのネタ」だったそれが、この4人には、それゆえに成仏できない「子どもの宝」だった[exclamation]


「この世界にガラクタなんて一つもありませんよ。どんなものであれ。みんな大事な宝物」


ゆうひさん演じる「写真」が言い出し、4人で唱和するこの言葉が、二人の噺家に、大きなヒントを与える。
『火焔太鼓』は、おかみさんに頭の上がらない古道具屋のダメ主人が主人公の落語。しかし、古道具とは、それを持っていた人にとっても、それを買いに来る人にとっても、かけがえのない宝物なのだ。であれば、古道具屋の主人は“宝物の仲介人”という素晴らしい職業ということになる。その視点は、落語に新しい風を吹かせるに違いない。
いつ帰れるかわからない状態であっても、まだまだ落語を磨こうとする志ん生。生きて日本に帰るためなら、どんなことでもやってやろうと覚悟を決める円生。それぞれの想いの中、1幕の幕が下りる。


危機的状況の中、健気に笑いを失くさない人々の物語である「円生と志ん生」の中で、一番悲惨な場面がこのシーン。
4人の女優はなんと幽霊。彼女たちの歌う『若い母親たちの嘆き』という歌は、こちらもベートーベン作曲とか。原曲をあちこちから持ってきたのは、作曲の宇野先生に負担をかけないように…との配慮とのことだったが、それにしてもバラエティに富んでいる。
井上ひさしさんは、音楽にも造詣が深く、かなりたくさんのレコードを蒐集されていたと聞くが、さすが、としか言いようがない。


さて、ゆうひさん演じる「写真」。
若い母親たち、と曲のタイトルになっているように、ここでは全員が20代で小さな子を抱えていた設定かな。
それぞれ少しずつ衣装が違っていて、ゆうひさんはボロボロながら着物姿で草履を履いていた。(太田さんはズボンに靴姿で男装している感じ。)
「写真」は、家族で撮った写真を子供に持たせ、いつか日本に帰る時の証拠になりますように…と考えている。
その台詞を聞くと、いやでも、私が子供の頃に始まった中国残留日本人孤児の親探しのための訪日を思い出してしまう。こんな風に、親切な中国人に子供を預け、命を落としていった母親も多かったのだろうと思うと、涙が止まらなかった。
「写真」の旦那さんが無事にシベリアから戻り、家族で撮った写真がきっかけで亡き妻が守り抜いた我が子に再会できていればいいな~と心から思った。そして、「写真」のゆうひさんは、とても可憐な、20代にしか見えないスレンダーなお母さんでした[ぴかぴか(新しい)]
(被り物の毛布で顔があまり見えないのがミソ)
太田さんがリーダー格、池谷さんは大人っぽい風格があって、そして前田さんは肝っ玉母さんな雰囲気。とてもチームワークのよい幽霊さんたちでした[ひらめき]


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「円生と志ん生」戯曲紹介 [┣大空ゆうひ]

「円生と志ん生」の戯曲を劇場で購入しました。ネットでも買えるみたいですね。






さっそく読んでみました。
「こまつ座」での上演を前提に書かれている作品だけに、実際に舞台で違っているところがあると、演出の妙に、なるほど、と思うことが多かった。
その辺については、舞台感想の中でも触れていきたい。


ゆうひさんのセリフで、膝を打ったところ。この戯曲を読んで、再び胸に刻んだ。


『ひどい世の中に向かって、妙に勇ましいことをいう者や、妙にりっぱな理想を掲げる者は、たいてい偽者です』


選挙演説などで、そんな場面、出遭ったりしませんか[exclamation&question]


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「円生と志ん生」2 [┣大空ゆうひ]

その1はこちらです。


時は流れ、昭和20年の12月。
大連最大の遊廓街、逢坂町の娼妓置屋「福屋」。


ゆうひさんは一転して置屋の女主人。作中呼ばれてはいないが、戯曲本によると初代さんという名前らしい。
寒いので、綿の入った着物に厚手の色足袋姿。
外は吹雪らしい。初代さんは、火鉢に炭を足している。鉄瓶をどかして、炭を追加して、また鉄瓶を置いて…みたいな所作が、昔の日本女性らしいなぁと感じる。
電灯が微妙に点滅したかと思うと、とうとう消えてしまう。初代さんは、ランプにマッチで火をつけて吊るす。ここまでの無言の所作で、私はすっかり初代さんのファンになってしまった。とても雰囲気のあるステキな女性だが、50代くらいかな。
そこへ、玄関がガラガラと開く音がして、お抱えの娼妓二人が戻ってくる。


戻ってきた二人は、茶箪笥の上の空き缶にお金を入れて、三人でパンパンと柏手を打つ。
終戦前は、大連一の遊廓だった逢坂町だが、ソ連軍に占領された後は、大連市とソ連軍の協定で、市が軍に娼妓を提供しているらしい。軍で配付される札一枚につき30分、それで一日10人の客を取るのが、逢坂町の娼妓たちのノルマになっている。初代さんはそのことに憤慨している。
“世の善良なる婦女子の貞操と純潔を守るための防波堤となるようにですって。ばかにしてますよ、ほんとに”
貞操と純潔は別の概念だったか…ということに、若干目眩をおぼえながら…(超男目線な通達!)つまりは、血気盛んなソ連兵を市を挙げて性接待することによって、彼らが一般家庭の女性たちを襲わないように…という大連市の深謀遠慮である。(実際、この時のソ連兵は満洲の日本人に対して略奪の限りを尽くしていた、という体験談は、子供の頃から聞かされてきた。)
遊廓の筆頭職というから、世が世なら花魁だったかもしれない自慢のお抱え娼妓なのに、一日10人だなんていう立ちんぼ並みの扱いをされて、憤懣やるかたない初代さん。
でも、若い紫さん(太田)や青柳さん(池谷)は、こんな時勢にも順応し、モノになり切ることで日々を過ごしているらしい。
時には、手真似でソ連兵と会話し、武器の話をしただけで30分経過…なんてこともあったり、と明るく語る。青柳さんが、ソ連兵に教えてもらったデグチャレフ(※)という腰だめにして撃てる小機関銃のことを、みんな、これ以降「デグチャなんとか」と呼び続け、誰も本当の名前を覚えようとしないところも、小さなツボだった。
(※デグチャレフというのは、ソ連の銃器設計技師の名前で、ここで言われているのは、彼の設計したDP28軽機関銃もしくはその後継器のことだと思われる。トカレフなんかもそうだけど、銃は設計者の名前が付くことが多いのね[ひらめき]
福屋には、もう一人、初雪さん(前田)という娼妓がいるのだが、まだ帰ってきていない。心配する「おかあさん」(初代さんのことをみんなはそう呼んでいる)に、二人は、初雪さんに岡惚れしている分隊長が、部下の札を取り上げて、初雪さんを長時間拘束しているのだ、と教えてくれる。
初代さんは不安になって、「そういう男が勘ちがいして、まちがいをしでかすんですよ。そのデグチャなんとかで無理心中を図る…」とか言い出す。初代さんは、置屋の女主人として、娼妓たちを管理する立場にあるわりには、どことなく箱入り娘みたいな世間ズレしていないところがあって、そこが魅力的。


初代さんが騒いでいるところに、玄関が開く音がして、円生と志ん生が帰ってくる。実は、二人は、この福屋に居候しながら、大連市内で煙草売りや、富くじ売りをして細々と小銭を貯めていた。そんな合間にも、二人は芸のことで言い争ったりしている。上下(かみしも)の(首の)振りが大きいからテンポが悪いとか、いや、誰が話しているかを明らかにすべきだとか。この辺から、それぞれの落語の方向性の萌芽が感じられたりするのかな…などと思った。


だいぶ経ってから帰ってきた初雪さんは、しつこい分隊長からウォッカの酒瓶とイクラの缶詰をせしめていた。そして、1枚のチラシを手にしている。そこには、二人の師匠を「文化戦犯」として指名手配していることが書かれていた。
二人は日頃、「戦犯になりたい」と言っていたらしい。外地に居ても戦犯認定されれば、官費で日本に強制送還される。それ狙いなのだが、ということは、戦犯として逮捕されても、裁判で死刑になるなんていうことは、あまり想像していなかったのだろうか。
で、戦犯ということは、罪を犯したわけで、二人はそれを「禁演落語を演じた罪」に決まっているという。
禁演落語というのは、昭和16年、時局に慮って(日本人お得意の忖度)落語関係者が53の落語を自主規制してはなし塚に葬った、その53の演目を言う。が、二人はどうやら御禁制を破っていたらしい。
どんな落語が禁演落語なのかと聞かれ、二人は、「居残り佐平次」「子別れ」「つるつる」を例に挙げる。ここで、「佐平次と熊五郎と太鼓持ち一八のマーチ」へ。


「おあしなしで遊び 布団部屋にのこり 朝も昼も夜も 客のためにつくす」


「居残り佐平次」の噺をここまで端的に歌詞にするのはすごいし、曲もピッタリだった。しかし、実はこの曲は、「Wish Me Luck As You Wave Me Goodbye」というイギリスのヒット曲。第二次世界大戦中に発表された曲で、戦意高揚映画の中でも使われたりしていたらしい。
師匠たちと一緒に歌っていた初代さん、途中でメガネをかけて(そういうお年頃なんですね)チラシを丹念に読み始める。そして、歌終わりには、「おかしい、おかしい」と言い出す。というのは、この「戦犯」は、どうやらソ連軍の「政治部」が認定したもの。とすれば、二人は日本に帰れるどころか、「シベリア送り」になるかもしれない。喜んでいる場合じゃない、というわけだ。
急にしょぼんとした二人の師匠、「泣く子も黙るシベリア送り」を歌い出す。


一転してこの曲はなんとベートーベン作曲。すごいな[あせあせ(飛び散る汗)]
歌っている間に、ソ連軍の手入れが始まり、あちこちでデグチャレフがぶっ放されている音がする。
初代さんたちは、「邪魔にはなりませんよ」と、空き缶に入れた収益金も、ウォッカの瓶も、ふぐ雑炊の鍋までも二人に渡して、初代さんのかつてのお抱え仲間が嫁いでいる歯医者さんを紹介してやる。


逃げていく二人を見送りながら、四人の女性が歌う「行方知れずになるソング」。
まさか、15年前、まだ20代だったゆうひさんがショーのパレードで歌った(きりやん⇒ゆうひさん⇒ケロさんの歌い継ぎ)「Where or When」がこんな風に使われるとは…。そして、私がこの曲だということに気づかないとは…[exclamation×2]
(「Where or When」は英語で歌われていて、歌詞を調べたりもしていた思い出の曲だったりして。初めて会ったはずなのに、どこかで会った気がしてならない。でもそれが、いつ・どこで・だったのか、わからない…という歌詞だった気がします。「眠れる森の美女」に出てくる「Once upon a Dream」に似た歌詞だなーと思った記憶が微かに…[ダッシュ(走り出すさま)]


この曲の間に二人はすっかりホームレスな風情に。その後の展開は、「その3」で。


というわけで、「その2」でのゆうひさんは、大連の遊廓街で置屋を営む初代さん。
まず、所作が、なんとも戦前の日本女性だな~[ひらめき]と思った。炭を置いたり、ランプに火を灯したり、その一連の所作が、キレイなのだ。
そして、しっかり者のようで、どこか、お嬢さんな雰囲気があって、どこまでも他人を気遣っていて、途中、志ん生さんが「弁天さまみたいなおひと」と呼ぶが、まさに、弁天様のような女性[ぴかぴか(新しい)]どこで、どう流れてこの道に入ったのかわからないが、それでも日本女性として大切なものを失わず、しかし、時代を見る目はとても正しくて、「わたしたちがこの大連、この満洲にいるということ、それだけでもう、なにかしてしまっている。そういうことだったんですね」と、彼女に言わせているのは、とても正しい選択だと思った。
あとの三人は、お抱えの娼妓。
紫さんは、女学校時代に陸上部だったと語っている。女学校にまで行っていたのに、今は身を売る商売をしている…いったい何があったのかはわからないが、それが、満州の過酷さか。とても素直で、ちょっとお間抜けな感じが可愛い。
青柳さんは、北関東辺りの出身か。訛りが可愛い。包み込むような優しさがあって、円生の上下の間に吸い込まれそうになるとか言ってくれる。
初雪さんは、おきゃんな可愛い女性。ちょっとおっちょこちょいだが、したたかな面も見せる。
三人三様で、ステキなメンバーだった。なにやら、セクシーさに欠けるという意見も男性陣からあったらしいが、娼婦だからセクシーというのは、違うんじゃないかと思うので、私は、この三人のお茶の間感覚溢れる福屋さんが大好きだった。
(娼婦が色気を競うのは、自分を選んでもらうため。いやでも日に10人の客を相手にし、それでも客が引きも切らない状態なら、むしろ色気は影を潜めているハズ。)


<ここから、とりもめもないメモ>
その1…お金もないのに置屋に寝泊まりさせてもらっている二人の師匠。せめて…ということで、お抱えの娼妓相手に毎晩落語を聴かせてくれる。これ、つまり、娼妓なのに、夜は仕事がないという意味。それは当然で、最初の場面でラジオアナウンサーのゆうひさんが「夜間外出禁止令」のことを言っている。
また、そうでなくても、大連には若い男性がいない。(一斉動員で兵隊に取られ、政治部によって一斉にシベリア送りにされている。)
なので、ソ連軍兵士のために娼妓が提供され、そのお金を大連市が支払うというのは、置屋にとっては、神の恵みでもあったかもしれない。
初代さんが憤懣やるかたないのは、この世界には、序列っていうのがあって、筆頭職だろうがなんだろうが、一日10人×30分みたいなノルマになるところ…なのかな、やっぱ。


その2…南山の麓に歯医者さんがいて、その奥さんが初代さんの昔のお抱え仲間だった、というセリフ。その前に、初雪さんが自分を「福助のお抱えですよ」という言い方をしている。所属している、という意味だろうか。つまり、紫さん、青柳さん、初雪さんみたいな関係を「お抱え仲間」と呼んだのか。
初代さんも、昔は、この大連で娼妓をしていたのかなぁ~。どうして、福助の女主人になったのかなぁ~。


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「円生と志ん生」1 [┣大空ゆうひ]

こまつ座 第119回公演
「円生と志ん生」


作:井上ひさし
演出:鵜山仁
音楽:宇野誠一郎
美術:石井強司
照明:服部基
音響:秦大介
衣裳:黒須はな子
ヘアメイク:西川直子
振付:新海絵理子
歌唱指導:満田恵子
落語指導:三遊亭鳳楽、金原亭馬生
宣伝美術:安野光雅
演出助手:生田みゆき
舞台監督:増田裕幸
制作統括:井上麻矢


今回の公演、ゆうひさんは、なんと5役を演じることに。
そんなわけで、感想も、5つの役に分けて書いていきたいと思う。


舞台後方ホリゾントに満洲の地図が描かれている。
これがあるので、芝居の中に出てくる地名がとても分かりやすかった。


まず、国民服姿の男がリュックを背負い、風呂敷を持って客席から舞台へ上がり、リュックから楽譜を出し、風呂敷から太鼓を出す。彼がピアニストの朴勝哲(パク・スンチョル)さん。ピアノだけでなく太鼓を叩いたり、出演者と無言のやり取りをしたり、彼もまた出演者の一人と言える。
朴さんの太鼓を出囃子の代わりにして袖から円生師匠(大森博史)が登場して座布団に座り、高座を一席という形で、物語の突端を語り出す。途中から志ん生師匠(ラサール石井)も現れ、高座に擬して円生を満洲に誘う場面を再現する。
二人には、志ん生・円生両師匠の孫弟子に当たる、三遊亭鳳楽師匠と金原亭馬生師匠が落語指導をしてくれたとか。
特に石井は、志ん生師匠の声色も使って、客席を煙に巻く。それにしても、二人とも、見た目から両師匠に似ている。


二人は関東軍の兵隊さんの慰問興行の一環で、昭和20(1945)年5月、1ヶ月間の満洲巡業の旅に出る。ところが、この1ヶ月で戦況は大きく変わる。枢軸国のドイツが5月に降伏したため、アメリカの潜水艦が東シナ海へ移動、危険のため、日本行きの船は出ない。しょうがないので、二人はさらに3ヶ月、巡業を続ける。
8月15日、二人は、大連の宿屋で終戦を迎えた-
二人の最後の巡業の噺が、円生=『三人旅』、志ん生=『居残り佐平次』だったこともさり気なく入れておき、最後に、二人が「大連に居残り」というところで笑いを誘う。うまいな。


ここで、「桃太郎気分でネ」という曲となる。
これは、天地総子さんの「悪魔ソング」という曲の歌詞を書き換えたもので、作詞/井上ひさし、作曲/宇野誠一郎。
日本が戦争に向かってまっしぐらに進んでいく様を「桃太郎気分」と評し、最後に焼け野原になって「浦島太郎気分」というオチ。
女性キャストはここで初めて登場する。で、この時、実は次の場面の衣装を着ている。(これは脚本指示)
大空ゆうひ、前田亜季は、着物+羽織に姑娘(中国娘)みたいな髪形。太田緑ロランスは、黒っぽい着物で髪は普通に纏めて。池谷のぶえは、使用人らしい着物姿。この四人と、円生・志ん生の4人がレビューのように歌い踊る。


舞台が暗くなると、ラジオの音声。
いきなりソ連の国家が流れる中、ラジオアナウンサー(大空)の勇ましい声が聞こえてくる。時報と同時に今度は、聴いたこともないような優しい声で音楽の案内をする。役者やのぉ~[揺れるハート]


大連の旅館、「日本館」の二階に寝泊まりしている円生師匠と志ん生師匠。
円生がいくら起こしても志ん生は起きない。昨夜、円生が管理している財布からお金をくすね、博打をやった志ん生に、円生は怒っている。しかし、事態はそれどころでは済まないことに。
関東軍の現地妻二人(大空・前田)が金にものを言わせて、この部屋の相客に乗り込んでくる。女将は、失礼のないように、と二人に釘をさすが、密航船で日本に帰ろうとする金持ちの二人に一緒に連れ帰ってもらおうと卑屈に芸を披露する二人の師匠の姿は逆効果。とうとう、部屋を追い出されてしまう。
ここで、登場する音楽「さらば大連」は、「ひょっこりひょうたん島」に出てきた曲の歌詞を変えたものなんだとか。


着物に羽織の正装ながら、髪形は両サイドに髪の毛をぐるぐる巻きにしている姑娘姿のゆうひさん、超可愛かったです[黒ハート]それでいながら、君香姐さん(役名)、超イケズ。
大連花街で名声を轟かせた後、関東軍のお偉いさんの現地妻になり、しっかり蓄財して、敗戦後は、密航船で帰国を企てるという、したたかな女性像。30代にはなっているのかな。
着物姿で、踊ったり、マイムで寝姿になったり…と動きが激しいが、裾からチラリと見えるふくらはぎ、など上品なお色気がステキ。所作が綺麗で上品だと思う。
前田は、妹分の可愛さが炸裂していた。意外と梅香さん(役名)の方が、しっかり者なのかもしれない。
若い太田の女将役が意外と嵌まっていて、しかも、キリッとしてかっこいい。池谷は、部屋係の女中役で、冒頭から達者さが際立つ。
最初から、女性にしてやられっぱなしの、両師匠の今後がとても心配になる展開で、つかみはバッチリの第1エピソードだった。


<ここから、とりとめのないメモ>
その1…国民服に種類があるなんて初めて知った。
円生師匠は、そのまま着るタイプで、志ん生師匠は、下に襟のあるシャツを着る開襟タイプを着ていた。
調べてみると、「国民服」は、昭和15年に制定されたもので、デザインに変遷があったものの、終戦頃は、下にシャツなどを着る甲号と、そのまま着る乙号の二種類があったとのこと。そのまま軍服として使用することも可能だったとか。この辺、兵と民間人の間がすごくファジーだったんだなーということの一つの裏付けかな、と思った。
(沖縄戦などで、民間人が間違って撃たれたというのも、国民服と軍服が似ていたため、と、Wikiに書いてあった。)

その2…志ん生さんの落語をそのまんま生きているような生き方と、円生さんの生真面目な性格は、たぶん、とても噛み合わないのだろうけど、なにしろ、他に頼る人がない外地、だから600日という長い時間を二人一緒に過ごすことになったんだろうな…そして、そういう経験が二人の芸の肥やしになったのは間違いない。
内地にいたら、芸のためだったとしても、噛み合わない人とずっと一緒にはいられなかっただろう。
志ん生さん、絶対に、プライベートでは近づきたくないけど、この人の回りにはいつも笑いがあるんだろうな。
円生さん、理屈っぽいけど、たぶんとても男前。
観れば観るほど、二人の噺家さんを好きになる舞台。

その3…もしかしたら、あまりこの辺の歴史に詳しくない人もいるかもしれないので、ちょっと補足。
1945年8月9日、つまり長崎に原爆が落ちた日、ソ連軍が突然満州に攻め込んで来た。日本とソ連は、日ソ不可侵条約というのを結んでいたので、これは条約破りなんだけど、とにかく攻めて来た。一方、攻められた満州。ここには、日本の「関東軍」という名前の部隊があって、(中国大陸の関東州という地域のことであって、日本の関東地方ではありません)アジア最強の軍隊とか自称してたんだけど、ソ連が侵攻してきたと聞いて、脱兎のごとく逃げ出した。跡形もなく。
ほぼ勝敗が決した後で、後出しジャンケンみたいに攻めて来たソ連もアレだけど、受けもせずに逃げた関東軍も相当なもんです。
旧満州国には、多くの日本人が居住していた(満洲国は一応、国家ということになっていたが、国民は一人もいなくて、居住者はすべてもとの国の国籍のままだった。なので、満州に住んでいた日本人は、すべて日本国籍を保有していた。)が、ソ連に占領されている間は、身動きが出来なかった。昭和21年5月から順次引き揚げが開始されたが、多くの日本人が故国の土を踏むことなく亡くなったり、子供を置いてきたり…。
私の祖父母と母は引き揚げ者でした。祖父が団長を務めた引き揚げ隊は、一人も欠けることなく日本に帰国することができ、だからそれほど大変なことだと、長いこと思っていなかった。でも、調べてみたら大変な事態だったのね…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


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こまつ座「円生と志ん生」初日! [┣大空ゆうひ]

9月8日より24日まで、紀伊國屋サザンシアターにて「円生と志ん生」上演しています。


ゆうひさんは、大連に住む(?)5人の女性を演じます。元芸者で現地妻とか、娼婦の置屋のおかあさんとか、女学校の教頭先生とか、子ども連れで逃げる途中に亡くなった難民の女性とか、シスター(院長先生)とか。どれも可愛くて素敵な女性です。
「カントリー」のような、怖いドラマのあとに、温かい舞台で普通の女性を演じる…という妙も嬉しいし、なにより、演出の鵜山さんとの出会いが嬉しい今回の舞台です。


円生花2.jpg


竹中さんのお花も嬉しい。

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「逢いたくて…」 [┣大空ゆうひ]

「逢いたくて…」


作・演出:樫田正剛
原案:稲垣麻由美(「戦地で生きる支えとなった115通の手紙」扶桑社刊)


方南ぐみプロデュースの朗読公演。
7月にも上演されていて、3ヶ月連続公演と書かれていたので、9月にも上演されるのだろう。
この日の出演は、竹中直人・大空ゆうひ・猪野広樹の3名。
猪野さんが、文句の多い兵隊・石橋、ゆうひさんが手紙の出し主・しづゑ、それ以外の役、そしてナレーションを竹中さんが担当する。それ以外の役、と書いたが、石橋の相棒となる年若い兵隊・澤田と、しづゑの夫である山田部隊長という大きな役を両方演じる。このポジションを担当する俳優次第で、全体の雰囲気が変わるんだろうな…。


終戦の年、補充人員として南方に送られた30歳の石橋と22歳の澤田。
二人の日々を追いながらも、時々、挿入される、妻から夫へ宛てたと見られる手紙文。独身の男二人の物語と、その手紙は当初まったく交わらない。が、ある時、マラリアにかかった石橋が、自分の夢に出てくる女の話をする。
その夢の女と、手紙が交錯する。
二人は、切り込み隊に任じられ、米軍キャンプの襲撃に成功するが、そのまま戻ったら、再び切り込み隊に任命されるだけだと、脱走を決意する。もし見つかったら、道に迷ったことにしようと。
そこで澤田もマラリアにかかる。しかし、澤田の夢には女は出てこなかった。
そう話すと、石橋は、実は、夢に出てきた女じゃない、部隊長の手紙を失敬したのだと石橋は打ち明ける。
手紙は、二人の上官、山田部隊長の妻からの手紙だったのだ。
二人は道に迷いながら放浪し、やがて、元の舞台の兵たちにも遭遇するが、既にみな負傷しているか病気になっている。
やがて、戦争が終わったことがわかるが、日本へ帰れる船にまで辿りつけたのは、石橋一人だった。
そこで石橋は、山田部隊長に再会し、手紙を拾ったと言って返す。読んだのか?と聞かれて、読んでいません、と答えた石橋だったが、「しづゑ、可愛かっただろう?」と聞かれ、「生きる支えでした」と答えてしまう―


この朗読劇のポイントは、極限下にあっては、人は何かを支えにしなければ、とても生きられない。その「何か」は、けっこう意外なものだったりする、みたいなことかな?と思った。
山田部隊長にとって、この手紙が生きる支えだったのは当然として、しづゑを知らない石橋と澤田が、この手紙に癒され、生きて祖国に帰るんだ、と絶望的な日々を生き抜く、そこにこの手紙と、それを書いたしづゑの無辜の愛の気高さがあるんだろうな、と思う。
というわけで、ゆうひさんの演じたしづゑさん、本当に可愛かったです[揺れるハート]
というか、菩薩の頬笑みを浮かべて朗読している姿が神々しかったです[ぴかぴか(新しい)]
菩薩~というのは、弥勒菩薩のようなアルカイックスマイルだったので、そう思ったのですが、菩薩って、性がないんですよね。ほんもののしづゑさんは、生身の女性なんだけど、検閲もある手紙だし、少しかしこまっている部分もあって、生身の女が少し隠れている。本音なんだけど、少しよそ行き。そこに、会ったこともない石橋たちは、ものすごく聖性を感じたんだろうな、と思う。ほんものを知っているだんなさん(部隊長)は、たまらん…[ダッシュ(走り出すさま)]と思ったでしょうが。
で、ゆうひさんは、しづゑさん本人じゃなくて、「手紙のなかのしづゑさん」を演じていたんだなーと思った。だから、とっても菩薩で、聖性があって、生身な感じがしない。出産しても、子育てしてても、どこか、聖少女のような不思議な雰囲気があって。それは、きっと、手紙だから。
手紙の中のしづゑさんは、だから、男の理想像でもあるんだけど、もし、それをリアルに演じていたら、それはそれで、女性からしたら「イヤな女」。男性の前で、いい面だけを見せているから。でも、ゆうひさんは、手紙の中にだけ生きる幻の女だった。
それでいて、山田部隊長にだけは、とっておきの愛妻なんだろうなぁ~と思える、絶妙なところに落としてきたのが、神だったなーと思った。
先月のコリンがあれだっただけに、すごい振り幅だなーと[ぴかぴか(新しい)]
石橋役の猪野さん。初めて観た役者さんだったけど、石橋のキャラクターをがっちり掴んでいて、戦時中なのに人間味あふれるそのキャラクターにすっかり感情移入させられました。あと、声がいいよね。私はすごい好きです。2.5次元の舞台によく出演されているようですが、チケットが取りにくいので、また、3.0にも出てください♪
そして竹中さん。さすがに、澤田&山田部隊長&ナレーションだったので、噛み噛みのところはありましたが、素敵な朗読でした。竹中さんも声、好き。

最後に、脚本・演出について。
手紙という媒体を使うことで、ある種ファンタジーを作り出す手法はとても面白かったし、大空ゆうひにも似合っていたので、よい機会を与えてくれてうれしかった。
途中、いくつか、言葉の使い方がおかしい個所があったが、読み間違いでなかったら、修正された方がいいかと思う。ナレーションの動詞の使い方がいくつか不明瞭だったのと、手紙文内の「申された」が気になった。
また、映像、音響をある程度使用していくのであれば、ナレーションを使わずに台詞だけで進めて行く方法もあるような気がする。ナレーションが台詞の「 」の中以外全部語って、その上、澤田と部隊長を演じるのでは、さすがに働かせすぎ。
「ラヴ・レターズ」に始まり、さまざまな朗読劇を見てきたが、まだまだ試行錯誤していると感じる作品が多い。そんな朗読劇も再演され続けているが、ご贔屓が出るから、以外の目的で観ようと思うのは、まだまだ「ラヴ・レターズ」だけだ。
日本発の朗読劇として、ブラッシュアップしながら続けてくれれば…と願っている。


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「L'Age d'Or de la Chanson」大空ゆうひ [┣大空ゆうひ]

「L'Age d'Or de la Chanson」


企画・構成・演出:高橋まさひと
音楽:三枝伸太郎、佐伯準一、成清翠
制作:角田泰彦、Olivier Huet
舞台監督:増山義雄
音響・照明:Silver Hearts
運営:る・ひまわり
後援:在日フランス大使館、アンスティチュフランセ・日本、日本シャンソン協会、岩谷時子音楽文化振興財団
協力:日本コロムビア、ビクターエンタテインメント、テイチクエンタテインメント、ユニバーサルミュージック、ヤマハホール
コーディネート:プレザンス


ピアノ:三枝伸太郎
アコーディオン:吉岡里紗
チェロ:島津由美
ベース:河本悠自
パーカッション:相川瞳


バンドネオン(ゲスト):小川紀美代


ヤマハホールで開催された「L’Age d’Or de la Chanson」大空ゆうひさんの舞台を観て来ました。
この連作コンサート、元宝塚のスターをメインに、その他、様々なアーティストも出演する多彩なコンサートで、ゆうひさんのようにピンで開催する場合もあれば、複数のメンバーが登場する場合もあるようです。とはいえ、まあ、あんまりシリーズについては、よくわからない状態で参加してます。
平日の15:00、18:00という上演時間にもかかわらず、満員の会場。
ゆうひさんのファンだけでなく、大空ゆうひのシャンソンを聴いてやろうという方もいらしたようで、なぜか私が緊張(笑)


で、時間になり、バンドのメンバーが入場。 上手からチェロ、ドラム、アコーディオン、ウッドベース、ピアノの5人編成。
アコーディオンを見て、私は凍った。というのは、バンドネオンの小川紀美代さんがゲストだということをあらかじめ知っていたので、バンドネオンの出る舞台にアコーディオンがいては具合が悪いんではないか…と思って。
編成を考えられたのは、音楽監督なのかな[exclamation&question]
バンドネオン参加がどの時点で決まったかわからないけど、(これはゆうひさんの要望だと思う)ちょっと気になった。


ゆうひさんのナレーション(音声)からスタート。なぜ、日本人はシャンソンに惹かれるのか、みたいな内容。甘えたような、鼻にかかった声が可愛い[かわいい]
たしかに、日本人は、シャンソンが好きなのかもしれない。
私は、シャンソンにだけ特化して惹かれているわけではないけど、やはり、宝塚好きには、耳馴染みのある曲が多いから、構えないで聴くことはできるかも、と思った。


そして、お馴染みの「愛の讃歌」イントロに乗って、ゆうひさんが登場。
黒のボブ鬘、黒のざっくりした上衣にスリットの入った黒のパンツ。ヒールはかなり高め。アクセサリーは、透明×金のバングルと華奢なネックレス、そして左右非対称の垂れ下がるピアス。
「愛の讃歌」は、一番有名な岩谷時子さんの詞で、ドラマチックにしっとりと。
この曲からスタートしたのは、宝塚を退団した越路吹雪さんが、昭和28年にこのヤマハホールで初めてのシャンソンコンサートを開いた時の1曲めがこの曲だったから、だそうだ。粋な演出[exclamation×2]
「愛の讃歌」は、前回のライブ“Rhythmic Walk”の最後に歌った曲で、けっこうインパクトがあった。いきなり、そんなテンションMAXからスタートする潔さに感動しつつ、安定感ある、深い歌声に安堵。本人も、歌い込んだ曲だけに、リラックスしているように感じる。
前回のライブは、色々な音域にチャレンジしていたけど、やっぱり、一番この辺の音域が深くて厚い。
安心かつ熱い愛の歌にドキドキするオープニングだった。言葉のひとつひとつがエロくて刺さる[キスマーク]


MCで、この曲をオープニング曲に選んだ理由などを語りつつ、続いての曲は、「愛の幕切れ」
もう終わったんかい[がく~(落胆した顔)]という、セトリの妙であります。
ゆうひさん的には、越路吹雪さんの歌った歌をもう一曲、という体のようですが、変わり身早く、愛が終わったうらぶれ感が満載[あせあせ(飛び散る汗)]でした。
この歌は初めて聞いたが、「アントル・トワ・エ・モワ・セ・フィニ」という言葉がしっかりと聞きとれて、なんか、発音よいよね[黒ハート]と、思った。パンチの効いた歌唱が気持ちいい[ぴかぴか(新しい)]


続いて、おなじみの「枯葉」
これも、前回の“Rhythmic Walk”で歌った歌だが、“La Vie”の時も別歌詞で歌っていて、わりとゆうひさんの好きな歌なんじゃないと思っている。
「愛の讃歌」⇒「愛の幕切れ」⇒「枯葉」…どんな流れだよ…とは、思いつつ[わーい(嬉しい顔)]
「いつの日か、抱かれて、誓いし言葉よ」という歌詞が、ひとつひとつ流れずに引っ掛かる歌詞だな~と思って、そういうロジックに改めて聞き惚れる。(“Rhythmic Walk”の時と同じ歌詞です。)
なんか、情景が浮かんできて、ドキドキさせる[揺れるハート]


ここで、昨年の9月に行われたライブ、“MojiCa”の話に。
あれが大盛況だったから、今があるのよね、きっと。で、その時に発表したオリジナル曲2曲のうち、「いつかの歌のように」がシャンソン風ということで、ここで披露された。
いつも思うんだけど、カフェでいきなりこんな美人に話しかけられたら、何事かと思うよね(笑)
「居酒屋」の歌詞を変だと思ったことはないので、やっぱ、カフェっていうところが引っ掛かるのか…。でも、場所がフランスで、オープンカフェで、お酒も出していたら…「居酒屋」フランス版になるから、あまり気にならないのかな…と、思ってみました(笑)


ここで、そんな昨年の“MojiCa”で共演した、バンドネオンの小川紀美代さんが登場。
昼の部で、“2年前”と言い放った大空さん、そんな倍速で時間が流れてますか?(2年分くらい仕事してるのかも。ファンとしてはありがたいです。)


小川さんの伴奏でゆうひさんが歌ったのは、タンゴ「ポル・ウナ・カベサ(首の差で)」
これ、競馬用語だそうです。
この曲も、“MojiCa”で歌われた曲。ちょっとしたタイミングのズレで、素敵な恋人を失ってしまうという歌。日本語詞は、首の差じゃなくて、ほんの少し、頭ひとつ、になっていたけど。
途中からピアノ伴奏も加わり華やかな雰囲気。


さらに、“MojiCa”で歌われた「群衆」。“MojiCa”では、「群衆」⇒「いつかの歌のように」⇒「ポル・ウナ・カベサ」の順だった…はず。で、その時に、ゆうひさんは、一生かけてシャンソンを極めたらいいみたいなことを、私、書いてました。よしよし、夢が叶いつつあるぞ[黒ハート](むふ)
こちらは、ワルツ、とゆうひさんは紹介していた。
この曲は、バンドネオンだけでなく、他の楽器も使ったフルバンド演奏。ただ、アコーディオンだけは演奏に加わらないので、それが気になった。
でも、
ゆうひさんにすごく似合う曲
だと思う。歌詞は、“MojiCa”と同じで、この歌詞がすごく好きだったので、それも嬉しかった。「私は呪うのだ」という言葉の選び方に痺れる。


ここで、小川さんとのトークコーナー。なんか、二人のトーク、阿吽の呼吸でいいなぁ。徹底的にゆるいし。(ゆうひさんのMCがゆるいのは、もはや通常運転だけど。)
でも、バンドネオンのことになると、いくらでも言葉が出てくる小川さん。夜の部では、アコーディオンとの違いについても、積極的に話してくれた。アコーディオンに比べると、バンドネオンは原始的で、使用者に優しくない設計ということらしい。
あとは、小川さんはバンドネオンのボタンの配列、ゆうひさんは台詞以外のものが記憶できないらしく、将来が心配だとかいう話とか、バンドネオンが悪魔の楽器という話とか、演奏者が敷いている(小川さんは使用していない)綺麗な布は、バンドネオンの涙を受けるための布と言われているとか、そんなお話をしていた…かな。けっこう10分くらいは、ゆるトークしていたと思う。


そして、もう一曲、小川さんのソロで、ピアソラの「忘却(Oblivion)」
ピアソラの曲の中で、唯一、フランス語の詩がついていて、それをゆうひさんが日本語で朗読した。
観念的で不思議なところもある詩で、それがゆうひさんに似合う。歌詞なので歌うこともできたが、敢えて朗読にしたのもよかった。
小川さんがこのステージで、こんな形で披露してくれたことに感謝したい。曲終りで、ゆうひさんは退場。


そのまま、小川さんのソロで、「Libertango」へ。
もう、最高潮に盛り上がる[ぴかぴか(新しい)]
ほぼほぼシャンソンのコンサートであることを忘却(笑)してしまいそうな展開だったが、実は、シャンソンとタンゴ、似合うのよね。
アルゼンチンで生まれたタンゴは、ヨーロッパに渡り、コンチネンタルタンゴという形に変化し、シャンソンとも融和している。そういえば、ゆうひさんが踊ったこともある「小雨降る径」は、タンゴでよく演奏されるし。
ここで小川さんコーナーは終了。


雰囲気を変えてインスト「パリの空の下」
ここでメインのメロディーを担当するのが、ずっとお休み状態だったアコーディオン。 小川さんの説明にも出てきたが、アコーディオンは鍵盤とボタンで演奏するので、一人でメロディーと伴奏ができる。しかし、バンド編成となると、こういうふうにメインのメロディーを弾くか、歌の背後で合いの手みたいな“ぴろぴろ”という音を出すしか居場所がない。けっこう難しい楽器だなと思った。
(主役じゃなかったら、特出しか似合わないというか…)
でも、やっぱり「パリの空の下」の主旋律は、アコーディオンがよいですね[るんるん]


続いて、ゆうひさん、今度は真っ白な衣装で登場。髪も、オールバック+付け毛を首の後ろで一本に結んだヘアスタイル。現役時代最後の方でよくやっていた、オールバックなんだけど、センター付近を盛るみたいな髪形…懐かしいな。たしか、退団後、今の事務所に所属した時の宣材写真がそのスタイルで、女優としてちゃんとオファーが来るんだろうか…と不安になったのを思い出す。


最初の曲は、「Mademoiselle chante le blues(ブルースを唄う女)」
ジャズじゃん!みたいなシャンソン。ゆうひさんが歌うなら、比較的新しい、こういうテイストの曲も当然入って然るべきな気がする。シャンソンのコンサートのつもりだっけど、結果的にタンゴもブルースも聴けている感じが嬉しい。
気怠い雰囲気の歌は、ゆうひさんの真骨頂だし。
そして、この曲に登場するような、あらゆる種類の女性像を今後の俳優人生で魅せてほしいなと思ったことも付け加えておく。


そして、“MojiCa”ではギターを手に歌った、「リリー・マルレーン」へ。
この曲も好きだな~[るんるん]“MojiCa”では、ギター弾き語りでドキドキしたのもよい思い出。
今回のコンサートでは、初のシャンソン挑戦と言いつつも、過去に歌った経験のある曲を織り交ぜているので、ゆうひさんも余裕があり、聴いていて安心できた。
音域が、ゆうひさんの一番低い&深いところで構成されているのも、安心材料だった。


さて、ここからは、未体験ゾーンの曲が三曲続く。
まず、「行かないで」
ジャック・ブレルのヒット曲。
本来は、男性⇒女性への恋唄だが、今回は女性が主人公の歌詞になっている。
繰り返される「行かないで」の歌詞が、胸を打つ。切々とした歌声が切ない。


続いて、「あきれたあんた」
これ、好きだな~、この設定。
しっかりものの女とのんびり男。たぶん女は男の存在に癒されていたのに、いつのまにか彼の存在があたりまえになってしまい、そうすると、彼の働かないところとか、のんびりしてるところに耐えられなくなり、少しは働けとか言っちゃって、それで男が出て行く…と。でも、居なくなって初めてそこに陽だまりがあったなぁ~って気づく…みたいな。
しゃきしゃきした女性なんだろうけど、それが、のんびりした曲調で展開されるので、切ない雰囲気。
ゆうひさんが抱えている負のエロ・オーラが炸裂しないので物足りないという声も一部にあって、それもすごくわかるけど、まあ、たまには、私も休憩したいので、そういう意味では、この曲、お勧めです。


そして、「もしもあなたに逢えずにいたら」
私は何をしてたでしょうか?じゃないですよ。
深い愛の歌。この三曲は、今去ろうとしている恋人を追う歌⇒二度と会えない恋人をそっと思い出す歌⇒あなたに逢えてよかった…と、少しずつ温かい気持ちが戻ってくる感じで、希望に繋がったフィナーレで良かった[黒ハート]


ラスト3曲は、かなりしっかりとシャンソンで、とても聴きごたえがある感じ。
まさかのアンコール楽曲なし、という潔さもよかった。
それでも、何度も登場して可愛く手を振ってくれたゆうひさん、ありがとうございました。
また、コンサートかライブしてください[わーい(嬉しい顔)]


シャンソン2.jpg


<セットリスト>


1.愛の讃歌
2.愛の幕切れ★
3.枯葉
4.いつかの歌のように
5.首の差で
6.群衆
7.Oblivion(インスト+朗読)
8.Libertango(インスト)
9.パリの空の下(インスト)
10.ブルースを唄う女★
11.リリー・マルレーン
12.行かないで★
13.あきれたあんた★
14.もしもあなたに逢えずにいたら★
(★印初出)


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「カントリー」の裏側(3) [┣大空ゆうひ]

ゆうひさんご出演の「カントリー」、その台詞の向こう側の世界をもう少し考えてみたい。(2)はこちらです。


そんなこんなしているところへ、ソフィーから電話が入る。電話にはコリンが出て、あれこれと話し出す。子供たちは元気かと聞いたり、リチャードからプレゼントに靴を貰ったことを話したり。
すると、リチャードは、電話口で話すコリンのところにやってきて、後ろから抱き締め、髪にキスなどしてくる。電話口からソフィーに聞かせるようにかな…と思ったのは、私だけだろうか[exclamation&question]
コリンの方は、リチャードがふざけていることは理解し、嫌悪感を示してはいないものの、彼のハグやキスに1ミリの反応も見せないし、むしろ、うざっ!という空気を醸し出す。
ここでも、TPO関係なく欲情したり、性的なことを仄めかすリチャードに対して、朝や昼だったり、人前だったりでは、そういうことはおくびにも出さないコリンの対比が鮮やかだ。


英国は、世界でも性的な抑制度の高い国だったとか。(20世紀に読んだ本の情報なので、現代は少し違うのかもしれない。)
厳格な家庭に育ったであろうコリンは、両親の過干渉に腹を立てているようだけど、家庭における父親と母親の立ち位置、というか、子どもの前で、どれくらい、いちゃつけるかみたいな部分は、両親から受け継いだものが、わりとそのまま出る部分じゃないかと思う。
とはいえ、コリンの場合、それだけでもないようで。
というのは、昼間からベタベタするのはイヤ、とか、よくないと思う、という考えの持ち主であっても、実際に愛する人からハグされたり、キスされたりしたら、それに対しては素直に反応してしまうもので、その上で、ちょっと、今はヤメテ…みたいなスタンスになるハズ。
でもコリンって、なんか、昨夜、夫婦生活があったとしても、今朝はそのこと自体覚えていないというか、なんか、普通じゃない部分を感じる。
最初は、ゆうひさんのファンとして、お、ここでキスシーンとかあったりする[exclamation&question]みたいな緊張感で見ていたから、より、性的な部分の特異さに気づいたけど、そういえば、それだけじゃなくて、この人の忘却力、ちょっと力技的にすごいんじゃないか…[爆弾]と、この辺で、ようやく、異常事態に気づいた私。


とりあえず、先へ進みます。
リチャードは、コリンへのいたずらをやめ、コリンに対して、「お金に気づいたか」をソフィーに聞くように言う。どうやら、ソフィーのところにお金を置いてきたらしい。
リチャードは、ソフィーが喜んだだろうと思って聞くのだが、コリンは、ソフィーがビックリして怖くなったと聞き、彼女に同情し、リチャードのしたことを謝罪するような雰囲気に。そして、その流れで、そっと靴を脱ぐ。
そのお金は、ソフィーがリチャード夫婦の子供たちを預かってくれることに対しての、リチャードなりの礼金だったようだが、やや、金額が大きすぎたようだ。


電話を切った後、コリンはリチャードに、ソフィーが怖がっていた、と言う。
その一方で、ソフィーはリチャードが好きなはずだ、とも言う。あなたの話をすると、声が変わるもの、と。
それを聞いて、リチャードは、それを認めずに、彼女は俺たちを軽蔑しているとか言い出す。リチャードは、警戒しているのかもしれない。コリンがやがてソフィーと自分のことを疑い、嫉妬することを。
「あなたは自分を軽蔑している」
そういうリチャードの姿に、コリンはそんなことを言う。たしかに、リチャードはリチャードで、心の闇を抱えている。その闇が、自分に起因する(強すぎる性欲とか、医者なのに倫理観が薄いとか…)ものなのか、まともではない妻、コリンに起因するものなのか、たぶん両方なんだろうな。


だから、コリンとリチャードのすれ違いは続いていく。それは、第1部の「キスして」から始まっていた。
欧米では、朝起きて、出掛ける前に、帰ってきたら…と、ごく普通に交わされるキス。コリンにとって、それは、安心なのだろう。 でも
リチャードにとっては、そうじゃない。キスはどちらかというと「始まりの合図」、もしくは前戯。
コリンが「キスして」と言ったのは深夜だったから、そのままなだれ込んだとしても、コリンは了承したと思う。でも、リチャードは、それだからこそキスできなかった。同じ屋根の下に愛人のレベッカがいるのだから。


 一方のコリンは、バースデーカードを送ってきた両親への暴言、そして、年長者・モリスを嫌っていることから類推するに、家父長の強権的な家庭で育ち、たぶん、色々なことがあったのだろう。でも、基本的に、「起きたこと」そのものは、忘れている。そして、イヤなことがあるたびに、彼女は、忘れてきた、んじゃないだろうか。


微妙な雰囲気になりながらも、二人きりのバースデーを楽しむために、二人でどこかへ行こうという話になる。せっかくだから、石垣の辺りに行ってみよう、と。コリンは、プレゼントのハイヒールを履いていくと言い出して、リチャードを慌てさせたり。そして、唐突に、昨夜、リチャードが子どもたちをソフィーのところに送っている間に、ドライブをしたと言い出すのだ。
コリンは車に乗った。車をバックで発進させた時、車のミラーに自分の顔が写った。それは「共犯者の顔」だった、とコリンは言う。どんな顔だったのか、と聞かれても再現できないコリン。
でも、それって、何の共犯者だったのだろうか。
走っているうちに、コリンは、色々考える。
古い道が嫌い。まっすぐの道が嫌い。道路に支配されるのが嫌い。私の旅はまだ始まったばかり。
そして道が尽きたところで、コリンは車を置いて歩きはじめる。あの裏道を見つけてしまったからは、そこに向かうしかなかった、と。
そこで、コリンは、モリスが自分を呼んでいることに気づいた。彼は、コリンに金の時計を見せ、落としたんじゃないかと思って追ってきた、と言う。それを見て、コリンは答える。
とても綺麗だけどあたしのじゃない、とても華奢だけどあたしのじゃない、と。


その言葉を聞いた時、何の脈絡もなく、それは、リチャードがくれたハイヒール、でもあるかも[exclamation&question]と思った。
そして、モリスに会った辺りから、コリンの話は、事実ではないのかもしれない、という気がする。本当は、車にも乗らなかったのかもしれないし、ドライブしたとしても、道が尽きたあたりでUターンしたかもしれない。どう考えても、こんな場所にモリスが現れるのは、ホラーだ。

さらに、コリンとモリスは、石でできたベンチのようなところに行くのだが、その場所の描写が、レベッカが薬に浮かされて饒舌に語っていたあの場所についての話をなぞっている。
モリスを嫌っているコリンが二人で散歩を続けるとは思えないし、レベッカの発言をなぞるのも、普通では考えられない。いや、レベッカが研究している場所っぽい、と知っただけでも、近づきたくはないだろう。
つまり、コリンは、レベッカのことを忘れているのだ、とわかる。レベッカが記憶からポーンと消えたから、金の時計とか、冷たい石の感触だとかが、記憶の中に残されて、居場所を求めているのだろう。それを論理的でないと言うことは簡単だけど、論理を求めることは、彼女の心をバラバラにすることになってしまうかも…。


だから、最後のモリスとの会話は、コリンの心の叫びだ。
「これから先の人生、ずっと愛を装って生きることになったら?」
「 君ならきっと、君たちならきっと、一点のシミもなく完璧に愛を装うことができる」


怖いんですけど。


というわけでコリン役、大空ゆうひ。
大胆さと繊細さが同居している女性に見えて、実は正常と異常の狭間をさまよっている女性なのかもしれない。
潔癖というか、妻であり母でありながら、性的なアプローチを悉くブロックするキャラを、かつて色気のある男役で鳴らしたゆうひさんが演じるというのが、面白くて。
ゆうひさんが、演じているせいか、「死と乙女」との共通点も多く感じた。
自分が「何者でもなく一人で生きていけない」から、社会的な地位のある夫の妻として生きている。でも、心の底では夫を信用していない。特に女性関係。だから、夫婦の会話は、すれ違うまくる…みたいな。
そういうミステリーが似合うな…と思う。
また、今回は、三方客席の小さなステージで、より密度の濃い芝居を見せてくれた。
膨大な台詞と、噛み合わない会話。芝居を観た~という満足でいっぱいの一週間弱でした。


ところで、「あなたご自慢のユーモアのセンス」ってなんなんでしょうね。リチャードにユーモアがあるとは思えなかったけど。


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「カントリー」の裏側(2) [┣大空ゆうひ]

ゆうひさんご出演の「カントリー」、その台詞の向こう側の世界をもう少し考えてみたい。(1)はこちらです。


第5部は、2ヶ月後の朝、ということもあって、1~4部とはすっかり様相が変わっている。
ここまで出てこなかった情報がたくさん盛り込まれている前半。夫の事件によって少々心を病んでいる風ではあるが、美しい妻として登場していたコリンの意外なキャラクターがここで明らかになっていく。


その前に、第4部のレベッカの「物語」について、少し復習しておこうと思う。
レベッカは、夫婦の子どもたちの顔を見たい、と言った。そして、子どもたちがもし目を覚ましたら、おとぎ話を聞かせてあげるから大丈夫だと言う。
それは、男として、父としてのリチャードを震え上がらせる。
どうしても、あなたの子どもが見たいとか懇願する愛人って、それだけで怖いですよね。リチャードも、子どもに何かされたら…って思ったのだろう、本能的に震える。 (自分が彼女に何をしたか、ということは、すっかり忘れて…)[爆弾]
そして、そこでレベッカが語り出す「おとぎ話」が、またまたリチャードを震え上がらせる。
二人の出会いは、レベッカがまだ少女だった頃らしい。ということは、アメリカ人と言いつつ、レベッカはイギリスで学生生活を送っていた人なのかな。家族もイギリスに住んでいるのかもしれない。
彼女は、最初、「病気だからお薬がほしい」と言って、リチャードの診察室を訪れ、その時は、にべもなく追い返されたらしい。
なぜ、レベッカはリチャードの診察室を訪れたのか。
彼女の友人の間で、あの医者なら簡単に鎮痛剤を出すよ、という評判でもあったのだろうか。
で、リチャードが最初に断ったのは、レベッカがまだ若くて、彼の欲望の対象外だったから…かしら。あるいは、一度様子を見たのかもしれない。一見さんお断り的な。
足繁く通い、自分がどんなに薬がほしいかを訴えるレベッカに対して、彼は、部屋に鍵をかけ、最終的に服を脱ぐように要求した。
こうして、薬と体、という交換条件が成立し、二人の関係は始まったらしい。
最初は、互いの求めるものを交換するだけの関係だったはずが、やがてリチャードとレベッカは、抜き差しならない関係になっていく。
リチャードは、レベッカの体を「地図を開くように開き」、レベッカは、どんなに「お薬」を服用しても、「もっともっとほしくなった」
やがてレベッカは、きっぱりとすべてを断ち切る決意をする。
別れの口実は、おそらく、研究。イギリスの田舎にある古代ローマの遺跡の研究に没頭したいとかなんとか言い出して、遠距離からの自然消滅を狙ったのだろう。
それに対して、リチャードは、なんと、その遺跡の近くに引っ越すという離れ業を展開する。妻を説得して。
なぜって、彼はもう後戻りできない状態にあったから。
「法律をやぶっていた」というふうにレベッカは言っていた。
彼が処方する鎮痛剤は、もはや、常識の範囲を超える量になっていたのか。あるいは、アルバイト感覚で鎮痛剤を売っていたのが、レベッカとのプレイを楽しむために、自ら鎮痛剤を服用するようになっていたのか。
まあ、レベッカが原因かどうかはわからないが、リチャード自身、鎮痛剤を自らに注射していたのは、間違いない。第1部でコリンが注射針を見つけた時の動揺と口走った言葉から、それは感じられた。
とはいえ、リチャードも、レベッカも、正常な会話をしていて、(鎮痛剤の依存症は、他の薬物依存症のように、ろれつが回らなくなったりするわけではない、みたいな経験談をネットで見つけた。)むしろ、この件で傷ついたコリンの方がよっぽど精神的にやばいな、と思った。
とはいえ、オピオイド系鎮痛剤は、ヘロインが主成分なので、危険な薬物であることは、間違いない。


そんな修羅場も終わり、その一夜から2ヶ月経ったコリンの誕生日の朝。
第1部~第4部は、セットを変えずに暗転で時間の経過を表していたが、第5部の前にリチャードが一人でセットを転換していく。
第1部~の舞台は、色々なものが床に直置きだった。第5部では、それが少し立体的になる。電話が電話台の上に乗っているだけで、だいぶ雰囲気が変わるし、プランターなども置かれて、幸福な朝の景色が演出される。
特に演出の妙だと思ったのは、暗幕カーテンを開いて、プロジェクターに外の景色を映し出したことだろう。
これまで、時間経過がよくわからない舞台を多々見てきて、背景が黒だとどうしても昼というイメージが持ちにくいのが原因だと常々思っていたので。


かいがいしくリチャードが朝食の準備を終えた頃、コリンがパジャマ姿で、髪もボサボサな感じで、ボーッと登場する。そして、リチャードがセッティングしたテーブルについて、そこへリチャードが朝食を運んでくる。
コリンは素直に賞賛の言葉を述べる。 「こんなにやってくれて」と。 その言葉に、リチャードが勝手に反応する。
「“やってくれて”って、セックスのことかと思った」と。ということは、この二人、ゆうべは夫婦生活があったのね、おそらく[キスマーク]
コリンは、リチャードの言葉に鼻白んで、「相手を大切にする」ことを言ったのだ、と主張する。
昨晩は、もしかしたら、コリンが寝坊する程度には熱い夜だったのかもしれないが、朝が来ると、コリンは、いつものコリンに戻っている。決して、リチャードの情熱には呼応しないし、思い出そうともしない。
熱い夜を過ごした翌朝、男が陽の光の中で、それを思い出させるようなことを言う場面は、映画や演劇によく出てくるが、女の反応は様々。[1]それに呼応して、朝から臨戦態勢になる、[2]恥ずかしそうに、あなた、素敵だったわ、などと言って、幸せをアピールする、[3]やだ、朝から何言ってんのよ、と照れる…など。でも、コリンは、全面否定する。真顔で。
でも、決して、リチャードが嫌いというわけではない。
わりと、ご機嫌で、リチャードに対して、「綺麗でいてね」というセリフも出てくる。これ、Cleanということだろうか。薬に二度と触れないという… 。それは、第1部で、リチャードが「綺麗じゃない(からキスできない)」と言ったのに呼応するセリフ。あの時、リチャードはたしかに薬にまみれていたのだろう。
そして、リチャードはコリンに水を渡し、味がするか、尋ねる。 第1部で、コリンは、水の味が変だと言って、何の味もしないという夫と軽く言い争っていた。この会話で、夫婦間の波風のようなものが最初に伝わってきたのだが、この第5部では、コリンは、「水がどうかした?」と言い出すのだ。 引っ越してから2ヶ月が経ち、水にも慣れて当然ではあるのだが、問題なのは、コリンが2ヶ月前に水の味に違和感を持ったことを「覚えていない」ことだろう。
第4部の後で、リチャードが相当苦労して夫婦の関係を修復したということは、想像に難くないが、応じるコリンは、納得することではなく、忘れることで、対応したのかもしれない。 そして、本当に“忘れる”ことを実行したコリンが、怖いと思った。
一方で、これまで、一方的にリチャードに起因するものと考えられていた、コリンのエキセントリックな性格が、もしかしたら、彼女が生来持っていたものかもしれない、という疑惑もわいてきた。


ところで、第1部から気になっていたのだが、コリン、水をあまり飲まないよね。しかも、拒否してるところがある。
第1部では、途中からリチャードに飲ませるし、第5部では、おかわりはいらない、としつこいくらい強調している。
でも、ジュースは飲んでいる。生来の水嫌いなのだろうか。


閑話休題、リチャードが秘密の行動をしている間、コリンは、届いたバースデーカードを読んでいる。
そして、その場にいないリチャードに向かって、衝撃的な告白をする。
誕生日にカードをもらう、最高に幸せなその瞬間に、「この中の誰かが、自分に遺産を残して死んでくれていたら…と考えていた」と言い出したのだ。特にそれが両親だったらいいのに…と。誕生日に「両親に死んでほしい」と言い出す娘。でもまあ、飛行機が落ちてひとおもいに死んでくれれば…と言うのは、痛い思い、つらい思いをさせたくない…ということだから、憎んでいるほどではなさそう。
リチャードはそれをたしなめるが、「私の両親なんだから、言わせて」とコリンは放言する。
その時、「君の両親は遺産なんか持っていない。苦痛の記憶しかもたらさない」たしかにリチャードはそう言っていた。
もしかして、コリンもまた、複雑な少女期を送っていたのだろうか。レベッカとは、まったく違うタイプながら。
両親から送られる、子犬の絵柄のバースデーカードにすら嫌悪感を抱くというのは、相当やばい。
両親に押し付けられたがんじがらめな少女時代を嫌悪しているのだろうか。そして、いまだに、自分の娘が子供だと信じている両親を嫌悪している[exclamation&question]
だから、どんなに結婚生活が厳しくなろうとも、彼女は、そこに帰れない。帰れないから、ここにいるしかない。そういうことか。
これは、靴をプレゼントされた時の複雑な反応と、「プレゼントをもらうのに慣れない」というセリフにも繋がると思う。
(幼い頃に両親へプレゼントをあげたのに、喜ぶ前に注意されたり、あまり喜んでくれなかったり…ということがあると、プレゼントをあげたり、もらったりする時の素直な「嬉しさの表現」ができなくなってしまうから。)


戻ってきたリチャードは、コリンのバースデーカードを写真立ての前に並べ始める。
(この写真立てにコリンたち一家の写真が飾られていて、家族構成(一男一女)もわかるようになっている。)
嬉々としてそんなことをしているリチャードを見て、コリンは、「やめてよ、なんだか、年を取った気分」 と言って拗ねる。
それに対して、リチャードは、「君は年を取っていないし美しい」と絶賛してるけど、若さは年々失われるものだから、そういう外見的なことより、内面的なものを褒めた方がいいんじゃないか、という気がする。いつか、その手は使えなくなるよね[exclamation&question]
ここで、モリスは、コリンにプレゼントを渡す。さっき、こそこそ準備していたものだ。プレゼントは、黒い華奢なハイヒールだった。たぶん、7センチくらいのヒール。 履いてみて、と言われて、コリンは裸足にパジャマのまま、ハイヒールを履く。
「あなた、私のサイズ、知ってたの?」 と驚くコリンに、「サイズは知らない。君の靴を持っていった」と答えるリチャード。 「どう?」 と聞くリチャードに、コリンは、「よく、わからないわ。歩いてみないと。」と言いながらも、履き心地はいいと言う。そのまま部屋を少し歩くコリン。
たぶん、彼女は、この靴を気に入ったのだと思う。彼女なりに、と私は思った。
でも、リチャードには伝わらない。気に入らないんだろう、と思って、「一緒に靴屋に行って交換してこよう」とか言っている。
結婚して何年も経った夫婦なのに、リチャードはコリンを全然知らないんだなーと、なんとなく思う。
それは、リチャードの自分勝手な性格もさることながら、コリンも積極的に自分の気持ちを伝えてこなかったのだろう。そういうのが苦手なのは、両親の前で良い子だったから…なんだろうな。
リチャードとコリンの論争が噛み合っていなくて、居心地悪いのは、この二人が、自分達の「気持ち」を素直に表明していないから、かもしれない。


長くなるから、(3)に続けることにするが、最後に、部屋の模様替えのことは書いておこう。 
リチャードは突然、部屋の模様替えを提案する。いい感じだった、夫婦の朝に、再び論戦の雲行きが…。
「子供部屋を通らないとバスルームに行けないのは、論理的じゃない」とリチャードは言い出す。それは、レベッカに指摘されて、彼自身がもっともだと思ったから、だろう。
別にレベッカとよりを戻したいのではなく、正しい発言だと納得したから。
しかし、コリンは、リチャードの言葉に違和感を抱く。それはリチャード発の言葉ではない、と彼女は気づいたのだ。彼女のカンは、おそろしいほどに正しい。リチャードは、常に言い繕わなければならない。
その中で、コリンの言った言葉、
なぜ、論理的じゃなきゃいけないの[exclamation&question]
それは、物語の最後のテーマに繋がる、カギのセリフ。最後の扉を(3)で開いていきたい。


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