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「逢いたくて…」 [┣大空ゆうひ]

その「愛以外なにもない素直な手紙」が三人の男たちの生きる希望になった―

慈愛の微笑みを絶やさずに、ひたすら愛を訴えるゆうひさんが、めちゃくちゃ可愛い公演でした。


観られてよかったです。詳細は、また後日。

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「L'Age d'Or de la Chanson」 [┣大空ゆうひ]

「L'Age d'Or de la Chanson」


企画・構成・演出:高橋まさひと
音楽:三枝伸太郎、佐伯準一、成清翠
制作:角田泰彦、Olivier Huet
舞台監督:増山義雄
音響・照明:Silver Hearts
運営:る・ひまわり
後援:在日フランス大使館、アンスティチュフランセ・日本、日本シャンソン協会、岩谷時子音楽文化振興財団
協力:日本コロムビア、ビクターエンタテインメント、テイチクエンタテインメント、ユニバーサルミュージック、ヤマハホール
コーディネート:プレザンス


ピアノ:三枝伸太郎
アコーディオン:吉岡里紗
チェロ:島津由美
ベース:河本悠自
パーカッション:相川瞳


バンドネオン(ゲスト):小川紀美代


ヤマハホールで開催された「L’Age d’Or de la Chanson」大空ゆうひさんの舞台を観て来ました。
この連作コンサート、元宝塚のスターをメインに、その他、様々なアーティストも出演する多彩なコンサートで、ゆうひさんのようにピンで開催する場合もあれば、複数のメンバーが登場する場合もあるようです。とはいえ、まあ、あんまりシリーズについては、よくわからない状態で参加してます。
平日の15:00、18:00という上演時間にもかかわらず、満員の会場。
ゆうひさんのファンだけでなく、大空ゆうひのシャンソンを聴いてやろうという方もいらしたようで、なぜか私が緊張(笑)


で、時間になり、バンドのメンバーが入場。 上手からチェロ、ドラム、アコーディオン、ウッドベース、ピアノの5人編成。
アコーディオンを見て、私は凍った。というのは、バンドネオンの小川紀美代さんがゲストだということをあらかじめ知っていたので、バンドネオンの出る舞台にアコーディオンがいては具合が悪いんではないか…と思って。
編成を考えられたのは、音楽監督なのかな[exclamation&question]
バンドネオン参加がどの時点で決まったかわからないけど、(これはゆうひさんの要望だと思う)ちょっと気になった。


ゆうひさんのナレーション(音声)からスタート。なぜ、日本人はシャンソンに惹かれるのか、みたいな内容。甘えたような、鼻にかかった声が可愛い[かわいい]
たしかに、日本人は、シャンソンが好きなのかもしれない。
私は、シャンソンにだけ特化して惹かれているわけではないけど、やはり、宝塚好きには、耳馴染みのある曲が多いから、構えないで聴くことはできるかも、と思った。


そして、お馴染みの「愛の讃歌」イントロに乗って、ゆうひさんが登場。
黒のボブ鬘、黒のざっくりした上衣にスリットの入った黒のパンツ。ヒールはかなり高め。アクセサリーは、透明×金のバングルと華奢なネックレス、そして左右非対称の垂れ下がるピアス。
「愛の讃歌」は、一番有名な岩谷時子さんの詞で、ドラマチックにしっとりと。
この曲からスタートしたのは、宝塚を退団した越路吹雪さんが、昭和28年にこのヤマハホールで初めてのシャンソンコンサートを開いた時の1曲めがこの曲だったから、だそうだ。粋な演出[exclamation×2]
「愛の讃歌」は、前回のライブ“Rhythmic Walk”の最後に歌った曲で、けっこうインパクトがあった。いきなり、そんなテンションMAXからスタートする潔さに感動しつつ、安定感ある、深い歌声に安堵。本人も、歌い込んだ曲だけに、リラックスしているように感じる。
前回のライブは、色々な音域にチャレンジしていたけど、やっぱり、一番この辺の音域が深くて厚い。
安心かつ熱い愛の歌にドキドキするオープニングだった。言葉のひとつひとつがエロくて刺さる[キスマーク]


MCで、この曲をオープニング曲に選んだ理由などを語りつつ、続いての曲は、「愛の幕切れ」
もう終わったんかい[がく~(落胆した顔)]という、セトリの妙であります。
ゆうひさん的には、越路吹雪さんの歌った歌をもう一曲、という体のようですが、変わり身早く、愛が終わったうらぶれ感が満載[あせあせ(飛び散る汗)]でした。
この歌は初めて聞いたが、「アントル・トワ・エ・モワ・セ・フィニ」という言葉がしっかりと聞きとれて、なんか、発音よいよね[黒ハート]と、思った。パンチの効いた歌唱が気持ちいい[ぴかぴか(新しい)]


続いて、おなじみの「枯葉」
これも、前回の“Rhythmic Walk”で歌った歌だが、“La Vie”の時も別歌詞で歌っていて、わりとゆうひさんの好きな歌なんじゃないと思っている。
「愛の讃歌」⇒「愛の幕切れ」⇒「枯葉」…どんな流れだよ…とは、思いつつ[わーい(嬉しい顔)]
「いつの日か、抱かれて、誓いし言葉よ」という歌詞が、ひとつひとつ流れずに引っ掛かる歌詞だな~と思って、そういうロジックに改めて聞き惚れる。(“Rhythmic Walk”の時と同じ歌詞です。)
なんか、情景が浮かんできて、ドキドキさせる[揺れるハート]


ここで、昨年の9月に行われたライブ、“MojiCa”の話に。
あれが大盛況だったから、今があるのよね、きっと。で、その時に発表したオリジナル曲2曲のうち、「いつかの歌のように」がシャンソン風ということで、ここで披露された。
いつも思うんだけど、カフェでいきなりこんな美人に話しかけられたら、何事かと思うよね(笑)
「居酒屋」の歌詞を変だと思ったことはないので、やっぱ、カフェっていうところが引っ掛かるのか…。でも、場所がフランスで、オープンカフェで、お酒も出していたら…「居酒屋」フランス版になるから、あまり気にならないのかな…と、思ってみました(笑)


ここで、そんな昨年の“MojiCa”で共演した、バンドネオンの小川紀美代さんが登場。
昼の部で、“2年前”と言い放った大空さん、そんな倍速で時間が流れてますか?(2年分くらい仕事してるのかも。ファンとしてはありがたいです。)


小川さんの伴奏でゆうひさんが歌ったのは、タンゴ「ポル・ウナ・カベサ(首の差で)」
これ、競馬用語だそうです。
この曲も、“MojiCa”で歌われた曲。ちょっとしたタイミングのズレで、素敵な恋人を失ってしまうという歌。日本語詞は、首の差じゃなくて、ほんの少し、頭ひとつ、になっていたけど。
途中からピアノ伴奏も加わり華やかな雰囲気。


さらに、“MojiCa”で歌われた「群衆」。“MojiCa”では、「群衆」⇒「いつかの歌のように」⇒「ポル・ウナ・カベサ」の順だった…はず。で、その時に、ゆうひさんは、一生かけてシャンソンを極めたらいいみたいなことを、私、書いてました。よしよし、夢が叶いつつあるぞ[黒ハート](むふ)
こちらは、ワルツ、とゆうひさんは紹介していた。
この曲は、バンドネオンだけでなく、他の楽器も使ったフルバンド演奏。ただ、アコーディオンだけは演奏に加わらないので、それが気になった。
でも、
ゆうひさんにすごく似合う曲
だと思う。歌詞は、“MojiCa”と同じで、この歌詞がすごく好きだったので、それも嬉しかった。「私は呪うのだ」という言葉の選び方に痺れる。


ここで、小川さんとのトークコーナー。なんか、二人のトーク、阿吽の呼吸でいいなぁ。徹底的にゆるいし。(ゆうひさんのMCがゆるいのは、もはや通常運転だけど。)
でも、バンドネオンのことになると、いくらでも言葉が出てくる小川さん。夜の部では、アコーディオンとの違いについても、積極的に話してくれた。アコーディオンに比べると、バンドネオンは原始的で、使用者に優しくない設計ということらしい。
あとは、小川さんはバンドネオンのボタンの配列、ゆうひさんは台詞以外のものが記憶できないらしく、将来が心配だとかいう話とか、バンドネオンが悪魔の楽器という話とか、演奏者が敷いている(小川さんは使用していない)綺麗な布は、バンドネオンの涙を受けるための布と言われているとか、そんなお話をしていた…かな。けっこう10分くらいは、ゆるトークしていたと思う。


そして、もう一曲、小川さんのソロで、ピアソラの「忘却(Oblivion)」
ピアソラの曲の中で、唯一、フランス語の詩がついていて、それをゆうひさんが日本語で朗読した。
観念的で不思議なところもある詩で、それがゆうひさんに似合う。歌詞なので歌うこともできたが、敢えて朗読にしたのもよかった。
小川さんがこのステージで、こんな形で披露してくれたことに感謝したい。曲終りで、ゆうひさんは退場。


そのまま、小川さんのソロで、「Libertango」へ。
もう、最高潮に盛り上がる[ぴかぴか(新しい)]
ほぼほぼシャンソンのコンサートであることを忘却(笑)してしまいそうな展開だったが、実は、シャンソンとタンゴ、似合うのよね。
アルゼンチンで生まれたタンゴは、ヨーロッパに渡り、コンチネンタルタンゴという形に変化し、シャンソンとも融和している。そういえば、ゆうひさんが踊ったこともある「小雨降る径」は、タンゴでよく演奏されるし。
ここで小川さんコーナーは終了。


雰囲気を変えてインスト「パリの空の下」
ここでメインのメロディーを担当するのが、ずっとお休み状態だったアコーディオン。 小川さんの説明にも出てきたが、アコーディオンは鍵盤とボタンで演奏するので、一人でメロディーと伴奏ができる。しかし、バンド編成となると、こういうふうにメインのメロディーを弾くか、歌の背後で合いの手みたいな“ぴろぴろ”という音を出すしか居場所がない。けっこう難しい楽器だなと思った。
(主役じゃなかったら、特出しか似合わないというか…)
でも、やっぱり「パリの空の下」の主旋律は、アコーディオンがよいですね[るんるん]


続いて、ゆうひさん、今度は真っ白な衣装で登場。髪も、オールバック+付け毛を首の後ろで一本に結んだヘアスタイル。現役時代最後の方でよくやっていた、オールバックなんだけど、センター付近を盛るみたいな髪形…懐かしいな。たしか、退団後、今の事務所に所属した時の宣材写真がそのスタイルで、女優としてちゃんとオファーが来るんだろうか…と不安になったのを思い出す。


最初の曲は、「Mademoiselle chante le blues(ブルースを唄う女)」
ジャズじゃん!みたいなシャンソン。ゆうひさんが歌うなら、比較的新しい、こういうテイストの曲も当然入って然るべきな気がする。シャンソンのコンサートのつもりだっけど、結果的にタンゴもブルースも聴けている感じが嬉しい。
気怠い雰囲気の歌は、ゆうひさんの真骨頂だし。
そして、この曲に登場するような、あらゆる種類の女性像を今後の俳優人生で魅せてほしいなと思ったことも付け加えておく。


そして、“MojiCa”ではギターを手に歌った、「リリー・マルレーン」へ。
この曲も好きだな~[るんるん]“MojiCa”では、ギター弾き語りでドキドキしたのもよい思い出。
今回のコンサートでは、初のシャンソン挑戦と言いつつも、過去に歌った経験のある曲を織り交ぜているので、ゆうひさんも余裕があり、聴いていて安心できた。
音域が、ゆうひさんの一番低い&深いところで構成されているのも、安心材料だった。


さて、ここからは、未体験ゾーンの曲が三曲続く。
まず、「行かないで」
ジャック・ブレルのヒット曲。
本来は、男性⇒女性への恋唄だが、今回は女性が主人公の歌詞になっている。
繰り返される「行かないで」の歌詞が、胸を打つ。切々とした歌声が切ない。


続いて、「あきれたあんた」
これ、好きだな~、この設定。
しっかりものの女とのんびり男。たぶん女は男の存在に癒されていたのに、いつのまにか彼の存在があたりまえになってしまい、そうすると、彼の働かないところとか、のんびりしてるところに耐えられなくなり、少しは働けとか言っちゃって、それで男が出て行く…と。でも、居なくなって初めてそこに陽だまりがあったなぁ~って気づく…みたいな。
しゃきしゃきした女性なんだろうけど、それが、のんびりした曲調で展開されるので、切ない雰囲気。
ゆうひさんが抱えている負のエロ・オーラが炸裂しないので物足りないという声も一部にあって、それもすごくわかるけど、まあ、たまには、私も休憩したいので、そういう意味では、この曲、お勧めです。


そして、「もしもあなたに逢えずにいたら」
私は何をしてたでしょうか?じゃないですよ。
深い愛の歌。この三曲は、今去ろうとしている恋人を追う歌⇒二度と会えない恋人をそっと思い出す歌⇒あなたに逢えてよかった…と、少しずつ温かい気持ちが戻ってくる感じで、希望に繋がったフィナーレで良かった[黒ハート]


ラスト3曲は、かなりしっかりとシャンソンで、とても聴きごたえがある感じ。
まさかのアンコール楽曲なし、という潔さもよかった。
それでも、何度も登場して可愛く手を振ってくれたゆうひさん、ありがとうございました。
また、コンサートかライブしてください[わーい(嬉しい顔)]


シャンソン2.jpg


<セットリスト>


1.愛の讃歌
2.愛の幕切れ★
3.枯葉
4.いつかの歌のように
5.首の差で
6.群衆
7.Oblivion(インスト+朗読)
8.Libertango(インスト)
9.パリの空の下(インスト)
10.ブルースを唄う女★
11.リリー・マルレーン
12.行かないで★
13.あきれたあんた★
14.もしもあなたに逢えずにいたら★
(★印初出)


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「カントリー」の裏側(1) [┣大空ゆうひ]

ゆうひさんの出演した舞台「カントリー」のメイン感想はこちらです。


さて、今回の公演、セリフのオウム返しが多くて、その中で、話し手と返し手で意味が変わってくる、ズレてくる、というところが、特に印象的で、面白い舞台だな~と思っている。そんな中、ふと気になったリアクションなどを深掘りしてみた結果の共有をしてみたいと思います。

では、まず、第1部。
芝居の最初から、コリン(大空ゆうひ)はイライラしている。暗い劇場の中、「ぼんやりとした灯りがついたら、真顔で大空ゆうひがハサミを持っている[爆弾]」と、初日からビビった友人がおりました[あせあせ(飛び散る汗)]
(どうやら、この芝居、R席(舞台の上手側)から見ると、ゆうひさんの怖い姿がたくさん拝め、L席(舞台の下手側)から見ると、ゆうひさんの可愛い姿がたくさん拝めるようでした。幸い、私は、すべてのコーナーからゆうひさんを見ることができて、よかったなぁ~と思ってます。)
「道端で倒れていた女性を拾った」とかなんとか言って、リチャード(伊達暁)は、薬物接種中に倒れたレベッカ(南沢奈央)を家に運び込んだらしい。彼女をベッドに運んだ後、とりあえずの処置を終えた体のリチャードは、一心不乱に紙を切っているコリンに声をかける。
そして、灯りを点けたり、水を持ってきたりするものの、灯りは十分で、水は変な味がする、と言われてしまう。
苛立ちながらも、コリンは、少しずつ、現実に思考を戻し、彼女が生きているか、彼女をどうにかする何かを処方したのか、などと聞く。
この「彼女をどうにかするなにか」という言葉、普通なら、彼女を助ける、という意味だと思うが、リチャードは、それと対立する用語として「助ける」という単語を選ぶ。これ、第4幕のリチャードのセリフ「置き去りにすればよかった」に繋がる気がする。医師でありながら、そして、レベッカと深い繋がりを持ちながら、保身のために「彼女をどうにかする」ことを考えたんじゃないか。
そう、「彼女をどうにかするなにか」と聞いて、とっさにリチャードが思ったのは、彼女を亡きものにするなにか、ということだったのではないか…と思った。

次にコリンは、彼女のバッグがそこになかったか、ということを考える。
見知らぬ女性を拾ったというのが本当なら、当然、その女が何者か気になるし、目が覚めた時に荷物がなかったら彼女自身も困るだろう。
しかし、本当はバッグも持ってきているが、コリンに見られてはまずいと思って車に隠してきたリチャードは一瞬とぼける。
だから、コリンは、リチャードの態度に違和感を持って、言葉を重ねる。
バッグよ、バッグとか、パース、とにかくそういうもの…と。
すると、今度は、リチャードが、「パース、普通、そういう言い方はしない」と反応する。
パース。Purse、財布。
イギリスでは、普通、特に男性は、パースなんて言わないそうだ。男性用の財布は、ウォレット(Wallet)限定。
アメリカでは、もう少し意味が広がって、女性がよく用いる、少し大きめの財布状でハンカチ口紅くらいは入れられるもののこともパースと呼ぶ。





こんなやつですね。
ここはイギリスなので、普通は使わないと言うリチャードの言葉は、合っている。コリンも普通使わない言葉ということには同意している。バッグで反応が薄かったから、もっと小ぶりなものか、という意識で、なんとなく口に出たのだろう。
でも、そこ、そんなに引っかかるとこ[exclamation&question]と思う。どうだっていいだろう、バッグだろうが、パースだろうが。
しかし、ここでまた、びっくりな事実が。
アメリカのスラングでは、女性器のことをパースと言うのだそうだ。これは、パースの動詞と関係があるのかもしれない。パースは通常、名詞だが他動詞でもあって、巾着のようにすぼめるとかそういう意味なんだとか。…かなり下品なスラングだな[爆弾]
そして、ここで慌ててしまったリチャードは、アメリカ人のレベッカ相手に、この言葉を連発していたに違いない[爆弾]と、このスラングを知った時、私は確信した。

彼女の身を案じながら、コリンが「彼女を愛している人がいるはすでしょ」と言うセリフにも引っ掛かるリチャード。
もちろん、コリンは、恋人だけでなく家族とか、友人とか、彼女を気に掛けている人が、誰かはいるはずだ、という一般論を言っているのだけれど。
ここまで来ると、嘘がつけないひとなのかも[exclamation&question]とさえ思ってしまう。

さて、コリンは、今日の午後、モリスに会った話をする。
モリスは、コリンを見てヴァージル(古代ローマの詩人、ウェルギリウスのこと)の詩を思い出したと言ったらしい。蜂の出てくる詩。
おそらく、彼の代表作のひとつ、「農耕詩」に出てくる死滅したミツバチを再生したアリスタエウスのエピソードだと思われる。
度重なる川の氾濫によって、ミツバチが死滅してしまった時、アリスタエウスは、雄の牛の死骸からミツバチを再生したという。コリンをアリスタエウスになぞらえるとすれば、彼女は何の死骸から何を再生するのだろうか。
この謎は、まだ解けていない。


そして、ついにコリンはリチャードに聞く。
彼女は、ハサミを使いながら、ずっと考えていたのだ。モリスの意味の分からない詩のことは前置きで、本当にずっと考えていたのは、
「彼女が男なら、それでも、彼女を助けた[exclamation&question]ということ。
これ、「死と乙女」の冒頭(あれも、噛み合わない夫婦の会話からスタートした。)を思い出した。
その時は、深夜の路上で、車がパンクして困っていた夫を助けて送ってくれた人がいた、という設定だったが、妻は、その話を聞いて、「綺麗な人だった?セクシー?」と聞いたのだ。実際は男性だったのに。
夫が偶然出会った、と言う相手の性別に拘る妻は、夫に裏切られた過去を持っている…のかもしれない。

さらにコリンは、唐突に「キスして」と言う。が、リチャードの返事は「キスしたくない」。
いや、これ、変でしょ。それ、おかしいでしょ[むかっ(怒り)]いや、してたら、ファンは大騒ぎになったかもしれないけど、そういう問題じゃない。
「キスしたくない」なんてセリフが出てくる芝居…コリン、リチャードから拒否られました[exclamation×2](かなりの衝撃)
言い訳として「(自分が)きれいじゃない」と彼は言う。このセリフも第5部でリフレインされ、そうきたか、と思った。
なので、拒否られた…ではなく、「キスして」「キスしたくない」にはもっと深い意味を感じたい、と思う。
そして、自らを「きれいじゃない」と言ったリチャードは、シャワーを浴びることになるのだが…

シャワーを浴びてなお「キスしたくない」とおっしゃいましたよ。この人[爆弾]
「子どもたちが起きてしまう」
「起きないわ」というコリンに賛成だが、それは、もう少し考えたい。

そして、リチャードがシャワーを浴びている間、眠っているレベッカの腕から外した金の腕時計を飽かず眺めているコリン。これも怖い。
その時計を無理やり奪い取ろうとするリチャード。
キスすれば簡単に奪い取れるのに、それは、しない。
時計を持ったまま、コリンはリチャードに聞く。
「あの人の腕を見た?じゃあ、足は?あの人の身体を見た?」すべて、リチャードは否定する。彼は医者で、レベッカは昏睡している。見ていないというのは、とても変なことなのだが、彼は否定する。
その否定は、彼自身のやましさからなのか、肯定すると、事実がバレなくても面倒なことになるのか…

ここでモリスからの電話。
妻から問い詰められている最中に、自分の業務不履行による事故を電話の相手から責められ、さらに妻は、自分が隠していたバッグを彼の前に持ってくる。もう、大ピンチ[ひらめき]の場面。
バッグを見つけたコリンは、電話中のリチャードを構わずに責め立てる。(ここも怖い[爆弾]
一方、電話の向こうでもモリスがリチャードを責めているらしい。
右の耳と左の耳から違う非難を浴びせられたリチャードが全身をねじ曲がらせて、電話のコードを巻きつけてしまうのが、笑わせる。
さて、何故、リチャードが、バッグの存在をコリンに見せなかったかは、一目瞭然。レベッカのバッグの中は注射針で溢れていたからだ。もちろん、それは後ろめたさのなせるわざだが、ここで隠したことが、コリンの疑惑を強めることになる。だって、最初からコリンはレベッカが薬の摂取によって昏睡したことがわかっていたから。それを偶然拾ったのか、接種の現場にいたのか、そこがコリンにとって重要なのだ。
隠したことで、彼女の摂取に責任があることがハッキリしたわけで、本当にこれはまずい。
ここで、一家が突然田舎暮らしを始めた本当の理由が明らかになる。医師でありながら、自ら鎮痛剤を服用し(おそらく)、それを不必要な患者にも与えていたのだ。
ケシを原料とする鎮痛剤は、麻薬と同じ効果があり、マイケル・ジャクソンやプリンスの死因も鎮痛剤の過剰摂取と言われている。)
そして相手が若い女なら、その見返りは…[爆弾][爆弾][爆弾]

しかし…「説明して、はいっ」って言って仁王立ちするゆうひさん、怖かったな[がく~(落胆した顔)]
饒舌なリチャードは、電話相手のモリスのことも巧みにごまかそうとしている。彼に、自分に有利な証言をさせようと、うそをつく必要はないと言いつつ、でもやっぱりそうさせようとしている。
主観的な事実、と言う言葉を、つい最近知ったが、まさに彼はそれを相手にも押し付ける。
でも、饒舌なリチャードの不意の一言を、コリンはちゃんと拾う。
「裏道」
彼は裏道を走っていた。なぜ。そんな必要はないのに。それこそが、偶然、レベッカを拾ったんじゃない証拠。

そんなこんなで言い争う二人。再び電話。モリスから往診の依頼。
不安を感じるコリンを置いて、リチャードは出て行く。

リチャードの不在中に目を覚ましたレベッカ。
二人の女が顔を合わせたら、そりゃ、すべてが白日のもとにさらされる。真夜中だけど。
ここで目を覚ましたばかり、多少混乱しているレベッカが語った言葉も、第5部でコリンによって繰り返される。
水が飲みたいと言うレベッカに対して、行き先を教えないコリンも怖い。
ま、レベッカも負けてないけど。
水の位置は、舞台を下手側に下りて直進、角を曲がった、いわゆるゼロ番の位置にある。が、設定としては、舞台下手の奥なんだろうと思う。そういう体で各人、演技をしていた。

「夜中に起きてきてすぐほしがるなんて」というレベッカのセリフは、イミシン[キスマーク]だが、コリンはスルーする。
身体に悪いものをどうしてほしがるんだろう…というところで、レベッカがタバコの煙をふーっと吐き出してから、「セックス」と言ったのが、とても色っぽかった。
そもそも、レベッカとコリンは真逆のキャラっぽい。
コリンが毛嫌いするモリスに興味津々なレベッカ。ラテン語を話すから、らしいが。
それで、彼女が勉強をしている、と聞いて、即座にラテン語の勉強、と思うコリン。もちろんラテン語は手段であって目的ではない。なので、そんなコリンをばかにしたような口調になるレベッカ。
そして、誰だって歴史に興味があるでしょ?と聞くレベッカに、「歴史には興味ない」と答えるコリン。
「私たちは歴史に興味はない、私たちは生きるためにここに来たの。」と必死になるコリン。突然の「私たち」登場。IじゃなくてWeになったらしい。
レベッカは、「歴史に興味がないって、無知ってこと?」と揶揄するが、そうじゃない。コリンは、過去(歴史)から逃げてきたのだ。コリンは、じゃなくて、リチャードとコリンは。(コリンの中では[爆弾]


そして、第4部。戻ってきたリチャードと残ったレベッカの会話で、「コリンが夜中に起きると部屋の中を早足で歩きまわる」ということが語られる。
これ、第5部に繋がるコリンのキャラクターの重要な一部な気がする。
さて、リチャードの思惑としては、ここは、寝ている(と彼は信じている)コリンに気づかれないように、レベッカを帰し、なにごともなかった体で、二重生活を続けて行きたい、という肚だったと思う。レベッカの離反については、今日のおしおきが功を奏して、解決したと思っていて。
私をメイドにする[exclamation&question]みたいなセリフのところで思ったのは、「反対語」を語るのが好きなんだな、レベッカは、ということ。
でも、リチャードみたいな男の嘘を見破るには、上手い手かもしれない。
反対語を言わせることで、明確になるというのは、あるから。やっぱり頭のよい子なのね、コリンの目利き通り。
さて、シャワーを浴びたいと言い張るレベッカに、リチャードは困っている。
シャワーの音がすることにまで、謝りながら、どうにかそれを思いとどまらせようとする。なぜなら、シャワーを浴びる、つまり浴室に行くには、子ども部屋を通過する必要があるから。
そのことを言うにもリチャードは、とても、勇気を振り絞っている。
なんだ、この、勇気は?
レベッカにそれを言うことで、彼女の気持ちが萎えるとでも思っているのか。それとも、「妻とは形だけの夫婦で、もう何年もそういうことはない」とか言っちゃってる人[exclamation&question]2歳に満たない娘を見せられたら、レベッカが逆上すると思ってるとか[exclamation&question]
まあ、こういう時、男性は、とてもデリケートになるものなのかもしれない。
レベッカは、ここで、浴室に行くためには、子供部屋を通るという設計はおかしいと言い出す。たしかに…[わーい(嬉しい顔)]でも、すぐには変えられない。
レベッカは、リチャードと恋人手繋ぎをしながら、彼の往診の話を聞く。どうやら、急な出産の立会だったらしい。
田舎の医者はなんでもできないとつとまらないのね。
そうしながら、小さなハサミで彼の掌をえぐる。そうして、その血を吸う。これは、第1部で、コリンが自分の指をハサミで切って、自分で血を吸ったのと対になっているのかな。
掌を吸ったために、顔に血のついたレベッカを見て、明らかにその気になったリチャード。
迫るリチャード、でも、レベッカは、直前で身を翻す。
レベッカに対するリチャードの欲望は、ところかまわず…らしい。てか、コリンの「キスして」に応えなかったのは、子どもたちじゃなくてレベッカがそこにいるから…だよね[exclamation&question][爆弾]
強くて頭が良くて論理的なレベッカの揺らぎが見えるシーンだ。
レベッカの強暴な行為と、その後、欲望を躱されたこともあって、リチャードの怒りは、沸点に近くなる。そして、助けなければよかった、と言い出すのだ。
言いながら、まだ、コリンの寝ている方を気にしているリチャードに、レベッカは、とうとう、「あの人は、謝りたいって言ったのよ」と、コリンに会ったことを告げるのだ。
「騙してたのね、彼女、美しかったわ」と。
この時、レベッカが、「電気消す」みたいなことを言いかけて、さらに絶望していたのも、気になる。
それって、リチャードがコリンのことを、「彼女は美しくもないし、若くもない。だから、彼女とは電気を消して、夫婦生活をしていた」みたいなことを言っていたという意味かな。
でもコリンは美しかった[ぴかぴか(新しい)]
なら、電気を消す理由は別にある。おそらくは、コリンがそれを希望するのだろう。
つまり、コリンは、セックスに一切のプレイを望まない。電気を消して、服を脱がないで、みたいな。
自分は美しいコリンに美しいまま妻でいてもらうための、道具にすぎないんだ、彼がコリンの前で、紳士のようにふるまうために、彼の欲望のはけ口になっているんだ、そんなふうにレベッカは思ったんじゃないだろうか。

第5部は、これまで積みあがってきた物語のイメージが一変するので、ここで切ります。


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「カントリー」観劇 [┣大空ゆうひ]

ゴーチ・ブラザーズ プロデュース
「カントリー」


作:マーティン・クリンプ
翻訳:高田曜子
演出:マーク・ローゼンブラッド


美術:長田佳代子
照明:浜崎亮
音響:加藤温
映像:松澤延拓
衣裳:ゴウダアツコ
ヘアメイク:西川直子
通訳:時田曜子
演出助手:平戸麻衣
舞台監督:足立充章


7月12日~17日という短い期間に東京のみで上演された舞台「カントリー」、イギリス演劇らしい観れば観るほどモヤモヤしてくる作品に、すっかり脳内を支配された一週間でした。
今回は、ちょっと書き方を変えて、物語を簡潔に記載して、出演者感想を書き、その後、別記事にて、ぐだぐだあれこれ蘊蓄含めて書いてみようかな…と思います。どうぞ、最後までお付き合いくださいませ。

イギリスの田舎。ローマ帝国時代の遺跡(石壁)があるような場所に、穀物倉庫を改装した家がある。住んでいるのは、医師のリチャードと、その妻コリンとその子どもたち(推定で男子5歳、女子2歳足らず。ただし舞台に登場はしない)。
リチャードは、かつて都会(特定はされていない)で、医者をしていたが、そこで明るみにはされなかったものの、大きな違法行為をしており、逃げるようにこの田舎にやってきた。田舎では、前からこの土地で医師をしているモリスと連携して村の人々の医療に携わっているらしい。
とはいえ、まだ、この地に来て日は浅い。
ある晩、リチャードは、一人の若い女を家に連れてきた。彼女は昏睡していた。

その日の深夜から芝居は始まる。
第1部がMIDNIGHTと書かれていたので、12時頃、第2部がその数分後、第3部が午前3時、第4部が午前4時20分…だったかな[exclamation&question]で、第5部がそれから2ヶ月後の朝となっている。
芝居の登場人物は3人。コリン(大空ゆうひ)とリチャード(伊達暁)とレベッカ(南沢奈央)。
レベッカというのは、リチャードが連れてきた昏睡状態の女の名前。けれど、三人が一同に会することはなく、どの場面も二人芝居になっているというのがこの作品の特徴。
舞台は、正方形。ただし、役者は舞台下のぐるりとした空間も演技スペースとして使う。三方に観客が座る。本当は四方に置きたかったのかもしれないが、プロジェクターを使う関係上三方になっているのかな、と思った。
というのも、この舞台はプロレスのリング構造だからだ。(場外乱闘があるので、プロレス的には、リングの下も戦闘エリアである。)だから、なのか、時間の経過があるにもかかわらず、登場人物は、まるでタッチしたかのように、入れ替わりでステージに登場する。

第1部と第2部は、コリンとリチャードの場面。
リチャードが連れてきた女について、コリンが不審を表明する。リチャードが車に乗っていると、道に女が倒れていた。リチャードは彼女を家に連れ帰ってベッドに寝かせた。彼女は生きているのか、治療をしなくて大丈夫なのか、彼女のバッグはどこにあるのか、そもそも、若い女の子でなかったら、リチャードは彼女をここに連れてきただろうか…コリンの疑問は広がる。
リチャードがシャワーを浴びている間、コリンは、女の腕から腕時計を外し、それを眺めている。キスしてほしいと迫るコリンと拒絶するリチャードの間に緊張が走った時、モリスから電話が入る。今日、リチャードが訪問するはずだった家で老人が亡くなったという。一方、コリンは、リチャードの車から女のバッグを発見する。中には注射器が。ここでコリンのストレスは頂点に達し、一方、リチャードも次々に露見する事態に冷静ではいられなくなる。
再び電話。モリスの依頼で真夜中の往診に出掛けるリチャード。あの人が起きたら…と不安になるコリンを宥めて出発する。
第3部は、コリンとレベッカの場面。
レベッカが目覚め、居間にやってくる。まだ薬が残っているのか、木々の緑が…みたいなわけのわからないことをテンション高くしゃべっている。
レベッカは、水が飲みたいと言い、灰皿がほしいと言う。コリンは仕方なく水のありかを教え、灰皿になるようなものはない、と拒絶する。レベッカは腕時計がどこかを聞き、自分のバッグの中身がぶちまけられていることを不安に感じる。コリンは仁王立ちだ。
女二人の対決は、コリンに、リチャードのついた嘘を突きつける。レベッカは、リチャードの愛人であり、彼はレベッカを追ってこの“カントリー”への移住を決意したのだ。そして、さっきは、車の中でリチャードに殺されかけたと。
その事実は、たまたまゲームにようにリチャードの車に乗り込んだ若い女の子…というコリンの想像を裏切るもので、彼女の心を打ち砕くに十分なものだった。
第4部はレベッカとリチャードの場面。
レベッカは、往診から戻ったリチャードに、目が覚めたら一人だったと嘘をつく。
リチャードは穏便にレベッカをここから連れ出せば、すべて丸く収まるとまだ信じている。それを利用して、レベッカはリチャードをいたぶる。シャワーを浴びたいと訴えたり。リチャードが言いにくそうに、シャワーは子ども部屋を通らないといけない、と言うと、レイアウトが変だとまで言い出す。そして、子どもたちの寝顔が見たいとも言い出す。
子どもたちに向けて話すのだと言い張るおとぎ話は、彼女の告白だった。どんな風に彼女が薬物を処方してもらったか、そのために払った代償はなんだったのか。
そして、医師としてリチャードは既に法を犯していることが語られる。
ついに、リチャードの中の最悪な感情が吐露される。あのまま、置いて来ればよかった=死んでしまえばよかったのに、と。
そこで、レベッカは最後の一矢を放つ。あの人、子どもたちを連れて、出て行ったわ、と。
あんなに綺麗な人だったなんて、あなたの言葉は、すべて嘘だったのね、と。
第5部の前に、レベッカは去り、リチャードが次の場面の準備を一人で行う。
スタッフによる転換を行わず、リチャード一人が行うことにより、時間の経過、その間、リチャードが関係修復に奔走したのだろう…ということが観客にもわかる。
再び、コリンとリチャードの場面。
コリンの誕生日の朝。子どもたちは、ゆうべから、夫婦の友人であるソフィーの家に泊まっている。夫婦二人きりで過ごした翌朝。朝食はリチャードが用意している。コリンはパジャマのまま、髪も梳かさずに登場。その手には、バースデーカードが数枚。どうやら、リチャードがプロデュースしたコリンのバースデーという設定らしい。
最後の仕上げに、リチャードが背景の幕を開く。いっぱいに広がる田舎の景色。こんな風に夜と昼を明確に表現してくれる舞台は初めてだ。
二人の会話。ソフィーからの電話。そしてコリンが昨夜、一人になった時に出掛けたドライブの話。第1部から第4部に出てきた会話を繰り返すことによる効果は絶大で、色々と想像が広がる。
想像は広がるが、結末をポンと提示することのないエンディング。いつまでも余韻の続く舞台だった。

セリフの力の大きさ。セリフに語られないものを想像することの楽しさ、奥深さ。そして、十人十色の感想。
そのすべてが面白い[わーい(嬉しい顔)]
短い公演だし、キャパもそんなに大きくないから、普通なら、たくさんの観劇仲間の声を聞くことはできない。
でも、幸い、私はゆうひさんのファンだから、ファン仲間で色々話すことができた。
ゆうひさんが、出てくれたおかげで、こういうお芝居を楽しめて、幸せな初夏でした。

では、出演者感想。ゆうひさんのは、別途語ります。
リチャード役の伊達暁さん。
阿佐ヶ谷スパイダースの俳優さん。今回制作のゴーチ・ブラザーズという組織は、阿佐ヶ谷スパイダースのメンバーの所属事務所でもあり、企画集団でもあるので、まあそんな関係での出演かと思われる。
ってか、リチャードありきの企画か[ひらめき]というくらい、素晴らしかった。
ほわん、とした、観客に意味の解釈を丸投げしたようなセリフと、相手を説得しようとあらゆるテクニックを繰り出してパワフルに言いたてるセリフ差…お芝居を見ていて楽しいと思える時間。
セリフのない部分の芝居も、すべてが、リチャードを見事に表現していたと思います。
また、この人のお芝居が見たい、そう思える俳優さんに出会いました。

レベッカ役の南沢奈央さん。
前回、彼女の舞台を観たのは、「赤い城 黒い砂」(原作=「二人の貴公子」)。なんと、それが初舞台だったとか。主演だった中村獅童さんが闘病中、影の主役だった中嶋しゅうさんが亡くなられた今、再び、彼女を観る巡り合わせを感じる。あの時は、牢番の娘の役で、(宝塚版では蘭乃はなちゃんが抜擢された役ね)健気な娘役だったけど、大人になったのね…としみじみ[黒ハート]
まあ、コリン役の人は、その間に、トップになって、そして、性転換もしてるから、それだけに時間が流れたということで。
気丈だけど、たぶん一番の犠牲者。殺されちゃってないことを祈ります。
(そういう感想の人が多かった…[あせあせ(飛び散る汗)]
彼女が語る「おとぎ話」の痛々しさ、その迫力に毎回やられてました。また共演してほしいなぁ[ハートたち(複数ハート)]


気になっていろいろ調べているので、蘊蓄シリーズの方が長くなりそうです。そちらもお楽しみに。


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早すぎる千秋楽 [┣大空ゆうひ]

「カントリー」、終わってしまいました。

もっともっと、謎を解きたかった。もっともっと見つめていたかった。


こんな気持になれて幸せな公演でした。


カントリー7.jpg


千秋楽の出のイメージです。


さあ、次は、シャンソンですね。

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「カントリー」初日 [┣大空ゆうひ]

本日、7月12日から7月17日までの短い公演ですが、なかなかイギリス演劇らしい、面白い心理劇です。
ゆうひさんを敵に回したら恐ろしい…それに挑む二人の役者たちに乾杯[バー]

そして、もちろん、またまた新境地のゆうひさんにも、乾杯[ビール]

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「レジェンヌ」 [┣大空ゆうひ]

ゆうひさんがCVを担当するゲーム、「レジェンヌ」


でも、ゲームって、すべてのシチュエーションを体験できるとは限らないから、ゆうひさんが録音した全部の声は聴けないのかな…[もうやだ~(悲しい顔)]


そして、なんか、課金に絡んできそうでおそろしい…[爆弾]


誰か、私に、ゲームのいろはを教えてください[あせあせ(飛び散る汗)]


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「HEADS UP!」再演配役発表 [┣大空ゆうひ]

文学座の「青べか物語」を観劇しました。感想はこちらです。


今年の年末から来年にかけて、神奈川・東京を始め、全国で上演されることになった「HEADS UP!」(再演)の出演者が発表された。


一昨年の初演の出演者と合わせて表にしてみると…


役名 役どころ 今回配役 前回配役
加賀美賢治 舞台監督 哀川 翔 哀川 翔
新藤祐介 新人舞台監督 相葉裕樹 相葉裕樹
久米長一郎 演出部 橋本じゅん 橋本じゅん
本庄まさこ 制作 青木さやか 青木さやか
佐野慎也 アルバイト演出部 池田純矢 入野自由
小山田丈太郎 老俳優 今 拓哉 今 拓哉
滝幸男 演出部 芋洗坂係長 芋洗坂係長
九条六平 演出部 オレノグラフィティ 上原理生
飯塚浩二 照明 陰山 泰 陰山 泰
児玉哲也 音響 岡田 誠 岡田 誠
海老沢克美 演出家 河本章宏 河本章宏(川本昭彦)
池田桃子 小道具 新良エツ子 新良エツ子
立川エリカ 演出助手 井上珠美 井上珠美
朝倉まき 衣裳助手 外岡えりか MINAMI
真昼野ひかる 女優 大空ゆうひ 大空ゆうひ(祐飛)
熊川義男 劇場付雑用係 中川晃教 中川晃教
アンサンブル - 福永吉洋
大竹浩一
森内翔大
谷 須美子
香月彩里
原 宏美
伊藤結花
青柳塁斗  
遠藤瑠美子  
香月彩里  
嶌村緒里江
谷 須美子  
福永吉洋  
渡部又吁


ゆうひさん以外にも、この2年の間に改名した方がいた!


という事実に驚きつつ、アンサンブルも含めて、初演メンバーがかなり残っていることに感動[黒ハート]です。


初演の素晴らしさを超えて、もっともっとすごい「HEADS UP!」になるような、そんな予感をおぼえつつ…[ぴかぴか(新しい)]


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「キャロル」ときめきアクティブ上映会レポ [┣大空ゆうひ]

ゆうひさんが、映画「キャロル」の“ときめきアクティブ上映会”というイベントに参加、短い時間だったが、いろいろお話ししてくれた。
今回の“ときめきアクティブ上映会”は、キャパシティ100名程度の空間で、あくまでも映画や原作本についてのトークで、大空ゆうひさん的に、なぜこの仕事を受けたんだろう…と、実は不思議だった。
もちろん、主催者側の北條さんは、大空さんの尊敬するアーティストであり、ライブMojiCAを作ってくれた同志でもあるので、「頼まれたから…」というのもひとつの立派な動機ではある。でも、それだけで…?そんなに義理堅いタイプなのかなぁ~[exclamation&question](失礼[あせあせ(飛び散る汗)])と思いながら会場へ。


ゆうひさんは、白のシンプルなチュニックに黒っぽい長めのネックレス、髪は下ろしていて、若干明るい色だった。足元は、ちょっと柄の入ったレギンスにサンダル。


ゆうひさん、いつも通り、控え目に、質問に対して的確に(盛ることもなく、引くこともなく)回答をしていた。映画「キャロル」についても、原作についてもよく知っていて、翻訳の先生が登場人物の名前をど忘れした時も、助け船を出していたり…あぁ、ちゃんと観てるんだな、読んでるんだな…しかも、今回のトークの前にもう一度、予習とかしてるよな…[ひらめき]とわかった。どんな仕事に対しても誠実なんだな、と。
すごくふんわりと存在していて、元トップスター!的重圧を感じさせないのも見事[ぴかぴか(新しい)]
ちなみに、ゆうひさんが「キャロル」を見た理由は、「ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが好きだから」ということなんだけど、ケイトに関しては、それだけでなく、彼女がエグゼクティブ・プロデューサーとしてこの映画に関わっていることに言及し、進行役の北條さんと共に、ハリウッドにおける女優の地位みたいな話を少しされていたのが印象に残った。
ハリウッドでは、俳優が映画製作に関わるケースが多い。映画監督としてもヒットを飛ばし続けるクリント・イーストウッドは有名だが、プロデューサーとして、自分が主演する映画にコミットする人も多い。トム・クルーズは、その代表格だろう。やりたい映画に出るためには、自分が製作するしかない…というハリウッド事情が透けて見える。
女優だって、同じ思いを抱えているだろう。特に年齢が上がるにつれ、主演映画に呼ばれる可能性は、ガクンと下がる。
ケイト・ブランシェットは、自身が主演する映画を自分で作りたいと願い、そして、「キャロル」の製作にコミットした。でも、構想から15年かかったという。ケイトほどの大女優でもそうなのか…というところにハリウッドの闇が見える。
(構想から15年かかったと思うと、今なおお美しいとはいえ、とても4歳児の母親に見えないケイト様がこの役を演じた執念を感じる。)
日本の演劇界で頑張っているゆうひさんが、ケイトのそんな部分に惹かれたというのは、すごくわかる気がした。
女優が主演の舞台は、待っていては、向こうからやってこない。自分がやりたい芝居は自分で探すしかない。その茨の道を行くケイト様の凛々しい姿をお手本にしようとしているのなら、こんなに素敵なことはないと思った。

一方、この映画は、1950年代の超保守的なアメリカで、同性愛はなんかの病気という価値観の中で揺れ動くキャロルという女性を中心にストーリーが展開していく。
(彼女の回りの女性といえば、「うちの嫁が変な病気になって可哀想」と信じて疑わない義母、吹っ切れて同性愛者としての人生を極める気満々の元恋人、そして、一途に自分を愛し、疑いなどみじんも持ちえない現恋人。そんな中、キャロル一人が揺れている。恋愛を貫けば、一人娘の親権を失う。女性としての愛と母親としての愛が両立できない。そんな心弱き女性でもあるキャロルを、心の中まで体幹が通っていそうなケイト様が演じているところが、すごーくミソだと思います。)
そんな作品を、かつて日本中の女性を本気で落としにかかっていただろう、大空祐飛さん⇒現在は大空ゆうひさんが、どう肯定するのか、あるいは特殊化するのか…というところにも、私は注目していた。
これについては、特殊な設定ではなく「普遍的な愛の物語」とそれに付随する障害というような視点で、この映画を考えている、というような、常識的な回答。ま、そうですよね。ゆうひさんのジェンダー論、すごく興味あるけど、こんな短い時間で語りつくせるとも思えないし、これがベスト回答でしょう。


ケイトの体幹とか筋肉とか背中とかハイヒールを履いた時の身のこなしとか、タバコの持ち方がエレガントとか…女優ならではの視点がとても面白かった
で、ケイトが、手を使わずに立ち上がるシーンの美しさについて、北條さんが言及された時、前にこの映画を見ている全員が肯いたと思うが、ゆうひさん、「どのシーンか、すぐにわかるなんて、みなさんすごいですね[ひらめき]とコメントしていて、あー、この人はそれができるんだな[exclamation×2]と逆に思った。
出来ない人は、というか、出来ないだろうなと自分を見ている人は、絶対、一度目で「ケイト立ったよ、すげー[目]」と、記憶に残っているから。


あと、若さゆえの一途さを見せるテレーズの魅力も熱く語っていて、二人の主人公のそれぞれに感情移入しながら見ていたんだな…と思うと、ゆうひさん、ほんとに女優さんなんだなーと、あらためて感慨深く感じたりして[わーい(嬉しい顔)]
5年前までは、映画を見ても男性役の方ばかり見てるって言ってましたもんね[るんるん]


で、映画の一番の見どころについて、「最後のキャロルの表情[黒ハート]」と、私の感想と同じだったことが、めっちゃ嬉しかったです。あ、私の感想はこちらです。


北條さんから、ぜひ、キャロル役をやってほしい…みたいな言葉があって、私もゆうひさんなら、キャロル、似合うんじゃないかな…[ひらめき]と、全面的に賛成[グッド(上向き矢印)]
ま、ゆうひさんがキャロルだと、私の中でテレーズは、すみかちゃん一択になっちゃうけど[るんるん]


 と、いつまでもゆひすみForeverな、私なのでした[わーい(嬉しい顔)](すみかちゃんも、ブログで、以前「キャロル」の素晴らしさを語っていましたよね[るんるん]


もう一人のゲストの柿沼先生(小説版「キャロル」の翻訳者)のノリの良さが素晴らしくて、先生のトークもツボがいっぱいでした[黒ハート]


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「Rhythmic Walk」(2) [┣大空ゆうひ]

YUHI OZORA Live Theater
「Rhythmic Walk」

その1は、こちらです。

(7)Never on Sunday
映画音楽として有名な一曲。これは、Dr.kyOnさんの選曲だったと言ってたような。
舞台上手側のイスに座り、サンダルを脱いで裸足になって、歌う。これ、たしか、初日は、裸足にはなっていなかったんじゃないかな。
ゆうひさんの可愛い部分を最大限フィーチャーしたふんわりとした歌だった。
映画の舞台はギリシャで、白い建物と青い海が想像できるような音楽。ここでもDr.kyOnさんは、アコーディオンを演奏。これも、ちょっとリズムを外してくるような伴奏が、面白かったし、ずっと笑顔で楽しそうに歌っているゆうひさんが、可愛かった[黒ハート]

(8)Walkin in the RHYTHM

この曲のイントロで、ゆうひさんは、天に向かって手を伸ばし、裸足のまま、椅子の上に乗り、天井を見上げる。
そして、猫のような声で歌い始める。その姿は、美しくて、妖しくて、禍々しい。
この、「Walkin in the RHYTHM」という曲は、Fishmansというバンドのナンバーで、今回のアレンジは、Dr.kyOnさんによると、次の曲共々UAバージョンなんだそうで。猫のような「ねーえ」という言葉の繰り返しと、甲高い頭声、そして、[るんるん]歌うように歌うように歩きたい[るんるん]くらいのわずかな歌詞が印象的。
ゆうひさんは、人形のように、表情を動かさず、不思議な世界観を見せてくれた。振付もちょっとアンドロイドっぽい感じもあって、([るんるん]Walkin in the RHYTHM[るんるん]で歩いた後の振りとか…)前回のライブのドラマ部分を思い出したりした。
(D238は、サイボーグですが。)

(9)トンネルぬけて

この曲は、Dr.kyOnさんの伝説のバンド、BO GUMBOSのナンバー。
これがもう、超可愛い[黒ハート]
「Walkin in the RHYTHM」で無機質な魅力を発揮したと思ったら、再びサンダルを履くとともに、しゃきっと可愛いボーイッシュな女の子になる。
[るんるん]風が騒ぐ夜はうちへ帰りたくないよ[るんるん]とか言われたら、心騒いじゃうでしょ。[るんるん]君を叩き起こしに行くよ[るんるん]とかもう、反則でしょ。心臓止まるでしょ。
で、[るんるん]車飛ばして[るんるん]のとこの、ファルセットにガツンとやられる[exclamation×2]
この曲は、BO GUMBOSの曲だけど、ゆうひさん自身が歌いたくて選んだ曲。そういうとこ、自分を分かってるな…と思う。

ここでMC。
ここでは、主にDr.kyOnさんとのトーク。
最終日の昼公演で、下北沢の王将の話で盛り上がっていたのが印象的。
Dr.kyOnさんの通いつけの下北沢の王将、実は、ゆうひさんが幼い頃、お使いでテイクアウトしていたお店なんだそうな。

(10)のうぜんかつら
トークから、自然にDr.kyOnさんのピアノ伴奏での歌へ。
こんな女子的な歌を歌うんだな~という感じの曲。何しろ、[るんるん]撫・で・て[るんるん]で始まる。優しい声で、そんな風に歌われると、どきどき[揺れるハート]
恋愛の機微を女子目線で歌うゆうひさん、すごく新鮮でした[黒ハート]
かなり、キーが高くて、そういう意味でも、ドキドキ[揺れるハート]
「あいぜんかつら」は知っていたけど、「のうぜんかつら」は知りませんでした…って、どうなの、私。

(11)枯葉
「La Vie」でも歌っていた「枯葉」。
こちらも、呟くような歌声で聴かせた。ちょっと、鼻にかかったような、ゆうひさんらしい歌声。
「トンネルぬけて」も、その声を使っていたけど、出てくる色は全然違う。あちらは、若くボーイッシュで、こちらは、しっとりした大人の女性。ゆうひさんの出してくるキャラクターの多様性が面白くてたまらない。
そして、最後の曲でも感じたのだけど、ゆうひさん、シャンソンだけのライブ、やってくれないかなぁ。絶対似合うと思うんだけど。

(12)糸
ラスト2曲というところで、ゆうひさん、メジャーな曲を出してきた。
終わり良ければ総て良し、というか、女優歌2曲。歌唱力というより表現力で勝負できるっていうんですかね、ぶっちゃけ。
というわけで、良かったです。セトリの勝利[exclamation]

(13)愛の賛歌
「愛の讃歌」と書かれることが多いと思うが、ここではセトリ通りに記載しておきます。
一番有名な岩谷時子の歌詞で、力強く歌ってくれた。
なぜか、この歌を聴きながら、岩谷さんと越路吹雪さんのドラマを思い出していた。(「ごめんね、コーちゃん」というタイトルで、越路吹雪役は、幸和希が演じていたみたいです。)外国曲を日本語詞で歌うことにこだわっていた越路さん。ある時、発表されたばかりのエディット・ピアフの新曲を越路さんが歌うことになったが、そのタイムリミットまでに、歌詞が届かなかった。フランス語などわからない岩谷さんやスタッフの面々。
ただ曲だけに耳を傾け、岩谷さんは作詞をする。まさに「作」詞。
実際には、もうちょっとシビアな歌詞の曲だったことが後に分かるが、越路さんは終生この歌詞で歌い続けた、的な内容だったと思う。
なぜ、敢えての、このエピソード思い出し…[あせあせ(飛び散る汗)]
まあ、それくらい、女優歌だったということだと思います。
スタンドマイクの前で、腕を抱えるようにして歌い始め、最後は大きく手を広げて会場を抱きしめるように…歌への愛、発信することへの拘り、頑ななまでに自分を貫いたことを感じさせる一曲だった。
似合うと思ったけど、やっぱり[黒ハート]

いつまでも終わらない拍手の中、アンコールでは、ツアーTシャツで登場したゆうひさん。たぶん、その着替えタイム、というか、早替え場所が手配できなかったことが痛恨だったと思うのだけど、わりと出てくるのは遅かったです。

アンコール曲は2曲。
最初に、ボブ・ディランの「Don't Think Twice It's All Right」を。
アンコールでは、いつも、あっと言わせるなぁ…[どんっ(衝撃)]
いい感じに、力が抜けた感じで良かったです。[るんるん]だからさぁ、くよくよはしないよ[るんるん]っていう辺りが、可愛かったな[わーい(嬉しい顔)]
(あ、日本語バージョンです。)
そして、再びDr.kyOnさんがアコーディオンを持ち、持ち歌「いつかの歌のように」を。こちらは客席降りも[黒ハート]

すごく一筋縄ではいかないセットリストだったし、ゆうひさん的には挑戦な部分もたくさんあった。それもあらゆる方向への挑戦。まあ、そもそもライブなんてファンしか来ないからできる挑戦なのかもしれないけど。
そういうことも含めて、ひたすら歌を、音楽を楽しんでいたゆうひさん。苦しむことすら楽しかったんだなーと思う。

なので、また近いうちに、こんなステージをやってくれると信じて待っています。

※追記
ゆうひさんの思い出の王将に行ってみました。

王将.jpg

下北沢南口商店街と、本多劇場前を通る道が交差する…なんか、下北沢の42nd streetみたいなところにありました。
私も王将好きなんですよね[黒ハート]


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