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「円生と志ん生」戯曲紹介 [┣大空ゆうひ]

「円生と志ん生」の戯曲を劇場で購入しました。ネットでも買えるみたいですね。






さっそく読んでみました。
「こまつ座」での上演を前提に書かれている作品だけに、実際に舞台で違っているところがあると、演出の妙に、なるほど、と思うことが多かった。
その辺については、舞台感想の中でも触れていきたい。


ゆうひさんのセリフで、膝を打ったところ。この戯曲を読んで、再び胸に刻んだ。


『ひどい世の中に向かって、妙に勇ましいことをいう者や、妙にりっぱな理想を掲げる者は、たいてい偽者です』


選挙演説などで、そんな場面、出遭ったりしませんか[exclamation&question]


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こまつ座「円生と志ん生」初日! [┣大空ゆうひ]

9月8日より24日まで、紀伊國屋サザンシアターにて「円生と志ん生」上演しています。


ゆうひさんは、大連に住む(?)5人の女性を演じます。元芸者で現地妻とか、娼婦の置屋のおかあさんとか、女学校の教頭先生とか、子ども連れで逃げる途中に亡くなった難民の女性とか、シスター(院長先生)とか。どれも可愛くて素敵な女性です。
「カントリー」のような、怖いドラマのあとに、温かい舞台で普通の女性を演じる…という妙も嬉しいし、なにより、演出の鵜山さんとの出会いが嬉しい今回の舞台です。


円生花2.jpg


竹中さんのお花も嬉しい。

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「逢いたくて…」 [┣大空ゆうひ]

「逢いたくて…」


作・演出:樫田正剛
原案:稲垣麻由美(「戦地で生きる支えとなった115通の手紙」扶桑社刊)


方南ぐみプロデュースの朗読公演。
7月にも上演されていて、3ヶ月連続公演と書かれていたので、9月にも上演されるのだろう。
この日の出演は、竹中直人・大空ゆうひ・猪野広樹の3名。
猪野さんが、文句の多い兵隊・石橋、ゆうひさんが手紙の出し主・しづゑ、それ以外の役、そしてナレーションを竹中さんが担当する。それ以外の役、と書いたが、石橋の相棒となる年若い兵隊・澤田と、しづゑの夫である山田部隊長という大きな役を両方演じる。このポジションを担当する俳優次第で、全体の雰囲気が変わるんだろうな…。


終戦の年、補充人員として南方に送られた30歳の石橋と22歳の澤田。
二人の日々を追いながらも、時々、挿入される、妻から夫へ宛てたと見られる手紙文。独身の男二人の物語と、その手紙は当初まったく交わらない。が、ある時、マラリアにかかった石橋が、自分の夢に出てくる女の話をする。
その夢の女と、手紙が交錯する。
二人は、切り込み隊に任じられ、米軍キャンプの襲撃に成功するが、そのまま戻ったら、再び切り込み隊に任命されるだけだと、脱走を決意する。もし見つかったら、道に迷ったことにしようと。
そこで澤田もマラリアにかかる。しかし、澤田の夢には女は出てこなかった。
そう話すと、石橋は、実は、夢に出てきた女じゃない、部隊長の手紙を失敬したのだと石橋は打ち明ける。
手紙は、二人の上官、山田部隊長の妻からの手紙だったのだ。
二人は道に迷いながら放浪し、やがて、元の舞台の兵たちにも遭遇するが、既にみな負傷しているか病気になっている。
やがて、戦争が終わったことがわかるが、日本へ帰れる船にまで辿りつけたのは、石橋一人だった。
そこで石橋は、山田部隊長に再会し、手紙を拾ったと言って返す。読んだのか?と聞かれて、読んでいません、と答えた石橋だったが、「しづゑ、可愛かっただろう?」と聞かれ、「生きる支えでした」と答えてしまう―


この朗読劇のポイントは、極限下にあっては、人は何かを支えにしなければ、とても生きられない。その「何か」は、けっこう意外なものだったりする、みたいなことかな?と思った。
山田部隊長にとって、この手紙が生きる支えだったのは当然として、しづゑを知らない石橋と澤田が、この手紙に癒され、生きて祖国に帰るんだ、と絶望的な日々を生き抜く、そこにこの手紙と、それを書いたしづゑの無辜の愛の気高さがあるんだろうな、と思う。
というわけで、ゆうひさんの演じたしづゑさん、本当に可愛かったです[揺れるハート]
というか、菩薩の頬笑みを浮かべて朗読している姿が神々しかったです[ぴかぴか(新しい)]
菩薩~というのは、弥勒菩薩のようなアルカイックスマイルだったので、そう思ったのですが、菩薩って、性がないんですよね。ほんもののしづゑさんは、生身の女性なんだけど、検閲もある手紙だし、少しかしこまっている部分もあって、生身の女が少し隠れている。本音なんだけど、少しよそ行き。そこに、会ったこともない石橋たちは、ものすごく聖性を感じたんだろうな、と思う。ほんものを知っているだんなさん(部隊長)は、たまらん…[ダッシュ(走り出すさま)]と思ったでしょうが。
で、ゆうひさんは、しづゑさん本人じゃなくて、「手紙のなかのしづゑさん」を演じていたんだなーと思った。だから、とっても菩薩で、聖性があって、生身な感じがしない。出産しても、子育てしてても、どこか、聖少女のような不思議な雰囲気があって。それは、きっと、手紙だから。
手紙の中のしづゑさんは、だから、男の理想像でもあるんだけど、もし、それをリアルに演じていたら、それはそれで、女性からしたら「イヤな女」。男性の前で、いい面だけを見せているから。でも、ゆうひさんは、手紙の中にだけ生きる幻の女だった。
それでいて、山田部隊長にだけは、とっておきの愛妻なんだろうなぁ~と思える、絶妙なところに落としてきたのが、神だったなーと思った。
先月のコリンがあれだっただけに、すごい振り幅だなーと[ぴかぴか(新しい)]
石橋役の猪野さん。初めて観た役者さんだったけど、石橋のキャラクターをがっちり掴んでいて、戦時中なのに人間味あふれるそのキャラクターにすっかり感情移入させられました。あと、声がいいよね。私はすごい好きです。2.5次元の舞台によく出演されているようですが、チケットが取りにくいので、また、3.0にも出てください♪
そして竹中さん。さすがに、澤田&山田部隊長&ナレーションだったので、噛み噛みのところはありましたが、素敵な朗読でした。竹中さんも声、好き。

最後に、脚本・演出について。
手紙という媒体を使うことで、ある種ファンタジーを作り出す手法はとても面白かったし、大空ゆうひにも似合っていたので、よい機会を与えてくれてうれしかった。
途中、いくつか、言葉の使い方がおかしい個所があったが、読み間違いでなかったら、修正された方がいいかと思う。ナレーションの動詞の使い方がいくつか不明瞭だったのと、手紙文内の「申された」が気になった。
また、映像、音響をある程度使用していくのであれば、ナレーションを使わずに台詞だけで進めて行く方法もあるような気がする。ナレーションが台詞の「 」の中以外全部語って、その上、澤田と部隊長を演じるのでは、さすがに働かせすぎ。
「ラヴ・レターズ」に始まり、さまざまな朗読劇を見てきたが、まだまだ試行錯誤していると感じる作品が多い。そんな朗読劇も再演され続けているが、ご贔屓が出るから、以外の目的で観ようと思うのは、まだまだ「ラヴ・レターズ」だけだ。
日本発の朗読劇として、ブラッシュアップしながら続けてくれれば…と願っている。


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「L'Age d'Or de la Chanson」大空ゆうひ [┣大空ゆうひ]

「L'Age d'Or de la Chanson」


企画・構成・演出:高橋まさひと
音楽:三枝伸太郎、佐伯準一、成清翠
制作:角田泰彦、Olivier Huet
舞台監督:増山義雄
音響・照明:Silver Hearts
運営:る・ひまわり
後援:在日フランス大使館、アンスティチュフランセ・日本、日本シャンソン協会、岩谷時子音楽文化振興財団
協力:日本コロムビア、ビクターエンタテインメント、テイチクエンタテインメント、ユニバーサルミュージック、ヤマハホール
コーディネート:プレザンス


ピアノ:三枝伸太郎
アコーディオン:吉岡里紗
チェロ:島津由美
ベース:河本悠自
パーカッション:相川瞳


バンドネオン(ゲスト):小川紀美代


ヤマハホールで開催された「L’Age d’Or de la Chanson」大空ゆうひさんの舞台を観て来ました。
この連作コンサート、元宝塚のスターをメインに、その他、様々なアーティストも出演する多彩なコンサートで、ゆうひさんのようにピンで開催する場合もあれば、複数のメンバーが登場する場合もあるようです。とはいえ、まあ、あんまりシリーズについては、よくわからない状態で参加してます。
平日の15:00、18:00という上演時間にもかかわらず、満員の会場。
ゆうひさんのファンだけでなく、大空ゆうひのシャンソンを聴いてやろうという方もいらしたようで、なぜか私が緊張(笑)


で、時間になり、バンドのメンバーが入場。 上手からチェロ、ドラム、アコーディオン、ウッドベース、ピアノの5人編成。
アコーディオンを見て、私は凍った。というのは、バンドネオンの小川紀美代さんがゲストだということをあらかじめ知っていたので、バンドネオンの出る舞台にアコーディオンがいては具合が悪いんではないか…と思って。
編成を考えられたのは、音楽監督なのかな[exclamation&question]
バンドネオン参加がどの時点で決まったかわからないけど、(これはゆうひさんの要望だと思う)ちょっと気になった。


ゆうひさんのナレーション(音声)からスタート。なぜ、日本人はシャンソンに惹かれるのか、みたいな内容。甘えたような、鼻にかかった声が可愛い[かわいい]
たしかに、日本人は、シャンソンが好きなのかもしれない。
私は、シャンソンにだけ特化して惹かれているわけではないけど、やはり、宝塚好きには、耳馴染みのある曲が多いから、構えないで聴くことはできるかも、と思った。


そして、お馴染みの「愛の讃歌」イントロに乗って、ゆうひさんが登場。
黒のボブ鬘、黒のざっくりした上衣にスリットの入った黒のパンツ。ヒールはかなり高め。アクセサリーは、透明×金のバングルと華奢なネックレス、そして左右非対称の垂れ下がるピアス。
「愛の讃歌」は、一番有名な岩谷時子さんの詞で、ドラマチックにしっとりと。
この曲からスタートしたのは、宝塚を退団した越路吹雪さんが、昭和28年にこのヤマハホールで初めてのシャンソンコンサートを開いた時の1曲めがこの曲だったから、だそうだ。粋な演出[exclamation×2]
「愛の讃歌」は、前回のライブ“Rhythmic Walk”の最後に歌った曲で、けっこうインパクトがあった。いきなり、そんなテンションMAXからスタートする潔さに感動しつつ、安定感ある、深い歌声に安堵。本人も、歌い込んだ曲だけに、リラックスしているように感じる。
前回のライブは、色々な音域にチャレンジしていたけど、やっぱり、一番この辺の音域が深くて厚い。
安心かつ熱い愛の歌にドキドキするオープニングだった。言葉のひとつひとつがエロくて刺さる[キスマーク]


MCで、この曲をオープニング曲に選んだ理由などを語りつつ、続いての曲は、「愛の幕切れ」
もう終わったんかい[がく~(落胆した顔)]という、セトリの妙であります。
ゆうひさん的には、越路吹雪さんの歌った歌をもう一曲、という体のようですが、変わり身早く、愛が終わったうらぶれ感が満載[あせあせ(飛び散る汗)]でした。
この歌は初めて聞いたが、「アントル・トワ・エ・モワ・セ・フィニ」という言葉がしっかりと聞きとれて、なんか、発音よいよね[黒ハート]と、思った。パンチの効いた歌唱が気持ちいい[ぴかぴか(新しい)]


続いて、おなじみの「枯葉」
これも、前回の“Rhythmic Walk”で歌った歌だが、“La Vie”の時も別歌詞で歌っていて、わりとゆうひさんの好きな歌なんじゃないと思っている。
「愛の讃歌」⇒「愛の幕切れ」⇒「枯葉」…どんな流れだよ…とは、思いつつ[わーい(嬉しい顔)]
「いつの日か、抱かれて、誓いし言葉よ」という歌詞が、ひとつひとつ流れずに引っ掛かる歌詞だな~と思って、そういうロジックに改めて聞き惚れる。(“Rhythmic Walk”の時と同じ歌詞です。)
なんか、情景が浮かんできて、ドキドキさせる[揺れるハート]


ここで、昨年の9月に行われたライブ、“MojiCa”の話に。
あれが大盛況だったから、今があるのよね、きっと。で、その時に発表したオリジナル曲2曲のうち、「いつかの歌のように」がシャンソン風ということで、ここで披露された。
いつも思うんだけど、カフェでいきなりこんな美人に話しかけられたら、何事かと思うよね(笑)
「居酒屋」の歌詞を変だと思ったことはないので、やっぱ、カフェっていうところが引っ掛かるのか…。でも、場所がフランスで、オープンカフェで、お酒も出していたら…「居酒屋」フランス版になるから、あまり気にならないのかな…と、思ってみました(笑)


ここで、そんな昨年の“MojiCa”で共演した、バンドネオンの小川紀美代さんが登場。
昼の部で、“2年前”と言い放った大空さん、そんな倍速で時間が流れてますか?(2年分くらい仕事してるのかも。ファンとしてはありがたいです。)


小川さんの伴奏でゆうひさんが歌ったのは、タンゴ「ポル・ウナ・カベサ(首の差で)」
これ、競馬用語だそうです。
この曲も、“MojiCa”で歌われた曲。ちょっとしたタイミングのズレで、素敵な恋人を失ってしまうという歌。日本語詞は、首の差じゃなくて、ほんの少し、頭ひとつ、になっていたけど。
途中からピアノ伴奏も加わり華やかな雰囲気。


さらに、“MojiCa”で歌われた「群衆」。“MojiCa”では、「群衆」⇒「いつかの歌のように」⇒「ポル・ウナ・カベサ」の順だった…はず。で、その時に、ゆうひさんは、一生かけてシャンソンを極めたらいいみたいなことを、私、書いてました。よしよし、夢が叶いつつあるぞ[黒ハート](むふ)
こちらは、ワルツ、とゆうひさんは紹介していた。
この曲は、バンドネオンだけでなく、他の楽器も使ったフルバンド演奏。ただ、アコーディオンだけは演奏に加わらないので、それが気になった。
でも、
ゆうひさんにすごく似合う曲
だと思う。歌詞は、“MojiCa”と同じで、この歌詞がすごく好きだったので、それも嬉しかった。「私は呪うのだ」という言葉の選び方に痺れる。


ここで、小川さんとのトークコーナー。なんか、二人のトーク、阿吽の呼吸でいいなぁ。徹底的にゆるいし。(ゆうひさんのMCがゆるいのは、もはや通常運転だけど。)
でも、バンドネオンのことになると、いくらでも言葉が出てくる小川さん。夜の部では、アコーディオンとの違いについても、積極的に話してくれた。アコーディオンに比べると、バンドネオンは原始的で、使用者に優しくない設計ということらしい。
あとは、小川さんはバンドネオンのボタンの配列、ゆうひさんは台詞以外のものが記憶できないらしく、将来が心配だとかいう話とか、バンドネオンが悪魔の楽器という話とか、演奏者が敷いている(小川さんは使用していない)綺麗な布は、バンドネオンの涙を受けるための布と言われているとか、そんなお話をしていた…かな。けっこう10分くらいは、ゆるトークしていたと思う。


そして、もう一曲、小川さんのソロで、ピアソラの「忘却(Oblivion)」
ピアソラの曲の中で、唯一、フランス語の詩がついていて、それをゆうひさんが日本語で朗読した。
観念的で不思議なところもある詩で、それがゆうひさんに似合う。歌詞なので歌うこともできたが、敢えて朗読にしたのもよかった。
小川さんがこのステージで、こんな形で披露してくれたことに感謝したい。曲終りで、ゆうひさんは退場。


そのまま、小川さんのソロで、「Libertango」へ。
もう、最高潮に盛り上がる[ぴかぴか(新しい)]
ほぼほぼシャンソンのコンサートであることを忘却(笑)してしまいそうな展開だったが、実は、シャンソンとタンゴ、似合うのよね。
アルゼンチンで生まれたタンゴは、ヨーロッパに渡り、コンチネンタルタンゴという形に変化し、シャンソンとも融和している。そういえば、ゆうひさんが踊ったこともある「小雨降る径」は、タンゴでよく演奏されるし。
ここで小川さんコーナーは終了。


雰囲気を変えてインスト「パリの空の下」
ここでメインのメロディーを担当するのが、ずっとお休み状態だったアコーディオン。 小川さんの説明にも出てきたが、アコーディオンは鍵盤とボタンで演奏するので、一人でメロディーと伴奏ができる。しかし、バンド編成となると、こういうふうにメインのメロディーを弾くか、歌の背後で合いの手みたいな“ぴろぴろ”という音を出すしか居場所がない。けっこう難しい楽器だなと思った。
(主役じゃなかったら、特出しか似合わないというか…)
でも、やっぱり「パリの空の下」の主旋律は、アコーディオンがよいですね[るんるん]


続いて、ゆうひさん、今度は真っ白な衣装で登場。髪も、オールバック+付け毛を首の後ろで一本に結んだヘアスタイル。現役時代最後の方でよくやっていた、オールバックなんだけど、センター付近を盛るみたいな髪形…懐かしいな。たしか、退団後、今の事務所に所属した時の宣材写真がそのスタイルで、女優としてちゃんとオファーが来るんだろうか…と不安になったのを思い出す。


最初の曲は、「Mademoiselle chante le blues(ブルースを唄う女)」
ジャズじゃん!みたいなシャンソン。ゆうひさんが歌うなら、比較的新しい、こういうテイストの曲も当然入って然るべきな気がする。シャンソンのコンサートのつもりだっけど、結果的にタンゴもブルースも聴けている感じが嬉しい。
気怠い雰囲気の歌は、ゆうひさんの真骨頂だし。
そして、この曲に登場するような、あらゆる種類の女性像を今後の俳優人生で魅せてほしいなと思ったことも付け加えておく。


そして、“MojiCa”ではギターを手に歌った、「リリー・マルレーン」へ。
この曲も好きだな~[るんるん]“MojiCa”では、ギター弾き語りでドキドキしたのもよい思い出。
今回のコンサートでは、初のシャンソン挑戦と言いつつも、過去に歌った経験のある曲を織り交ぜているので、ゆうひさんも余裕があり、聴いていて安心できた。
音域が、ゆうひさんの一番低い&深いところで構成されているのも、安心材料だった。


さて、ここからは、未体験ゾーンの曲が三曲続く。
まず、「行かないで」
ジャック・ブレルのヒット曲。
本来は、男性⇒女性への恋唄だが、今回は女性が主人公の歌詞になっている。
繰り返される「行かないで」の歌詞が、胸を打つ。切々とした歌声が切ない。


続いて、「あきれたあんた」
これ、好きだな~、この設定。
しっかりものの女とのんびり男。たぶん女は男の存在に癒されていたのに、いつのまにか彼の存在があたりまえになってしまい、そうすると、彼の働かないところとか、のんびりしてるところに耐えられなくなり、少しは働けとか言っちゃって、それで男が出て行く…と。でも、居なくなって初めてそこに陽だまりがあったなぁ~って気づく…みたいな。
しゃきしゃきした女性なんだろうけど、それが、のんびりした曲調で展開されるので、切ない雰囲気。
ゆうひさんが抱えている負のエロ・オーラが炸裂しないので物足りないという声も一部にあって、それもすごくわかるけど、まあ、たまには、私も休憩したいので、そういう意味では、この曲、お勧めです。


そして、「もしもあなたに逢えずにいたら」
私は何をしてたでしょうか?じゃないですよ。
深い愛の歌。この三曲は、今去ろうとしている恋人を追う歌⇒二度と会えない恋人をそっと思い出す歌⇒あなたに逢えてよかった…と、少しずつ温かい気持ちが戻ってくる感じで、希望に繋がったフィナーレで良かった[黒ハート]


ラスト3曲は、かなりしっかりとシャンソンで、とても聴きごたえがある感じ。
まさかのアンコール楽曲なし、という潔さもよかった。
それでも、何度も登場して可愛く手を振ってくれたゆうひさん、ありがとうございました。
また、コンサートかライブしてください[わーい(嬉しい顔)]


シャンソン2.jpg


<セットリスト>


1.愛の讃歌
2.愛の幕切れ★
3.枯葉
4.いつかの歌のように
5.首の差で
6.群衆
7.Oblivion(インスト+朗読)
8.Libertango(インスト)
9.パリの空の下(インスト)
10.ブルースを唄う女★
11.リリー・マルレーン
12.行かないで★
13.あきれたあんた★
14.もしもあなたに逢えずにいたら★
(★印初出)


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「カントリー」の裏側(3) [┣大空ゆうひ]

ゆうひさんご出演の「カントリー」、その台詞の向こう側の世界をもう少し考えてみたい。(2)はこちらです。


そんなこんなしているところへ、ソフィーから電話が入る。電話にはコリンが出て、あれこれと話し出す。子供たちは元気かと聞いたり、リチャードからプレゼントに靴を貰ったことを話したり。
すると、リチャードは、電話口で話すコリンのところにやってきて、後ろから抱き締め、髪にキスなどしてくる。電話口からソフィーに聞かせるようにかな…と思ったのは、私だけだろうか[exclamation&question]
コリンの方は、リチャードがふざけていることは理解し、嫌悪感を示してはいないものの、彼のハグやキスに1ミリの反応も見せないし、むしろ、うざっ!という空気を醸し出す。
ここでも、TPO関係なく欲情したり、性的なことを仄めかすリチャードに対して、朝や昼だったり、人前だったりでは、そういうことはおくびにも出さないコリンの対比が鮮やかだ。


英国は、世界でも性的な抑制度の高い国だったとか。(20世紀に読んだ本の情報なので、現代は少し違うのかもしれない。)
厳格な家庭に育ったであろうコリンは、両親の過干渉に腹を立てているようだけど、家庭における父親と母親の立ち位置、というか、子どもの前で、どれくらい、いちゃつけるかみたいな部分は、両親から受け継いだものが、わりとそのまま出る部分じゃないかと思う。
とはいえ、コリンの場合、それだけでもないようで。
というのは、昼間からベタベタするのはイヤ、とか、よくないと思う、という考えの持ち主であっても、実際に愛する人からハグされたり、キスされたりしたら、それに対しては素直に反応してしまうもので、その上で、ちょっと、今はヤメテ…みたいなスタンスになるハズ。
でもコリンって、なんか、昨夜、夫婦生活があったとしても、今朝はそのこと自体覚えていないというか、なんか、普通じゃない部分を感じる。
最初は、ゆうひさんのファンとして、お、ここでキスシーンとかあったりする[exclamation&question]みたいな緊張感で見ていたから、より、性的な部分の特異さに気づいたけど、そういえば、それだけじゃなくて、この人の忘却力、ちょっと力技的にすごいんじゃないか…[爆弾]と、この辺で、ようやく、異常事態に気づいた私。


とりあえず、先へ進みます。
リチャードは、コリンへのいたずらをやめ、コリンに対して、「お金に気づいたか」をソフィーに聞くように言う。どうやら、ソフィーのところにお金を置いてきたらしい。
リチャードは、ソフィーが喜んだだろうと思って聞くのだが、コリンは、ソフィーがビックリして怖くなったと聞き、彼女に同情し、リチャードのしたことを謝罪するような雰囲気に。そして、その流れで、そっと靴を脱ぐ。
そのお金は、ソフィーがリチャード夫婦の子供たちを預かってくれることに対しての、リチャードなりの礼金だったようだが、やや、金額が大きすぎたようだ。


電話を切った後、コリンはリチャードに、ソフィーが怖がっていた、と言う。
その一方で、ソフィーはリチャードが好きなはずだ、とも言う。あなたの話をすると、声が変わるもの、と。
それを聞いて、リチャードは、それを認めずに、彼女は俺たちを軽蔑しているとか言い出す。リチャードは、警戒しているのかもしれない。コリンがやがてソフィーと自分のことを疑い、嫉妬することを。
「あなたは自分を軽蔑している」
そういうリチャードの姿に、コリンはそんなことを言う。たしかに、リチャードはリチャードで、心の闇を抱えている。その闇が、自分に起因する(強すぎる性欲とか、医者なのに倫理観が薄いとか…)ものなのか、まともではない妻、コリンに起因するものなのか、たぶん両方なんだろうな。


だから、コリンとリチャードのすれ違いは続いていく。それは、第1部の「キスして」から始まっていた。
欧米では、朝起きて、出掛ける前に、帰ってきたら…と、ごく普通に交わされるキス。コリンにとって、それは、安心なのだろう。 でも
リチャードにとっては、そうじゃない。キスはどちらかというと「始まりの合図」、もしくは前戯。
コリンが「キスして」と言ったのは深夜だったから、そのままなだれ込んだとしても、コリンは了承したと思う。でも、リチャードは、それだからこそキスできなかった。同じ屋根の下に愛人のレベッカがいるのだから。


 一方のコリンは、バースデーカードを送ってきた両親への暴言、そして、年長者・モリスを嫌っていることから類推するに、家父長の強権的な家庭で育ち、たぶん、色々なことがあったのだろう。でも、基本的に、「起きたこと」そのものは、忘れている。そして、イヤなことがあるたびに、彼女は、忘れてきた、んじゃないだろうか。


微妙な雰囲気になりながらも、二人きりのバースデーを楽しむために、二人でどこかへ行こうという話になる。せっかくだから、石垣の辺りに行ってみよう、と。コリンは、プレゼントのハイヒールを履いていくと言い出して、リチャードを慌てさせたり。そして、唐突に、昨夜、リチャードが子どもたちをソフィーのところに送っている間に、ドライブをしたと言い出すのだ。
コリンは車に乗った。車をバックで発進させた時、車のミラーに自分の顔が写った。それは「共犯者の顔」だった、とコリンは言う。どんな顔だったのか、と聞かれても再現できないコリン。
でも、それって、何の共犯者だったのだろうか。
走っているうちに、コリンは、色々考える。
古い道が嫌い。まっすぐの道が嫌い。道路に支配されるのが嫌い。私の旅はまだ始まったばかり。
そして道が尽きたところで、コリンは車を置いて歩きはじめる。あの裏道を見つけてしまったからは、そこに向かうしかなかった、と。
そこで、コリンは、モリスが自分を呼んでいることに気づいた。彼は、コリンに金の時計を見せ、落としたんじゃないかと思って追ってきた、と言う。それを見て、コリンは答える。
とても綺麗だけどあたしのじゃない、とても華奢だけどあたしのじゃない、と。


その言葉を聞いた時、何の脈絡もなく、それは、リチャードがくれたハイヒール、でもあるかも[exclamation&question]と思った。
そして、モリスに会った辺りから、コリンの話は、事実ではないのかもしれない、という気がする。本当は、車にも乗らなかったのかもしれないし、ドライブしたとしても、道が尽きたあたりでUターンしたかもしれない。どう考えても、こんな場所にモリスが現れるのは、ホラーだ。

さらに、コリンとモリスは、石でできたベンチのようなところに行くのだが、その場所の描写が、レベッカが薬に浮かされて饒舌に語っていたあの場所についての話をなぞっている。
モリスを嫌っているコリンが二人で散歩を続けるとは思えないし、レベッカの発言をなぞるのも、普通では考えられない。いや、レベッカが研究している場所っぽい、と知っただけでも、近づきたくはないだろう。
つまり、コリンは、レベッカのことを忘れているのだ、とわかる。レベッカが記憶からポーンと消えたから、金の時計とか、冷たい石の感触だとかが、記憶の中に残されて、居場所を求めているのだろう。それを論理的でないと言うことは簡単だけど、論理を求めることは、彼女の心をバラバラにすることになってしまうかも…。


だから、最後のモリスとの会話は、コリンの心の叫びだ。
「これから先の人生、ずっと愛を装って生きることになったら?」
「 君ならきっと、君たちならきっと、一点のシミもなく完璧に愛を装うことができる」


怖いんですけど。


というわけでコリン役、大空ゆうひ。
大胆さと繊細さが同居している女性に見えて、実は正常と異常の狭間をさまよっている女性なのかもしれない。
潔癖というか、妻であり母でありながら、性的なアプローチを悉くブロックするキャラを、かつて色気のある男役で鳴らしたゆうひさんが演じるというのが、面白くて。
ゆうひさんが、演じているせいか、「死と乙女」との共通点も多く感じた。
自分が「何者でもなく一人で生きていけない」から、社会的な地位のある夫の妻として生きている。でも、心の底では夫を信用していない。特に女性関係。だから、夫婦の会話は、すれ違うまくる…みたいな。
そういうミステリーが似合うな…と思う。
また、今回は、三方客席の小さなステージで、より密度の濃い芝居を見せてくれた。
膨大な台詞と、噛み合わない会話。芝居を観た~という満足でいっぱいの一週間弱でした。


ところで、「あなたご自慢のユーモアのセンス」ってなんなんでしょうね。リチャードにユーモアがあるとは思えなかったけど。


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「カントリー」の裏側(2) [┣大空ゆうひ]

ゆうひさんご出演の「カントリー」、その台詞の向こう側の世界をもう少し考えてみたい。(1)はこちらです。


第5部は、2ヶ月後の朝、ということもあって、1~4部とはすっかり様相が変わっている。
ここまで出てこなかった情報がたくさん盛り込まれている前半。夫の事件によって少々心を病んでいる風ではあるが、美しい妻として登場していたコリンの意外なキャラクターがここで明らかになっていく。


その前に、第4部のレベッカの「物語」について、少し復習しておこうと思う。
レベッカは、夫婦の子どもたちの顔を見たい、と言った。そして、子どもたちがもし目を覚ましたら、おとぎ話を聞かせてあげるから大丈夫だと言う。
それは、男として、父としてのリチャードを震え上がらせる。
どうしても、あなたの子どもが見たいとか懇願する愛人って、それだけで怖いですよね。リチャードも、子どもに何かされたら…って思ったのだろう、本能的に震える。 (自分が彼女に何をしたか、ということは、すっかり忘れて…)[爆弾]
そして、そこでレベッカが語り出す「おとぎ話」が、またまたリチャードを震え上がらせる。
二人の出会いは、レベッカがまだ少女だった頃らしい。ということは、アメリカ人と言いつつ、レベッカはイギリスで学生生活を送っていた人なのかな。家族もイギリスに住んでいるのかもしれない。
彼女は、最初、「病気だからお薬がほしい」と言って、リチャードの診察室を訪れ、その時は、にべもなく追い返されたらしい。
なぜ、レベッカはリチャードの診察室を訪れたのか。
彼女の友人の間で、あの医者なら簡単に鎮痛剤を出すよ、という評判でもあったのだろうか。
で、リチャードが最初に断ったのは、レベッカがまだ若くて、彼の欲望の対象外だったから…かしら。あるいは、一度様子を見たのかもしれない。一見さんお断り的な。
足繁く通い、自分がどんなに薬がほしいかを訴えるレベッカに対して、彼は、部屋に鍵をかけ、最終的に服を脱ぐように要求した。
こうして、薬と体、という交換条件が成立し、二人の関係は始まったらしい。
最初は、互いの求めるものを交換するだけの関係だったはずが、やがてリチャードとレベッカは、抜き差しならない関係になっていく。
リチャードは、レベッカの体を「地図を開くように開き」、レベッカは、どんなに「お薬」を服用しても、「もっともっとほしくなった」
やがてレベッカは、きっぱりとすべてを断ち切る決意をする。
別れの口実は、おそらく、研究。イギリスの田舎にある古代ローマの遺跡の研究に没頭したいとかなんとか言い出して、遠距離からの自然消滅を狙ったのだろう。
それに対して、リチャードは、なんと、その遺跡の近くに引っ越すという離れ業を展開する。妻を説得して。
なぜって、彼はもう後戻りできない状態にあったから。
「法律をやぶっていた」というふうにレベッカは言っていた。
彼が処方する鎮痛剤は、もはや、常識の範囲を超える量になっていたのか。あるいは、アルバイト感覚で鎮痛剤を売っていたのが、レベッカとのプレイを楽しむために、自ら鎮痛剤を服用するようになっていたのか。
まあ、レベッカが原因かどうかはわからないが、リチャード自身、鎮痛剤を自らに注射していたのは、間違いない。第1部でコリンが注射針を見つけた時の動揺と口走った言葉から、それは感じられた。
とはいえ、リチャードも、レベッカも、正常な会話をしていて、(鎮痛剤の依存症は、他の薬物依存症のように、ろれつが回らなくなったりするわけではない、みたいな経験談をネットで見つけた。)むしろ、この件で傷ついたコリンの方がよっぽど精神的にやばいな、と思った。
とはいえ、オピオイド系鎮痛剤は、ヘロインが主成分なので、危険な薬物であることは、間違いない。


そんな修羅場も終わり、その一夜から2ヶ月経ったコリンの誕生日の朝。
第1部~第4部は、セットを変えずに暗転で時間の経過を表していたが、第5部の前にリチャードが一人でセットを転換していく。
第1部~の舞台は、色々なものが床に直置きだった。第5部では、それが少し立体的になる。電話が電話台の上に乗っているだけで、だいぶ雰囲気が変わるし、プランターなども置かれて、幸福な朝の景色が演出される。
特に演出の妙だと思ったのは、暗幕カーテンを開いて、プロジェクターに外の景色を映し出したことだろう。
これまで、時間経過がよくわからない舞台を多々見てきて、背景が黒だとどうしても昼というイメージが持ちにくいのが原因だと常々思っていたので。


かいがいしくリチャードが朝食の準備を終えた頃、コリンがパジャマ姿で、髪もボサボサな感じで、ボーッと登場する。そして、リチャードがセッティングしたテーブルについて、そこへリチャードが朝食を運んでくる。
コリンは素直に賞賛の言葉を述べる。 「こんなにやってくれて」と。 その言葉に、リチャードが勝手に反応する。
「“やってくれて”って、セックスのことかと思った」と。ということは、この二人、ゆうべは夫婦生活があったのね、おそらく[キスマーク]
コリンは、リチャードの言葉に鼻白んで、「相手を大切にする」ことを言ったのだ、と主張する。
昨晩は、もしかしたら、コリンが寝坊する程度には熱い夜だったのかもしれないが、朝が来ると、コリンは、いつものコリンに戻っている。決して、リチャードの情熱には呼応しないし、思い出そうともしない。
熱い夜を過ごした翌朝、男が陽の光の中で、それを思い出させるようなことを言う場面は、映画や演劇によく出てくるが、女の反応は様々。[1]それに呼応して、朝から臨戦態勢になる、[2]恥ずかしそうに、あなた、素敵だったわ、などと言って、幸せをアピールする、[3]やだ、朝から何言ってんのよ、と照れる…など。でも、コリンは、全面否定する。真顔で。
でも、決して、リチャードが嫌いというわけではない。
わりと、ご機嫌で、リチャードに対して、「綺麗でいてね」というセリフも出てくる。これ、Cleanということだろうか。薬に二度と触れないという… 。それは、第1部で、リチャードが「綺麗じゃない(からキスできない)」と言ったのに呼応するセリフ。あの時、リチャードはたしかに薬にまみれていたのだろう。
そして、リチャードはコリンに水を渡し、味がするか、尋ねる。 第1部で、コリンは、水の味が変だと言って、何の味もしないという夫と軽く言い争っていた。この会話で、夫婦間の波風のようなものが最初に伝わってきたのだが、この第5部では、コリンは、「水がどうかした?」と言い出すのだ。 引っ越してから2ヶ月が経ち、水にも慣れて当然ではあるのだが、問題なのは、コリンが2ヶ月前に水の味に違和感を持ったことを「覚えていない」ことだろう。
第4部の後で、リチャードが相当苦労して夫婦の関係を修復したということは、想像に難くないが、応じるコリンは、納得することではなく、忘れることで、対応したのかもしれない。 そして、本当に“忘れる”ことを実行したコリンが、怖いと思った。
一方で、これまで、一方的にリチャードに起因するものと考えられていた、コリンのエキセントリックな性格が、もしかしたら、彼女が生来持っていたものかもしれない、という疑惑もわいてきた。


ところで、第1部から気になっていたのだが、コリン、水をあまり飲まないよね。しかも、拒否してるところがある。
第1部では、途中からリチャードに飲ませるし、第5部では、おかわりはいらない、としつこいくらい強調している。
でも、ジュースは飲んでいる。生来の水嫌いなのだろうか。


閑話休題、リチャードが秘密の行動をしている間、コリンは、届いたバースデーカードを読んでいる。
そして、その場にいないリチャードに向かって、衝撃的な告白をする。
誕生日にカードをもらう、最高に幸せなその瞬間に、「この中の誰かが、自分に遺産を残して死んでくれていたら…と考えていた」と言い出したのだ。特にそれが両親だったらいいのに…と。誕生日に「両親に死んでほしい」と言い出す娘。でもまあ、飛行機が落ちてひとおもいに死んでくれれば…と言うのは、痛い思い、つらい思いをさせたくない…ということだから、憎んでいるほどではなさそう。
リチャードはそれをたしなめるが、「私の両親なんだから、言わせて」とコリンは放言する。
その時、「君の両親は遺産なんか持っていない。苦痛の記憶しかもたらさない」たしかにリチャードはそう言っていた。
もしかして、コリンもまた、複雑な少女期を送っていたのだろうか。レベッカとは、まったく違うタイプながら。
両親から送られる、子犬の絵柄のバースデーカードにすら嫌悪感を抱くというのは、相当やばい。
両親に押し付けられたがんじがらめな少女時代を嫌悪しているのだろうか。そして、いまだに、自分の娘が子供だと信じている両親を嫌悪している[exclamation&question]
だから、どんなに結婚生活が厳しくなろうとも、彼女は、そこに帰れない。帰れないから、ここにいるしかない。そういうことか。
これは、靴をプレゼントされた時の複雑な反応と、「プレゼントをもらうのに慣れない」というセリフにも繋がると思う。
(幼い頃に両親へプレゼントをあげたのに、喜ぶ前に注意されたり、あまり喜んでくれなかったり…ということがあると、プレゼントをあげたり、もらったりする時の素直な「嬉しさの表現」ができなくなってしまうから。)


戻ってきたリチャードは、コリンのバースデーカードを写真立ての前に並べ始める。
(この写真立てにコリンたち一家の写真が飾られていて、家族構成(一男一女)もわかるようになっている。)
嬉々としてそんなことをしているリチャードを見て、コリンは、「やめてよ、なんだか、年を取った気分」 と言って拗ねる。
それに対して、リチャードは、「君は年を取っていないし美しい」と絶賛してるけど、若さは年々失われるものだから、そういう外見的なことより、内面的なものを褒めた方がいいんじゃないか、という気がする。いつか、その手は使えなくなるよね[exclamation&question]
ここで、モリスは、コリンにプレゼントを渡す。さっき、こそこそ準備していたものだ。プレゼントは、黒い華奢なハイヒールだった。たぶん、7センチくらいのヒール。 履いてみて、と言われて、コリンは裸足にパジャマのまま、ハイヒールを履く。
「あなた、私のサイズ、知ってたの?」 と驚くコリンに、「サイズは知らない。君の靴を持っていった」と答えるリチャード。 「どう?」 と聞くリチャードに、コリンは、「よく、わからないわ。歩いてみないと。」と言いながらも、履き心地はいいと言う。そのまま部屋を少し歩くコリン。
たぶん、彼女は、この靴を気に入ったのだと思う。彼女なりに、と私は思った。
でも、リチャードには伝わらない。気に入らないんだろう、と思って、「一緒に靴屋に行って交換してこよう」とか言っている。
結婚して何年も経った夫婦なのに、リチャードはコリンを全然知らないんだなーと、なんとなく思う。
それは、リチャードの自分勝手な性格もさることながら、コリンも積極的に自分の気持ちを伝えてこなかったのだろう。そういうのが苦手なのは、両親の前で良い子だったから…なんだろうな。
リチャードとコリンの論争が噛み合っていなくて、居心地悪いのは、この二人が、自分達の「気持ち」を素直に表明していないから、かもしれない。


長くなるから、(3)に続けることにするが、最後に、部屋の模様替えのことは書いておこう。 
リチャードは突然、部屋の模様替えを提案する。いい感じだった、夫婦の朝に、再び論戦の雲行きが…。
「子供部屋を通らないとバスルームに行けないのは、論理的じゃない」とリチャードは言い出す。それは、レベッカに指摘されて、彼自身がもっともだと思ったから、だろう。
別にレベッカとよりを戻したいのではなく、正しい発言だと納得したから。
しかし、コリンは、リチャードの言葉に違和感を抱く。それはリチャード発の言葉ではない、と彼女は気づいたのだ。彼女のカンは、おそろしいほどに正しい。リチャードは、常に言い繕わなければならない。
その中で、コリンの言った言葉、
なぜ、論理的じゃなきゃいけないの[exclamation&question]
それは、物語の最後のテーマに繋がる、カギのセリフ。最後の扉を(3)で開いていきたい。


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「カントリー」の裏側(1) [┣大空ゆうひ]

ゆうひさんの出演した舞台「カントリー」のメイン感想はこちらです。


さて、今回の公演、セリフのオウム返しが多くて、その中で、話し手と返し手で意味が変わってくる、ズレてくる、というところが、特に印象的で、面白い舞台だな~と思っている。そんな中、ふと気になったリアクションなどを深掘りしてみた結果の共有をしてみたいと思います。

では、まず、第1部。
芝居の最初から、コリン(大空ゆうひ)はイライラしている。暗い劇場の中、「ぼんやりとした灯りがついたら、真顔で大空ゆうひがハサミを持っている[爆弾]」と、初日からビビった友人がおりました[あせあせ(飛び散る汗)]
(どうやら、この芝居、R席(舞台の上手側)から見ると、ゆうひさんの怖い姿がたくさん拝め、L席(舞台の下手側)から見ると、ゆうひさんの可愛い姿がたくさん拝めるようでした。幸い、私は、すべてのコーナーからゆうひさんを見ることができて、よかったなぁ~と思ってます。)
「道端で倒れていた女性を拾った」とかなんとか言って、リチャード(伊達暁)は、薬物接種中に倒れたレベッカ(南沢奈央)を家に運び込んだらしい。彼女をベッドに運んだ後、とりあえずの処置を終えた体のリチャードは、一心不乱に紙を切っているコリンに声をかける。
そして、灯りを点けたり、水を持ってきたりするものの、灯りは十分で、水は変な味がする、と言われてしまう。
苛立ちながらも、コリンは、少しずつ、現実に思考を戻し、彼女が生きているか、彼女をどうにかする何かを処方したのか、などと聞く。
この「彼女をどうにかするなにか」という言葉、普通なら、彼女を助ける、という意味だと思うが、リチャードは、それと対立する用語として「助ける」という単語を選ぶ。これ、第4幕のリチャードのセリフ「置き去りにすればよかった」に繋がる気がする。医師でありながら、そして、レベッカと深い繋がりを持ちながら、保身のために「彼女をどうにかする」ことを考えたんじゃないか。
そう、「彼女をどうにかするなにか」と聞いて、とっさにリチャードが思ったのは、彼女を亡きものにするなにか、ということだったのではないか…と思った。

次にコリンは、彼女のバッグがそこになかったか、ということを考える。
見知らぬ女性を拾ったというのが本当なら、当然、その女が何者か気になるし、目が覚めた時に荷物がなかったら彼女自身も困るだろう。
しかし、本当はバッグも持ってきているが、コリンに見られてはまずいと思って車に隠してきたリチャードは一瞬とぼける。
だから、コリンは、リチャードの態度に違和感を持って、言葉を重ねる。
バッグよ、バッグとか、パース、とにかくそういうもの…と。
すると、今度は、リチャードが、「パース、普通、そういう言い方はしない」と反応する。
パース。Purse、財布。
イギリスでは、普通、特に男性は、パースなんて言わないそうだ。男性用の財布は、ウォレット(Wallet)限定。
アメリカでは、もう少し意味が広がって、女性がよく用いる、少し大きめの財布状でハンカチや口紅くらいは入れられるもののこともパースと呼ぶ。





こんなやつですね。
ここはイギリスなので、普通は使わないと言うリチャードの言葉は、合っている。コリンも普通使わない言葉ということには同意している。バッグで反応が薄かったから、もっと小ぶりなものか、という意識で、なんとなく口に出たのだろう。
でも、そこ、そんなに引っかかるとこ[exclamation&question]と思う。どうだっていいだろう、バッグだろうが、パースだろうが。
しかし、ここでまた、びっくりな事実が。
アメリカのスラングでは、女性器のことをパースと言うのだそうだ。これは、パースの動詞と関係があるのかもしれない。パースは通常、名詞だが他動詞でもあって、巾着のようにすぼめるとかそういう意味なんだとか。…かなり下品なスラングだな[爆弾]
そして、ここで慌ててしまったリチャードは、アメリカ人のレベッカ相手に、この言葉を連発していたに違いない[爆弾]と、このスラングを知った時、私は確信した。

彼女の身を案じながら、コリンが「彼女を愛している人がいるはすでしょ」と言うセリフにも引っ掛かるリチャード。
もちろん、コリンは、恋人だけでなく家族とか、友人とか、彼女を気に掛けている人が、誰かはいるはずだ、という一般論を言っているのだけれど。
ここまで来ると、嘘がつけないひとなのかも[exclamation&question]とさえ思ってしまう。

さて、コリンは、今日の午後、モリスに会った話をする。
モリスは、コリンを見てヴァージル(古代ローマの詩人、ウェルギリウスのこと)の詩を思い出したと言ったらしい。蜂の出てくる詩。
おそらく、彼の代表作のひとつ、「農耕詩」に出てくる死滅したミツバチを再生したアリスタエウスのエピソードだと思われる。
度重なる川の氾濫によって、ミツバチが死滅してしまった時、アリスタエウスは、雄の牛の死骸からミツバチを再生したという。コリンをアリスタエウスになぞらえるとすれば、彼女は何の死骸から何を再生するのだろうか。
この謎は、まだ解けていない。


そして、ついにコリンはリチャードに聞く。
彼女は、ハサミを使いながら、ずっと考えていたのだ。モリスの意味の分からない詩のことは前置きで、本当にずっと考えていたのは、
「彼女が男なら、それでも、彼女を助けた[exclamation&question]ということ。
これ、「死と乙女」の冒頭(あれも、噛み合わない夫婦の会話からスタートした。)を思い出した。
その時は、深夜の路上で、車がパンクして困っていた夫を助けて送ってくれた人がいた、という設定だったが、妻は、その話を聞いて、「綺麗な人だった?セクシー?」と聞いたのだ。実際は男性だったのに。
夫が偶然出会った、と言う相手の性別に拘る妻は、夫に裏切られた過去を持っている…のかもしれない。

さらにコリンは、唐突に「キスして」と言う。が、リチャードの返事は「キスしたくない」。
いや、これ、変でしょ。それ、おかしいでしょ[むかっ(怒り)]いや、してたら、ファンは大騒ぎになったかもしれないけど、そういう問題じゃない。
「キスしたくない」なんてセリフが出てくる芝居…コリン、リチャードから拒否られました[exclamation×2](かなりの衝撃)
言い訳として「(自分が)きれいじゃない」と彼は言う。このセリフも第5部でリフレインされ、そうきたか、と思った。
なので、拒否られた…ではなく、「キスして」「キスしたくない」にはもっと深い意味を感じたい、と思う。
そして、自らを「きれいじゃない」と言ったリチャードは、シャワーを浴びることになるのだが…

シャワーを浴びてなお「キスしたくない」とおっしゃいましたよ。この人[爆弾]
「子どもたちが起きてしまう」
「起きないわ」というコリンに賛成だが、それは、もう少し考えたい。

そして、リチャードがシャワーを浴びている間、眠っているレベッカの腕から外した金の腕時計を飽かず眺めているコリン。これも怖い。
その時計を無理やり奪い取ろうとするリチャード。
キスすれば簡単に奪い取れるのに、それは、しない。
時計を持ったまま、コリンはリチャードに聞く。
「あの人の腕を見た?じゃあ、足は?あの人の身体を見た?」すべて、リチャードは否定する。彼は医者で、レベッカは昏睡している。見ていないというのは、とても変なことなのだが、彼は否定する。
その否定は、彼自身のやましさからなのか、肯定すると、事実がバレなくても面倒なことになるのか…

ここでモリスからの電話。
妻から問い詰められている最中に、自分の業務不履行による事故を電話の相手から責められ、さらに妻は、自分が隠していたバッグを彼の前に持ってくる。もう、大ピンチ[ひらめき]の場面。
バッグを見つけたコリンは、電話中のリチャードを構わずに責め立てる。(ここも怖い[爆弾]
一方、電話の向こうでもモリスがリチャードを責めているらしい。
右の耳と左の耳から違う非難を浴びせられたリチャードが全身をねじ曲がらせて、電話のコードを巻きつけてしまうのが、笑わせる。
さて、何故、リチャードが、バッグの存在をコリンに見せなかったかは、一目瞭然。レベッカのバッグの中は注射針で溢れていたからだ。もちろん、それは後ろめたさのなせるわざだが、ここで隠したことが、コリンの疑惑を強めることになる。だって、最初からコリンはレベッカが薬の摂取によって昏睡したことがわかっていたから。それを偶然拾ったのか、接種の現場にいたのか、そこがコリンにとって重要なのだ。
隠したことで、彼女の摂取に責任があることがハッキリしたわけで、本当にこれはまずい。
ここで、一家が突然田舎暮らしを始めた本当の理由が明らかになる。医師でありながら、自ら鎮痛剤を服用し(おそらく)、それを不必要な患者にも与えていたのだ。
ケシを原料とする鎮痛剤は、麻薬と同じ効果があり、マイケル・ジャクソンやプリンスの死因も鎮痛剤の過剰摂取と言われている。)
そして相手が若い女なら、その見返りは…[爆弾][爆弾][爆弾]

しかし…「説明して、はいっ」って言って仁王立ちするゆうひさん、怖かったな[がく~(落胆した顔)]
饒舌なリチャードは、電話相手のモリスのことも巧みにごまかそうとしている。彼に、自分に有利な証言をさせようと、うそをつく必要はないと言いつつ、でもやっぱりそうさせようとしている。
主観的な事実、と言う言葉を、つい最近知ったが、まさに彼はそれを相手にも押し付ける。
でも、饒舌なリチャードの不意の一言を、コリンはちゃんと拾う。
「裏道」
彼は裏道を走っていた。なぜ。そんな必要はないのに。それこそが、偶然、レベッカを拾ったんじゃない証拠。

そんなこんなで言い争う二人。再び電話。モリスから往診の依頼。
不安を感じるコリンを置いて、リチャードは出て行く。

リチャードの不在中に目を覚ましたレベッカ。
二人の女が顔を合わせたら、そりゃ、すべてが白日のもとにさらされる。真夜中だけど。
ここで目を覚ましたばかり、多少混乱しているレベッカが語った言葉も、第5部でコリンによって繰り返される。
水が飲みたいと言うレベッカに対して、行き先を教えないコリンも怖い。
ま、レベッカも負けてないけど。
水の位置は、舞台を下手側に下りて直進、角を曲がった、いわゆるゼロ番の位置にある。が、設定としては、舞台下手の奥なんだろうと思う。そういう体で各人、演技をしていた。

「夜中に起きてきてすぐほしがるなんて」というレベッカのセリフは、イミシン[キスマーク]だが、コリンはスルーする。
身体に悪いものをどうしてほしがるんだろう…というところで、レベッカがタバコの煙をふーっと吐き出してから、「セックス」と言ったのが、とても色っぽかった。
そもそも、レベッカとコリンは真逆のキャラっぽい。
コリンが毛嫌いするモリスに興味津々なレベッカ。ラテン語を話すから、らしいが。
それで、彼女が勉強をしている、と聞いて、即座にラテン語の勉強、と思うコリン。もちろんラテン語は手段であって目的ではない。なので、そんなコリンをばかにしたような口調になるレベッカ。
そして、誰だって歴史に興味があるでしょ?と聞くレベッカに、「歴史には興味ない」と答えるコリン。
「私たちは歴史に興味はない、私たちは生きるためにここに来たの。」と必死になるコリン。突然の「私たち」登場。IじゃなくてWeになったらしい。
レベッカは、「歴史に興味がないって、無知ってこと?」と揶揄するが、そうじゃない。コリンは、過去(歴史)から逃げてきたのだ。コリンは、じゃなくて、リチャードとコリンは。(コリンの中では[爆弾]


そして、第4部。戻ってきたリチャードと残ったレベッカの会話で、「コリンが夜中に起きると部屋の中を早足で歩きまわる」ということが語られる。
これ、第5部に繋がるコリンのキャラクターの重要な一部な気がする。
さて、リチャードの思惑としては、ここは、寝ている(と彼は信じている)コリンに気づかれないように、レベッカを帰し、なにごともなかった体で、二重生活を続けて行きたい、という肚だったと思う。レベッカの離反については、今日のおしおきが功を奏して、解決したと思っていて。
私をメイドにする[exclamation&question]みたいなセリフのところで思ったのは、「反対語」を語るのが好きなんだな、レベッカは、ということ。
でも、リチャードみたいな男の嘘を見破るには、上手い手かもしれない。
反対語を言わせることで、明確になるというのは、あるから。やっぱり頭のよい子なのね、コリンの目利き通り。
さて、シャワーを浴びたいと言い張るレベッカに、リチャードは困っている。
シャワーの音がすることにまで、謝りながら、どうにかそれを思いとどまらせようとする。なぜなら、シャワーを浴びる、つまり浴室に行くには、子ども部屋を通過する必要があるから。
そのことを言うにもリチャードは、とても、勇気を振り絞っている。
なんだ、この、勇気は?
レベッカにそれを言うことで、彼女の気持ちが萎えるとでも思っているのか。それとも、「妻とは形だけの夫婦で、もう何年もそういうことはない」とか言っちゃってる人[exclamation&question]2歳に満たない娘を見せられたら、レベッカが逆上すると思ってるとか[exclamation&question]
まあ、こういう時、男性は、とてもデリケートになるものなのかもしれない。
レベッカは、ここで、浴室に行くためには、子供部屋を通るという設計はおかしいと言い出す。たしかに…[わーい(嬉しい顔)]でも、すぐには変えられない。
レベッカは、リチャードと恋人手繋ぎをしながら、彼の往診の話を聞く。どうやら、急な出産の立会だったらしい。
田舎の医者はなんでもできないとつとまらないのね。
そうしながら、小さなハサミで彼の掌をえぐる。そうして、その血を吸う。これは、第1部で、コリンが自分の指をハサミで切って、自分で血を吸ったのと対になっているのかな。
掌を吸ったために、顔に血のついたレベッカを見て、明らかにその気になったリチャード。
迫るリチャード、でも、レベッカは、直前で身を翻す。
レベッカに対するリチャードの欲望は、ところかまわず…らしい。てか、コリンの「キスして」に応えなかったのは、子どもたちじゃなくてレベッカがそこにいるから…だよね[exclamation&question][爆弾]
強くて頭が良くて論理的なレベッカの揺らぎが見えるシーンだ。
レベッカの強暴な行為と、その後、欲望を躱されたこともあって、リチャードの怒りは、沸点に近くなる。そして、助けなければよかった、と言い出すのだ。
言いながら、まだ、コリンの寝ている方を気にしているリチャードに、レベッカは、とうとう、「あの人は、謝りたいって言ったのよ」と、コリンに会ったことを告げるのだ。
「騙してたのね、彼女、美しかったわ」と。
この時、レベッカが、「電気消す」みたいなことを言いかけて、さらに絶望していたのも、気になる。
それって、リチャードがコリンのことを、「彼女は美しくもないし、若くもない。だから、彼女とは電気を消して、夫婦生活をしていた」みたいなことを言っていたという意味かな。
でもコリンは美しかった[ぴかぴか(新しい)]
なら、電気を消す理由は別にある。おそらくは、コリンがそれを希望するのだろう。
つまり、コリンは、セックスに一切のプレイを望まない。電気を消して、服を脱がないで、みたいな。
自分は美しいコリンに美しいまま妻でいてもらうための、道具にすぎないんだ、彼がコリンの前で、紳士のようにふるまうために、彼の欲望のはけ口になっているんだ、そんなふうにレベッカは思ったんじゃないだろうか。

第5部は、これまで積みあがってきた物語のイメージが一変するので、ここで切ります。


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「カントリー」観劇 [┣大空ゆうひ]

ゴーチ・ブラザーズ プロデュース
「カントリー」


作:マーティン・クリンプ
翻訳:高田曜子
演出:マーク・ローゼンブラッド


美術:長田佳代子
照明:浜崎亮
音響:加藤温
映像:松澤延拓
衣裳:ゴウダアツコ
ヘアメイク:西川直子
通訳:時田曜子
演出助手:平戸麻衣
舞台監督:足立充章


7月12日~17日という短い期間に東京のみで上演された舞台「カントリー」、イギリス演劇らしい観れば観るほどモヤモヤしてくる作品に、すっかり脳内を支配された一週間でした。
今回は、ちょっと書き方を変えて、物語を簡潔に記載して、出演者感想を書き、その後、別記事にて、ぐだぐだあれこれ蘊蓄含めて書いてみようかな…と思います。どうぞ、最後までお付き合いくださいませ。

イギリスの田舎。ローマ帝国時代の遺跡(石壁)があるような場所に、穀物倉庫を改装した家がある。住んでいるのは、医師のリチャードと、その妻コリンとその子どもたち(推定で男子5歳、女子2歳足らず。ただし舞台に登場はしない)。
リチャードは、かつて都会(特定はされていない)で、医者をしていたが、そこで明るみにはされなかったものの、大きな違法行為をしており、逃げるようにこの田舎にやってきた。田舎では、前からこの土地で医師をしているモリスと連携して村の人々の医療に携わっているらしい。
とはいえ、まだ、この地に来て日は浅い。
ある晩、リチャードは、一人の若い女を家に連れてきた。彼女は昏睡していた。

その日の深夜から芝居は始まる。
第1部がMIDNIGHTと書かれていたので、12時頃、第2部がその数分後、第3部が午前3時、第4部が午前4時20分…だったかな[exclamation&question]で、第5部がそれから2ヶ月後の朝となっている。
芝居の登場人物は3人。コリン(大空ゆうひ)とリチャード(伊達暁)とレベッカ(南沢奈央)。
レベッカというのは、リチャードが連れてきた昏睡状態の女の名前。けれど、三人が一同に会することはなく、どの場面も二人芝居になっているというのがこの作品の特徴。
舞台は、正方形。ただし、役者は舞台下のぐるりとした空間も演技スペースとして使う。三方に観客が座る。本当は四方に置きたかったのかもしれないが、プロジェクターを使う関係上三方になっているのかな、と思った。
というのも、この舞台はプロレスのリング構造だからだ。(場外乱闘があるので、プロレス的には、リングの下も戦闘エリアである。)だから、なのか、時間の経過があるにもかかわらず、登場人物は、まるでタッチしたかのように、入れ替わりでステージに登場する。

第1部と第2部は、コリンとリチャードの場面。
リチャードが連れてきた女について、コリンが不審を表明する。リチャードが車に乗っていると、道に女が倒れていた。リチャードは彼女を家に連れ帰ってベッドに寝かせた。彼女は生きているのか、治療をしなくて大丈夫なのか、彼女のバッグはどこにあるのか、そもそも、若い女の子でなかったら、リチャードは彼女をここに連れてきただろうか…コリンの疑問は広がる。
リチャードがシャワーを浴びている間、コリンは、女の腕から腕時計を外し、それを眺めている。キスしてほしいと迫るコリンと拒絶するリチャードの間に緊張が走った時、モリスから電話が入る。今日、リチャードが訪問するはずだった家で老人が亡くなったという。一方、コリンは、リチャードの車から女のバッグを発見する。中には注射器が。ここでコリンのストレスは頂点に達し、一方、リチャードも次々に露見する事態に冷静ではいられなくなる。
再び電話。モリスの依頼で真夜中の往診に出掛けるリチャード。あの人が起きたら…と不安になるコリンを宥めて出発する。
第3部は、コリンとレベッカの場面。
レベッカが目覚め、居間にやってくる。まだ薬が残っているのか、木々の緑が…みたいなわけのわからないことをテンション高くしゃべっている。
レベッカは、水が飲みたいと言い、灰皿がほしいと言う。コリンは仕方なく水のありかを教え、灰皿になるようなものはない、と拒絶する。レベッカは腕時計がどこかを聞き、自分のバッグの中身がぶちまけられていることを不安に感じる。コリンは仁王立ちだ。
女二人の対決は、コリンに、リチャードのついた嘘を突きつける。レベッカは、リチャードの愛人であり、彼はレベッカを追ってこの“カントリー”への移住を決意したのだ。そして、さっきは、車の中でリチャードに殺されかけたと。
その事実は、たまたまゲームにようにリチャードの車に乗り込んだ若い女の子…というコリンの想像を裏切るもので、彼女の心を打ち砕くに十分なものだった。
第4部はレベッカとリチャードの場面。
レベッカは、往診から戻ったリチャードに、目が覚めたら一人だったと嘘をつく。
リチャードは穏便にレベッカをここから連れ出せば、すべて丸く収まるとまだ信じている。それを利用して、レベッカはリチャードをいたぶる。シャワーを浴びたいと訴えたり。リチャードが言いにくそうに、シャワーは子ども部屋を通らないといけない、と言うと、レイアウトが変だとまで言い出す。そして、子どもたちの寝顔が見たいとも言い出す。
子どもたちに向けて話すのだと言い張るおとぎ話は、彼女の告白だった。どんな風に彼女が薬物を処方してもらったか、そのために払った代償はなんだったのか。
そして、医師としてリチャードは既に法を犯していることが語られる。
ついに、リチャードの中の最悪な感情が吐露される。あのまま、置いて来ればよかった=死んでしまえばよかったのに、と。
そこで、レベッカは最後の一矢を放つ。あの人、子どもたちを連れて、出て行ったわ、と。
あんなに綺麗な人だったなんて、あなたの言葉は、すべて嘘だったのね、と。
第5部の前に、レベッカは去り、リチャードが次の場面の準備を一人で行う。
スタッフによる転換を行わず、リチャード一人が行うことにより、時間の経過、その間、リチャードが関係修復に奔走したのだろう…ということが観客にもわかる。
再び、コリンとリチャードの場面。
コリンの誕生日の朝。子どもたちは、ゆうべから、夫婦の友人であるソフィーの家に泊まっている。夫婦二人きりで過ごした翌朝。朝食はリチャードが用意している。コリンはパジャマのまま、髪も梳かさずに登場。その手には、バースデーカードが数枚。どうやら、リチャードがプロデュースしたコリンのバースデーという設定らしい。
最後の仕上げに、リチャードが背景の幕を開く。いっぱいに広がる田舎の景色。こんな風に夜と昼を明確に表現してくれる舞台は初めてだ。
二人の会話。ソフィーからの電話。そしてコリンが昨夜、一人になった時に出掛けたドライブの話。第1部から第4部に出てきた会話を繰り返すことによる効果は絶大で、色々と想像が広がる。
想像は広がるが、結末をポンと提示することのないエンディング。いつまでも余韻の続く舞台だった。

セリフの力の大きさ。セリフに語られないものを想像することの楽しさ、奥深さ。そして、十人十色の感想。
そのすべてが面白い[わーい(嬉しい顔)]
短い公演だし、キャパもそんなに大きくないから、普通なら、たくさんの観劇仲間の声を聞くことはできない。
でも、幸い、私はゆうひさんのファンだから、ファン仲間で色々話すことができた。
ゆうひさんが、出てくれたおかげで、こういうお芝居を楽しめて、幸せな初夏でした。

では、出演者感想。ゆうひさんのは、別途語ります。
リチャード役の伊達暁さん。
阿佐ヶ谷スパイダースの俳優さん。今回制作のゴーチ・ブラザーズという組織は、阿佐ヶ谷スパイダースのメンバーの所属事務所でもあり、企画集団でもあるので、まあそんな関係での出演かと思われる。
ってか、リチャードありきの企画か[ひらめき]というくらい、素晴らしかった。
ほわん、とした、観客に意味の解釈を丸投げしたようなセリフと、相手を説得しようとあらゆるテクニックを繰り出してパワフルに言いたてるセリフ差…お芝居を見ていて楽しいと思える時間。
セリフのない部分の芝居も、すべてが、リチャードを見事に表現していたと思います。
また、この人のお芝居が見たい、そう思える俳優さんに出会いました。

レベッカ役の南沢奈央さん。
前回、彼女の舞台を観たのは、「赤い城 黒い砂」(原作=「二人の貴公子」)。なんと、それが初舞台だったとか。主演だった中村獅童さんが闘病中、影の主役だった中嶋しゅうさんが亡くなられた今、再び、彼女を観る巡り合わせを感じる。あの時は、牢番の娘の役で、(宝塚版では蘭乃はなちゃんが抜擢された役ね)健気な娘役だったけど、大人になったのね…としみじみ[黒ハート]
まあ、コリン役の人は、その間に、トップになって、そして、性転換もしてるから、それだけに時間が流れたということで。
気丈だけど、たぶん一番の犠牲者。殺されちゃってないことを祈ります。
(そういう感想の人が多かった…[あせあせ(飛び散る汗)]
彼女が語る「おとぎ話」の痛々しさ、その迫力に毎回やられてました。また共演してほしいなぁ[ハートたち(複数ハート)]


気になっていろいろ調べているので、蘊蓄シリーズの方が長くなりそうです。そちらもお楽しみに。


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早すぎる千秋楽 [┣大空ゆうひ]

「カントリー」、終わってしまいました。

もっともっと、謎を解きたかった。もっともっと見つめていたかった。


こんな気持になれて幸せな公演でした。


カントリー7.jpg


千秋楽の出のイメージです。


さあ、次は、シャンソンですね。

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「カントリー」初日 [┣大空ゆうひ]

本日、7月12日から7月17日までの短い公演ですが、なかなかイギリス演劇らしい、面白い心理劇です。
ゆうひさんを敵に回したら恐ろしい…それに挑む二人の役者たちに乾杯[バー]

そして、もちろん、またまた新境地のゆうひさんにも、乾杯[ビール]

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